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第42回人権交流京都市研究集会

  分科会

「共に生きることをめざして」

〜これからの人権教育の課題と展望を考える〜

                     大谷大学2号館2202教室

             

やる気・根気・元気 〜負けたらあかん〜

                  杉田 明生(京都市立伏見南浜小学校)

 

 「もう一歩,共生のほうへ」 〜多文化共生教育の実践を通して〜

           ( そん )   美幸 ( みへん ) (京都大学人文科学研究所・元朱雀中学校)

 

 「百年以上前から始まっていた日本の侵略戦争」 

−東アジアに私たちはどう向き合ったかー

           仲尾 宏(京都造形芸術大学)

 

 

パネリスト 杉田 明生さん要旨

朝鮮第一初級学校との交流

同和教育を長く続けてきたが,この学校での課題は,何かと考えたら,様々な格差があり,2極化があった。この現実を教職員全員が認識することから始まった。子どもは,生まれる場所を選べない。無知は,差別を生む。93年から交流が始まっていたが,交流には,ねらいと具体的な計画が必要である。

交流のねらいは,@互いに理解し,ともに生きる態度A文化に対して親近感を持つ。具体的な交流は,6年生の交流,本校児童全体と文化的な交流,教職員間の交流である。

広がり→給食試食会,育成学級の交流,ユーアイスクエアー参加など→交流によって,民族の自覚や誇りに繋がってほしい。本名の卒業証書がほしいという声を待っている。

否定から肯定へ

 当初,拉致問題やミサイル問題などで交流廃絶の危機があった。教育の世界に政治やイデオロギーを持ち込んだらあかん。こんな時やから両校は,つながらなあかん。在特会の蛮行にひるんだらあかん。

その中で,交流に行きたくないと言っていた児童もいたが,交流を重ねる中で,朝鮮学校の仲間を一人の友人として考える肯定的な見方に変わっていった。

やる気・根気・元気+本気

 韓国からの訪問団もあり,意識改革から行動改革に変化していった。子どもたちが希望を持って登校し,満足して下校出来,自分のなりたい自分になるために(自己実現)遥かなる夢の途中である。

やる気・根気・元気+本気で,教職員も負けたらあかん。

 

パネリスト 孫 美幸さん要旨

自分の原風景

 いのちのバトンをひきつぐ→舞鶴港から帰国船に乗るかを迷った曾祖母がいたから,自分に命が繋がった。

96年に留学し,ソウルで総督府が崩れているのを見た。自分たちだから(歴史を)乗り越えられると感じた。

多文化共生教育を通して

@きっかけは,子どもたちの言葉から始まった。

「孫先生は,他国から来たことをいかして,…」

「日本人みたいな顏…日本人だとわかりました。」

「日本国籍を取って楽に生活してください。」

「どうして,日本の国籍にしないのですか。」など多数間違った知識や偏見があった。

A 基本的な文化理解から継続した人権学習の必要性

「朝鮮半島が植民地にされ,名前まで変えさせられたのに,その事実をほとんど知らないのが残念でした。」

「小学校では,日本軍が朝鮮を攻めて併合したぐらいしか聞いていませんでした。」

「孫先生のように外国籍で困っている人がいるのを改めて実感しました。」など文化・歴史認識が不十分。

B       韓流ブームに抜け落ちていく視点

 冬ソナブームから生徒の感想に変化,韓国の話題が増えるが在日の視点が欠落

「韓国料理が好きで,よく食べに行きます。韓国ドラマもよく見て,それがぼくの家の文化の一つです。」

C       自分のルーツに向き合う。

「私も孫さんと同じ在日韓国人です。…1番共感したのは,ゴマ油の話です。たまご焼きにゴマ油が入っていることが当たり前だったので,みんながびっくりしていることにびっくりしました。」

「私のおじいちゃんは中国人なので,なぜか孫さんの話に共感し,胸がキューとなりました。」

D多様な文化背景を持つ友人との関係を見直す。

「文化や言葉の違いがもめごとになったとわかりました。(外国籍生徒とのトラブルを振り返って)」

Eいのちのつながり

「孫さんの気持ちは,とても心に伝わりました。生きているということは,とてもありがたいと思った。

孫さんおお母さんは,苦労して孫さんを育て,僕の母は,僕を育ててくれた。」

「命の大切さに改めて気づかされ,これからは軽い気持ちで人を傷つける言葉を使ってしまわないようにしたい。」→ 命の繋がりという視点がとても大事と思う。

FGH 略

教育実践を通してプログラムの変遷と協働体制の変化があった。(持ち込み資料p9〜12)

今後の課題

@     外国人講師とのふれあい(長期的なふれあう機会が必要)

A     他学年における人権教育のつながり(理解を深めるために2年次のプログラムと関連づける。)

B     主体的な交流活動(学習成果の発表や海外との交流や学び合いの機会を確保など)

共生のほうへ

実践への批判的な視点

<協働化と教師の教育の自由>誰が誰とどのような協働をするのか,教師の活動が制限される可能性がある。

*目にみえる成果をあげることをめざす全体主義のもとで,教師たちが自己と同僚教師を追い込んでいくことにもなる。(資料p21)

<いのちの視点の死角> いのちや死を授業で考えたり,感動したりしたその先が何なのかを考える必要性がある。

パネリスト 仲尾 宏さん要旨

はじめに 1910年の「日韓併合」「韓国併合」と「韓国強制併合」「韓国併呑」

(日本のマスコミ)(一部)  (韓国のマスコミ)(小村外相案)*否決される。

1.「併合」以前の日本の朝鮮政策

(1)江華島事件(1875)と日朝修好条約→ 不平等条約の強要と朝鮮独立国を強調

   ・領事裁判権・関税自主権・日本通貨の使用と3港開港,福沢『脱亜論』

(2)日清戦争(1894〜95)

   ・朝鮮王宮の占領と国王軟禁,東学農民闘争弾圧 / 宣戦布告前の清国艦船撃沈

  「坂の上の雲」ごく僅かしか触れず。(大鳥公使「最高顧問格」・事務所開設)

 ・馬関条約=莫大な賠償金・台湾など日本領に ←尖閣(釣魚)諸島の沖縄県編入

   ・遼東半島の割譲と三国干渉(独仏ロ)→朝鮮の対ロ接近,福沢諭吉の反応

(3)日露戦争(1904〜05)

   ・明成皇后虐殺(1895)北京義和団事件の日本軍2万出兵(1900)

   ・日英同盟 / 桂タフト(米)会談→ 日露開戦

   ・第1次日韓協約(1903)日本人・米人の顧問団設置

・日露開戦さなかの第2次保護条約(1905)外交権剥奪,統監府設置,竹島

(独島)島根県編入→ 義兵闘争活発化→ 安重根の伊藤統監射殺,さらなる弾圧。

・第3次条約(1907)韓国軍隊解散,警察権も日本人に。

2.併合の実態

(1)日本案文の無条件調印を韓国総理に迫る。双方とも全権委任状なし→ 無効論

(2)8/22調印→8/29日本の新聞で明治天皇の勅書として発表,「国権譲渡」

(3)日本人の反応(参考資料) 寺内正毅統監・新渡戸稲造・花電車・提灯行列

(4)1910年の在韓日本人は12万人,在日は5千人→ 在日200万人の悲劇

まとめ

・司馬遼太郎史観「日露戦争までの日本は希望と武士道精神にあふれた青年であった。」

→ 日本の侵略の事実全体を見据えていない。私たちは,今司馬史観をこえる東アジアの歴史に

対するまっとうな認識を持てているか。

   ・多文化共生とは,互いの歴史認識を共有するところから始まる。そのためには,独りよがりの歴史観を棄てることから始まる。日本と日本人は,どうしてきたかを考えることにより明らかになる。

 

質疑・話し合い

司会「孫さんが本名で生きてこられたことについて,もう少しお話を聞きたい。」

孫「大学生の時に本名を名のって,就職した。京都市の教員に採用された。大学の時は,通名も捨てがたく

名前を併記したこともあった。韓国での様々な体験がアイデンティティ形成に影響を受けた。人権の課題がある子が,自分の名前(本名)に敏感に反応する。」

Aさん「孫さんが自分の歴史を話してくれたことに感じることが多かった。被爆2世の立場として,被害者として、また加害者としてのヒロシマがある。在日の人々の死亡率が高いこともそうだ。」

Aさん「センター試験の地理Bの問題に誤ったステレオタイプの問題がある。(問題点の説明)」

司会「在特会について説明お願いします。」*在日の特権を許さない会で,朝鮮学校に対する授業妨害・嫌がらせなど繰り返し,現在,告訴を受けている。

*杉田さん,仲尾さんから説明

Bさん「韓国併合に反対した日本人のことを教えてください。」

仲尾「幸徳秋水など社会主義者や石川啄木の書いた詩,朝鮮国に黒々と…秋風を聞く。」

Cさん「この分科会30年の中で,到達したものと課題がある。卒業証書を本名で記載する時期になって

児童や保護者と話し合うのは,6年間の外国人教育が十分でなかったといえる。」

Dさん「6年生社会科の外国人教育の内容がきちんと指導されているか,在特会の若者を含め,正しい

歴史を知ることがとても大事である。また,外国にルーツを持つ子どもたちが,自分のアイデンティティを持てるように支援することも大事である。」

 

第42回人権交流京都市研究集会アンケートより

     新たな認識を持つことが出来,良かったです。

     人権教育の大切さと難しさを感じました。教育の基本にあったはずの人権教育が今では,学力向上,教科優先,評価を大切にするような教育になってしまったように思われる。人権教育が実践出来ることが尊重される社会にならなければ,共生の取組も空しく感じられる。

     杉田先生の提案に共感出来ることが多々あり,孫さんのお話も期待を裏切らないわかりやすいものでした。元気を取戻し,原点を見つめ直す絶好の機会となりました。

     杉田先生のお話は,具体的でわかりやすかったです。「無知は,差別を生む。」というのは,その通りだと思います。勉強になりました。

     地に足をつけたしっかりした取組を続けられていることに敬意を表したいとともに,自分の勤務校でも広げていきたいと思いました。

孫先生の講演を聞いた長男は,高校の中で在日の友人が出来,その子に対する差別的な言動があった時,「そんなことは,やめよう。」と勇気を持って言ったそうです。いろいろな在日の方々との出会いが,きっとそうした言葉に繋がったのだと思います。

・ 内容が難しかったが,杉田先生のまとめがすばらしかった。

     熱い話に感動しました。

     とても勉強になり,自分の認識の甘さを自覚するとともに,もっともっと勉強したいと思いました。…少し自分と違う人や組織の中の少し目立つ個性について,風当りが厳しくなるのが京都市の職員室。今日の学びを自校や多くの場に広げていきたい。

     現在,子どもの置かれている状況は,とても厳しい。今日の話を聞いて,子どもたちが笑顔で希望を持って登校し,帰っていく学校を目指していきたい。その意味でも教職員自身が学び合い,育ち合う意識をもっと持ちたいです。

     自分の持っている知識や意識がいかに低いかということがわかった。今日の集会をきっかけに,今後もいろいろ学んでいきたい。

     いつも感じることですが,「目からうろこがとれる。」「もっといろいろな視点から学ぶことの大切さ」を考えさせられました。

     人権問題に直面しておられる方の意見が聞けて大変参考になった。

     大人も正しい知識を得ることは大切だが,子どもたちにも知識を教えていくことの大切さを改めて思った。終了時間を守るべきだと思います。

     今後もライフワークとして参加していきたい。他の人への参加,周知も更なる有効な手立てがあればと思います。

     差別の問題とアイデンティティの問題を考えることが出来た。

     論戦時間の確保には,パネラーは二人ぐらいの方がいいかもしれませんね。

(参加者 72名)

 

 

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