トップ

基調

1分科会 2分科会 3分科会 4分科会 5分科会

         

第40回人権交流京都市研究集会

  分科会

「共に生きることをめざして」

〜これからの人権教育の課題と展望を考える〜

                       大谷会館「比叡」

             

2部(夜間学級)のあゆみを通して〜京都市の2部夜間学級の現状と課題〜

                          大濱冬樹(京都市立洛友中学校)

◎浅田先生との出会い〜多様化する「在日」の子どもたちと親の思い〜

             康 玲子(メアリ会・小学校非常勤講師)

◎私の中の「部落と朝鮮」〜私の体験と思い〜

                          仲村良昭(部落解放同盟京都市協議会青年部)

【大濱さんより】

1,洛友中学校の概要

(1)教育目標:

    『学びたい』との初志を貫徹する生徒をじっくり・しっかり育てる

@昼間部・・不登校を経験した生徒

A夜間部・・義務教育未終了者(16歳から87歳)

(2)今年度の入学生

12名のうち6名が日本語でのコミュニケーションがとれない生徒だった。

 

2,二部学級のあゆみ

 1950年には京都市内の12校に2部夜間学級が設置されていた。この頃は,義務教育でも教科書は無償貸与されていなかった時代。

 1953年市内二部在籍生徒数599名でピークを迎える。

 1970年学齢生徒対象の二部学級全廃。郁文中のみで夜間中学校を存続。

 20073月 郁文中学校閉校:下京中学校の開校による。

 20074月 全国初の、不登校経験生徒と夜間2部生徒が共に学ぶ学校として洛友中学校が開校。

3,洛友中学校を支える

 @学生ボランティア

 A地域の女性会などの諸団体

 B教育委員会

4,夜間部の学びを通して

 @参観・研修:小中学校や教育員会、諸団体が頻繁に訪れている。

 A修学旅行:島根県三重県兵庫県などの小中学校が継続してこられている。

5,さいごに、いま一度「学習権宣言」を

 当事者に,こうした学びの場があることを伝えるために民族の文化にふれる集い・

東九条マダンなどに参加している。

  形式卒業をせずに,二部学級で学び直しをしている生徒もいる。

 現在来年度の生徒募集の時期になっている。中国籍の生徒が応募してきた。

 今後も,ゆっくり,じっくり生徒を育てていきたい。

 

【康さんより】

@現在京都市立小学校で「学びのパートナー」として勤務している。

「在日外国人」・・”多様”がキーワード

 日本の総人口の約169%が外国人。はたして自分の友人関係のうち169%に外国人がいるのだろうか?多い順に並べると中国が韓国・朝鮮を抜いて1位になった。

自分の妹のうちひとりは帰化した。二人の妹それぞれが日本人と結婚し,子どもたちは二重国籍になった。1世も次々亡くなる中で韓国朝鮮人として生きている人は数としては減りつつあると思う。

その中で,帰化者は年間30万人を超える。日本籍者の増加。ダブルの子どもたちの増加。韓国朝鮮籍の9割近くが日本人と結婚しているので,彼らの子どもは全てダブルとなる。自分の子どもは韓国籍を引き継いでいるが、ダブルの子どもははるかに多くなっている。一人の韓国・朝鮮籍の生徒がいれば,その89倍ダブルの生徒がいることを覚えておいてほしい。そうしたなかでもカミングアウトできない子どもたち,将来差別されないか不安を抱いている生徒がいることを忘れないでいてほしい。

 昔に比べれば差別は減ってきた。映画(パッチギ!やGOなど)などの影響もあって以前よりは知られるようになってきたが,その一方で「根強い差別」が残っていると言われる。

 21世紀ならではの新しい差別が生まれている。就職差別・結婚差別・指紋押捺はなくなったものの外国人登録証の常時携帯義務など。一昨年から外国人に対しての指紋採取と写真撮影が簡単に義務化された。(入国審査時,特別永住者など除外者あり。)

2002.9.17以降(小泉首相の訪朝)以来,拉致問題に端を発し,北朝鮮バッシングが激しくなった。ネット上の差別が助長。極端に偏った報道の問題。若い者にはそれらの報道しか知らない世代には正しい判断ができなくなるのではないか心配。正しい判断力をつけさせてやりたい。

 現在,ネット上では洪水のように流されるひどい差別的な書き込みがある。大人以上に子どもたちにはそうした情報がたくさん入っているのが心配。

 今 何が問題なのか多様な状況を把握する。関連づけながらつないでいく。

自分たちは日本語にも困らないが,多様な外国人の生活がある。状況が異なる人たちがたくさんいるが,そうした人々の存在をつないでいくことが大切。外国人の人権を考えていくとき,疎外感を感じる外国人の分断が問題。自分たち(特別永住者)のたたかいの歴史があって今の自分たちがある。しかし,今新たに外国から日本に来られている外国人の人たちの問題に,それを広げていくことが大切。

 在留資格の問題。日本人の支援が必要。生活の問題。不況で真っ先に切られるのは外国人労働者。(日本人でもひどいが)外国人は帰国すればいいじゃないかという声。研修制度で受け入れていた外国人に対しては期間満了以前に帰されたりしている。

 教育の問題。日本語の習得する権利もあるが,一方で自分の母語を習得する権利も持っているのではないか。

 名前(アイデンティティ)の問題こどもたちが自尊感情をもてるような教育の場での保証が大切。永住者にとっては在留資格や生活、教育などについてはクリアできていることが多いがアイデンティティの問題はすべての外国人にとって大切なこと。衣食足りてからアイデンティティ、ではない、これなくしては生きていくことはできないのではないか自分に自信をもつことができなければ、食べることが足りていてもだめなのではないかと思う。

 進路の問題を考えるときにも、アイデンティティが大切。アイデンティティをもてないと自分がどうなりたいか考えられない。自分は大学を出ても進路展望が持てなかった。自分はずっと日陰で生きていく身だと思っていた。会社などを受けてもどうせ落ちるならば受けずにおこうと思っていた。

 子どもが生まれてから社会にかかわることの大切さを思うようになった。…教壇に立とうと思うようになった。自分のこどもにはもっと社会に貢献することを教えたい。

 

 外国人教育の充実を!

外国にルーツを持つ人々の存在を教えてほしい。外国人はもともとこの社会にたくさんいるし,その人たちがいて今の日本社会が成り立っていることを教えてほしい。

 報道の中で外国人は犯罪者としてしか登場していない。派遣切りなどのニュースがあるが,「すぐ切ることができる労働者」ということは最初からそのような労働力として雇用しているということ。

 クラスの生徒の中にメッセージを伝えることができる。例外的な存在ではない,仲間はたくさんいるんだ,自分はここにていい存在なんだ,ということがわかる。

 今の日本社会の中で外国からの労働者を受け入れて暮らすことは当たり前のことだと言うことを教えていってほしい。

文化、歴史などの教育の取り組みもつづけてほしい。歴史教育は,あまり興味を持っていないようだ。自分とは関係のない世界のように感じているようだ。自分たちが歴史のひとコマなんだということを実感してほしい。

 自分の娘は小学校のとき「韓国帰れ」と言われて泣いて帰ってきた。本人にどうしてここに暮らしているのか,祖父母のことから話してやったら安心していた。日本人生徒にもそれをわかってもらえなければ,次の日から逆戻りしてしまう。それは新定住外国人についても同じ。

 個人指導、本名指導、学級全体の指導

 娘が修学旅行で広島に行ったとき担任の先生が娘だけを韓国人慰霊碑のところに連れて行ってくれた。それはそれでありがたかったが,ほかの生徒も連れて行ってやってくれたらなあと思った。担任の先生から「おまえは韓国人なんやからしっかり勉強せなあかんでと言っています。」と言われた。それならば周りの日本人生徒にこそ「差別のない社会を作らなあかんぞ」と言うべきではないのだろうか?

 学校に豊かな出会いの場を!

先生との出会いがあったからこそ,自分がある。高校時代の恩師である浅田先生は真摯に自分と向き合ってくれた。自分自身がどういう気持ちで人生を生きているか、語ってくれた。

 通名で通っていた自分に問いかけをしてくれた。勉強や家族のこと,そのほかたくさんの自分の課題を丸ごとわかろうとしてくれた。上から目線ではなく対等に向き合ってくれていた。

いろいろな話を対等な目線で向き合ってくれたように思う。学校はたましいとたましいのふれあう場であってほしいと思う。人間関係が希薄化しているが学校はそうであってはいけない場では?個人情報保護の問題がでてきてから、情報は外に漏らしてはいけないが、お互いに情報は共有しながら進んでいってほしい。

質問

1、大濱さんへ(司会より)

 今年度の入学生のうち6名が日本語のコミュニケーションがむずかしいとのことだが学校としてはどのような工夫をしているのか,取り組みを教えてほしい。

 :文字が読めないと言うことは移動を制限してしまうことになる。向島から東寺まできてバスに乗る生徒がいるが,やっとバスに乗れるようになった。駅の名前・バスの路線・京都の地名などを教えることから始めている。あいうえおから始まって,絵カードを使って日常生活に必要な言葉を学校行事に合わせて活動している。画像を交えたICT活用授業をしている。     生徒のニーズに合わせるようにしているがどこまでできているか検証が必要。

先日、ペルーのことを学習した。その後ペルーから日本に帰ってきた講師さんの授業を受けたとき、話がよくわかって勉強しておいてよかったと言われた。

現在15名が応募してきている。そのうち10名以上は中国からの生徒で日本語ができない。生活のサポートができる社会科授業を考えている。

 

【仲村さんより】

1,生い立ち

 父は内浜に生まれた。母は在日朝鮮人。自分の中には当たり前として感じていたが正月は朝鮮式の儀式をしていた。子どものころは、自分は「ハーフ」なんや、と思っていた。(そのころはダブルという言葉は知らなかった。)

 小学生のとき、使い捨てカメラのことをバカチョンカメラと言ったら、父親にひどく叱られた。自分の母親を馬鹿にしているのか、それは自分を馬鹿にしているのと同じことなんだぞと言われた。そのときに自分はハーフであるということを実感した。

 先輩から「おまえハーフなんやな。なんかあったら俺にゆうてこい!」と言われたりした。たまに家の中で朝鮮語を使うこともあったが母はほとんど日本語だった。祖父のところに行

くと食べ物が辛くて食べるものがなくて困った。母親の実家ではハーフを実感したがそれが当

たり前なんだと思っていた。韓国の呼びかたを、それがその人の名前なんだと思って使ってい

たりした。祖父母がけんかしているときは日本語や朝鮮語を混じった言葉であった。

 自分たちが子どもの頃にはわからなかったが,父母の結婚には父方の祖母が反対していたと聞いた。祖父母が自分たち孫を連れて外食に行っても,自分たちの分ははらってくれなかったりした。父は無理矢理結婚して認めさせたと聞いている。

 『この広い日本で、在所の人でも何でもいいのに何で朝鮮人を選んだんや!』と祖母がずっと言っていたらしい。そのせいか自分はなんだかわからないが父方の祖父母のところには行きたくないなあと思っていた。母方の祖父母の方には行きやすかったと記憶している。

 母方の祖父母のところには、盆や正月にはたくさんの子どもや孫が今でも集まっている。

 

2,解放運動との出会い

 成人して結婚して20歳の頃に解放運動に出会った。それまで学校では部落のことも何も教わらずに育っていた。父は大工の世界で差別を受けながら育ってきた。親方からは,修業時代には自分の出身を隠し通せと言われていたらしい。

 そのせいか父からは部落について何も話をしてもらえずに育ったが、20歳のころにやっと話してもらった。その話を聞いたとき、母は朝鮮人で父は部落の出身だなんて、自分は何てすごいところ(立場)にいるんだろうなあと思った。

 

3,子どもたちへの思い

 自分のこどもの解放運動への参加・・娘が小学生のときに京都会館に人権劇を見せに連れて行った。彼女は自分の祖母が在日であることは知っていたが部落のことは知らなかった。

 娘は自分や自分の友達が出身であることを知ってとてもびっくりしていた。これから差別する側に回るのではなく、友達を守る側に立ってほしいんだということを話してやった。

 子供会活動には今も参加している。自分が解放運動に出会ったのが遅かったので子どもには参加者としてたくさんの交流を持っていってほしいなあと思っている。解放運動のなかでたくさんの出会いがあってそれが財産になっているので,娘にも財産になるような人間関係を持ってほしいと思っている。

 妻には,子どもが生まれたとき,出生届を違う住所にしてもらえないかと言われた。今、住所を変えても、出身が部落であるという事実は消えないこと。調べようと思ったら調べられてしまうということを話した。それならしかたないかなと思いながら納得してくれたようだ。

 妻は、解放運動を自分がやりたいならやったらいいと言ってくれたが,妻自身は関わりを持ちたくないと思っているようだ。ずっと一緒に暮らしていくわけだし,これからの課題かなと思う。

 今までの学校生活の中ではなかなか外国人問題を語ってもらえる先生がいなかった。学校の先生にはぜひ、子どもたちへ、ダブルの子も含めていろいろな教育をしてほしいと思う。

 

質問・意見

2,「洛友中学校の生徒の卒業後の進路は?」

 答:今年は2名の高校進学者がいた。オモニハッキョに行かれる方もある。

3,「形式的卒業が学びの壁になっているのではないか?」

 教育的配慮で卒業してしまうと2回目の義務教育は受けられなくなる。2名の卒業生が通信制高校へ進学したが勉強がわからない、もう一度入学できないかという相談をしてきたという例もある。それぞれの学びの場をどうするかということがこれからの問題。

4,「自分の友人でペルー人男性と結婚した友人がいる。子どもはダブルであるが、将来のことを不安がっている。アイデンティティがどうなるだろうか。自分が何者であるのか、不安を抱いているダブルのこどもは多いだろう。また、父母の間で見解が食い違っているこどもはアイデンティティの確立が難しいのではないかと思う。」

 

康さんより:アイデンティティの確立は周囲との関わりなしにはできないのではないか。自分は高校生の途中で本名に変えたがしばらくはとても不安定だった。大学生になって初めて、ヨンジャと呼ばれるようになった。(高校時代にはカミングアウトしてから、どちらの名前も呼んでもらえなくなってしまっていた。)そうしたなかでやっと、わたしは康玲子カン・ヨンジャなんだ、これが自分の名前なんだと思えるようになっていった。

 たとえ、先生ひとりだけであったとしても「あなたがこうこうこんな風であるということはとてもすばらしいことなんよ」というようなプラスのはたらきかけをたくさんしてほしい。 

 小学1年生のダブルの女子生徒が「先生、【混じってる】って悪いことなん?」と聞いてきた。1つの視点でしかものを見られない期間は、ちょっとその視点を変えてあげられるような働きかけが必要ではないか。社会的に活躍しているロールモデルを引き合いに出して、こんなふうに活躍しているひとがいることを伝えてほしい。

5,意見

 週1回洛友中学校に行っている。生徒さんが自分の名前を書きたくて行っているんですと言われた。当事者からその言葉を聞いた時、その重さにたじろいだ。別の機会にも、「自分の住所が書けるようになった。これが書きたかったんですよね。」としみじみ言われた。

 休み時間になかなか学習をやめない生徒さんにそろそろやめたらと言ったら、「先生、私には先がないねん。」という言葉があった。

6,質問「仲村さんは、通っていた学校で同和問題について話を聞いた記憶がないとのことだが・・・」

仲村さんより

 父が大工をしていたので山科、桂、大津と転校したが、大津のZ市の小中学校では同和教育を受けた記憶がない。何度も転校を繰り返したせいなのかなと思う。

7,意見

 大津でも京都市と同様の取り組みはなかったわけではないと思うが、個別の取り組みが弱かったのではないか。

 小学校のなかでもアンテナをはれば、子どもたちの声が聞こえてくる。そこを拾い上げることが大切。アイデンティティの問題はとても大切な教育の価値である。

以前、卒業前の在日の子どもに対して「1週間だけ本名で呼ばせてほしい」と伝え、本名を呼んでいたら、「だんだん私の名前が好きになってきたわ」と言ってくれたこともあった。

報告者より

大濱さんより:学ぶ場所を当事者にどう伝えていくのか。京都市立なので京都府下にもおられるたくさんの当事者にとって、夜間中学は存在しない。大阪でも夜間中学に対する予算措置が切られてしまった。この不況下で外国人労働者が切られているが、その子どもたちがどこへ行ってしまうのか。ブラジルに帰るのに家族460万かかる。派遣が切られてその上60万も出して帰れるのか。

 来年フィリピンから介護福祉の現場のために1617歳のこどもたちがやってくるが洛友で受け入れられるのだろうかという問い合わせがあった。課題はこれからも出てくるだろう。

康さんより:外国人をめぐる現状はこれから大きく変わっていくと言われている。将来日本は移民受け入れに合意するようになるのではないかと言われている。日本政府は国益優先であった。学校には生身の生徒がいて、学校の先生方は子どもたちと向き合いながら教育をがんばってくれてきた。祖父母の時代には人前で苦労を語るすべすら持たなかった。自分には血の通った人間関係があったからからこそ今の自分がある。教育現場があったからこそだ。先生方の学校での取り組みはこれからも機能していってほしいと思っている。

仲村さんより:京都市内の同和教育・人権教育はすばらしいものがあると思っている。部落のこと、外国人のこと、すべてにおいて平等に扱ってくれている先生がたくさんいると思う。

 今日、この機会に共有できたことをそれぞれが生かして、明日の学校教育に生かしていってほしいと思う。

参加者の声

・共生社会の創造に学校教育は,重要だが,地域「ご近所」の力をどう培っていくのか,「子」とともに「大人」をどうしていくかが課題

・貴重なお話を伺うことができ,自分を見直すことが出来たり,知識が得られたりして有意義な時間を過ごした。

・教育現場で,実際に生徒とどう接していけば良いのかが,少しだけ見えてきました。

・現場でも実践していこうと思いました。

・具体的なお話を聞かせて頂き,とても勉強になりました。

 

戻る