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第51回人権交流京都市研究集会

  分科会

部落と人権

  「居場所づくりとまちづくり」

午前中全体会映画「みんなの学校」より

                会場 大谷大学2号館2301教室  

            

基調講演

  

       木村 素子 さん(大空小学校初代校長)

 

 

 パネルディスカッション

 パネラー 

         村上 光幸(部落解放同盟京都市協議会事務局長・ 田中支部書記長)

        古谷 宏(部落解放京都市協議会事務局次長・西三条支部書記長)

 

         ★スペシャルゲスト(元大空小学校アシスタントティーチャー)

       コーディネーター

             井ノ口 勝彦(千本ふるさと共生自治運営委員会)

  

    担当団体      部落解放同盟京都市協議会

 

      分科会責任者   西名 貴史(部落解放同盟京都市協議

 

 

 

はじめに、コーディネーターの井ノ口さんから、午前中の全体会で上映された映画「みんなの学校」、その舞台である大阪市立大空小学校の初代校長である木村泰子さんの基調講演の後に、解放同盟京都市協議会の事務局役員であり、子育て中のメンバーにも加わってもらい、まちづくりと居場所づくりというテーマを考えていきたいと述べ、講演に移りました。

 木村泰子さん 基調提案

 『みんなの学校』とは

 「みんなの学校」は大空小学校の代名詞ではなく全国のパブリックの学校の代名詞です。パブリックはみんなのものです。その地域に生きるすべての子どもが安心して自分らしく学ぶ居場所がある学校が「みんなの学校」です。

貧困な家庭に生まれようと、「障害」があると診断されようと、すぐに暴力をふるってしまう子どもであろうと、子どもはすべて地域の宝です。10年後・20年後は地域をつくる大人になるのです。子どもはしてもらったようにして返します。残念ですが、やられたようにやり返すのも子どもです。学校が変われば地域が変わります。地域が変われば社会が変わります。現在の多様な価値観があふれる社会の中で生まれて育ち、義務教育を受けるのです。椅子に座れない子どもがいるのが当たり前です。親の言うこと・先生の言うことを聞く子どもを育てていたら、10年後の社会で通用しません。すべての子どもが「自分から自分らしく自分の言葉で語る」事実を地域の学校につくることが急務です。

子どもの周りのすべての大人が「できるときに できる人が 無理なく 楽しく」の合言葉で、地域の子どもと大人が学び合う関係を地域の学校につくっていかない限り、すべての子どもの命は守り切れません。学校に一人でも多様な大人の姿があることが画一的な学校の空気を多様な空気に変え、社会につながる学びを獲得できるのです。

「今日は誰が困っているかな・・」と、その日、困っている子どものそばにそっといてくださる地域の方が増えれば増えるほど子どもは安心します。学校と地域の連続した子どもの安心感を生むのです。

地域の学校は校長のものでも教職員のものでもありません。パブリックの学校は地域住民のものです。教職員は転勤や退職があり、年数がたてば地域の学校から去る「風」の存在です。地域住民はその地域に地域の学校があり続ける限り、「土」の存在です。「土」を耕し続けていただければどんな「風」が吹いても地域の学校は根を張り、少々揺れ動いても必ず復元する力を持ちます。そんな地域の学校で育ち合う子どもは自分の地域を大切にし、目の前の大人にあこがれをもち、自分が大人になったら同じように地域の学校の「土」になっていくでしょう。

すべての子どもは大人の前では弱者です。一人で生きていくことはできないのです。親が子どもを育てる時代とは言い切れなくなった今、地域の大人が地域の子どもを育てる時代です。誰一人見逃すことなくすべての子どもが安心できる地域の学校が「みんなの学校」です。

  

・大阪市内の大きい学校の教室足りなくなり、隣の地域に新しい学校をつくろうと行政がプランを出しました。ここから20年間、この大きな学校の地域住民が、地域差別を理由に新しい地域にできる学校に行くことを反対しました。この地域に開校したのが大空小です。

・校区割りができない状況の中で行政が選択したのは分校制度にすることでした。5・6年生が分校(現大空小の校舎)1年生から4年生が本校に通学するというものでした。

・この分校になってから3年目に、この大きな学校の校長に赴任しました。次の年に大空小の校長に転任したのですが、この一年間で学んだことは貴重でした。

・私は、なぜ隣の学校に行かせるのを署名までして止めるのか、本当にわからなかったのです。わからない間に、子どもはどんどん、見えないところで友達をいじめるし、新しいはずの分校の学校で、天井を突き破っているし、見えないところの廊下には、いっぱい落書きしている。授業中は先生の言うことをおとなしく聞いていて、休み時間になったら、弱い立場の子がとても悲しそうな顔をしている。一体これはなんだ。私はその時に子どもを守らなければならないことを痛感しました。

・子どもとは「自分がされていやなことは、人にしない・言わない」を大切な約束としているが、「大人もしてるで、大人に先言いな」と子どもが訴えている空気が学校に蔓延していました。自分より、格下と思う人間はいじめられてもしょうがない。「障害」があるとか、ものを言いにくいとか、勉強できないとか、走るのが遅いとか、そういう子は、当然、学校は地獄だっただろうなという空気がつくられていたのです。

・被差別部落のある地域にできる学校に自分の子どもは通わせたくないと思う大人がいるとは、一体これ今何世紀の時代なんだとさえ感じ怒りしか生まれなかったのです。一体どんな教育を受けてきたのか。人権教育を大阪市は大事にしてきたはずが、目の前にある事実が現実だったのです。でも、怒りを覚えたその後、すぐ気づきました。誰のせいか。返ってくるのは自分でした。私は大阪市で30数年小学校現場で教員をしてきました。自分の中で、人権教育や同和教育を学んだり研究したりというような経験値はゼロに近いです。でも、そういうことを全然勉強してないけど、生きていておかしいことはおかしいと気づきます。どうして、過去につくられたいわれなき差別がこの今の時代にあるのか。言ったらあかんということは知っているんです。人権教育を受けているから、言わない、差別してないよ私は、でも自分の子どもを通学させるのはいややねん。これが人が持っている、自分の中にある見えない排除、見えない差別。そういうのを持っているということを、この一年間で誰のせいでもない自分に突きつけられたのです。

・このような経緯で2006年4月に大空小は開校しました。始業式、大人から反対のシャワーをあびせられていた子どもたちは不安そうでした。校長が「いい学校つくろうな」「心配しなくていいからね。」と言っていた時に、突然、一人の子どもが「うわー」と叫びながら走って入ってきたのです。その時の講堂の空気は(だれ?この子大変な子や・・迷惑をかける子やな・・こんな子が入ってきたらみんなが困ってしまう・・)校長の私がそう思い、話も止まってしまいました。校長の話を聞いてた子どもも、入ってきた彼を見て「うわ、何?」って、男の先生が追いかけたら「ぎゃーっ」って走り回っています。私は、心の中で「困るなあ」と思った気持ちを隠し持ちながら、きれいごとは口から出るわけです。この子どもは過去の小学校5年間の出席日数は確認されていません。信じられないのですが、学校に行けなかったんですね。何度か引っ越しもしています。前の学校の引継ぎがないんです。前の学校に連絡せずに転校してきたので、突然来たんです。重度の「知的・自閉」の診断を受けていました。

この子どもとの出会いが『みんなの学校』のスタートです。いい学校をつくるために「普通」のスーツケースに入らない子どもは「特別」の枠に入れたくなる。まさに、目的と手段が混同されるのです。「いい学校」はそこで学ぶ子どもが判断することなのだということを教えてくれたのです。開校当初のこの失敗をやり直すことから学校づくりをスタートさせました。

・やり直しをした大空小では「インクルーシブ」とか、「分ける・分けない」などの言葉は使いませんでした。必要がないからです。通級とか交流とかという特別支援教育も主語が大人だからできるのです。主語を子どもに変えたら、できません。

・「普通」のクラスの子が、先生、誰々算数の時間に向こうの部屋に行くけど、なんで、算数の時間だけ向こうの部屋に行くの?と聞かれたら、大人はどう答えますか。

ある講演先での小学生の子どもとの対話です。

「大空小学校はいつもみんな一緒にいるのですね。うちの学校は違うよ。自分たちの教室は普通の教室があるけど、セイちゃんとかのお友達は、特別のお部屋にいるよ。」と言うのですね。そこで、質問しました。「何で、セイちゃんみたいなお友達は特別の部屋にいるの?」と聞くと、「僕はよくわからないんだけど、先生はみんなと一緒のことができないから、同じことができないお友達は違うところで、この子のできることをやるのよ。だから、違うお部屋でお勉強をするのよ。」と、先生が言っていたとのことです。「じゃあ、あなたはそのお友達をどう思うの?」と聞いたら、「僕たちと一緒のことができなかったらかわいそうかな。だから、大事にしてあげなくっちゃって思う。」こう言うんですね。私は、初めて会ったその子に「あなたとその子の違いは上や下はないと思うけど」と言ってしまい、その子を困らせてしまったのですが、先生にお世話してあげてと言われたら、お世話をしてあげる。こんな関係を先生がつくってしまっているのです。子どもは子ども同士の関係性の中で育ちます。すべての大人が問い直しをしなければみんなが安心して生きていける社会は作れないのではないかと強い危機感を持ちます。

・全ての子どもの学習権を保障する学校づくりは憲法26条です。当たり前のことです。この数年、子どもの数が少子化で減ってきてるにもかかわらず、10代の自殺率は過去最高です。「不登校」の子どもの数も過去最高、この2~3年で3倍以上に増えています。インクルーシブ教育をと文科省が唱え始めてからです。特別支援学級に在籍の子どもの数も3倍に増えている現状です。身体の「障害」がある子どもの数は横並びですが、「発達障害」という診断名をつけられる子どもたちの数が急増して普通学級から特別支援学級に移ってます。特別支援学校の先生方は、この映画が出始めた5年前はこの映画にとてもお怒りでした。特別支援学校を否定しているのかと。ところが最近はその先生たちがこの映画を上映され、自分たちで保護者を集めてセミナーを開かれています。本来の特別支援学校のニーズではない地域で学ぶべき子どもがどんどん特別支援学校へ逃げてくるという状況を止めたいからだそうです。これが、いまの状況です。

 「障害」のある子の支援の前に「普通」で学ぶ子どもが失っている力を問い直すことが必要不可欠です。困っている子が困らなくなるのは、こまっているこのまわりをいかに高めるかに尽きるのです。

 これから皆さんと本音の対話ができればありがたく思います。

 

井ノ口;ありがとうございました。今回、スペシャルゲストとして来ていただいた柳田さんにも少しお伺いしたいと思います。自己紹介がてらお願いします。

 柳田;私は2013年、14年の1年半、大学院生だったときにアシスタントティーチャーという形で、研究を兼ねて通っていました。大空に行くきっかけ、2013年の9月に通うことになったんですが、午前中の映画、あれが上映される前のことで関西テレビのドキュメントとして、映画の原型となる短い番組が深夜に放送されていました。それを私は見ていて、直感的にここに行きたいなと思いました。研究テーマに合致するということもあり木村先生に直筆の手紙を書き、ぜひ参加させてほしいということで出しました。するとメールで、「大空小学校はみんなで作る学校です。柳田さんもぜひ来て大空小学校をつくってみてはいかがですか」と返事がきました。大空小学校は来る一人一人、地域の人も、学生もお客様ではなく、自分がどう動くかを考えて作る学校です。メールをいただいて初めて行った時、それまで教育や心理学を勉強していて他の小学校に行ったこともあるんですが、そういうのは、みんなで授業を見て、その後子どもたちが居ないところで検討してとかが多かったが、大空小学校では、じゃあ、自由に見て、とほっぽり出されて自分でも子どもたちとやりとりする、自分で考えるというところがあった。伝えたいことは、映画の中で、様々な姿があったが、どうしても校長先生のリーダーシップがあるからできるのではという見え方をしてしまうが、見えてないところで、一人一人の先生方、地域の人の関わり、で、校長にも見えない子どもの姿やアシスタントティーチャーとして、僕が入って行って、僕にしか見えない関係性、それをみんなで共有して行く、それで、みんなで子どもに対して向き合って行く、というのがみんなの学校のあり方でした。それは、何をファーストにしているか。子どもファーストだから、みんなで向き合わないと見えてこないことがありました。

 

井ノ口;パネラーの紹介をさせていただきたいと思います。

 村上;私も障害を持つ親として、この分科会に出てくれという要請に対して、すごく悩みました。やはり、自分のことではなく、子どものことを語るというのは苦渋の選択、実は、先生の本を買って読み、よしこれで出ようと思いました。僕自身、障害を持つその子を固定化して見ているということに気付きました。部落解放運動をしながらも、幅を狭めることによって子どもの可能性も狭めているんではないかと、実は気付いたんです。なので、校長室からのやり直しではないですが、部落解放運動からのやり直しということで、決意を新たにこの分科会をやり直しの気持ちで臨んでいますので、よろしくお願いします。

 古谷;実は、この集会には十数年前から関わっていて、いつも裏方でした。今日も午前中の全体会では3階の映写室で、音量や照明の調整をしていました。急遽パネラーとして参加するということで、村上さんは、事前に本を買われて内容を勉強して、この場に臨んでおられるわけですが、僕は性格上ぶっつけ本番で臨んでいます。自分が暮らしてきた西三条地域というのは、25年前1995年から福祉で人権のまちづくり運動ということで、それまで、地域だけで活動してきた内容を外に広げていかなければ。自分たちが解放することが運動の解決に繋がるということでいろんな活動に取り組んできました。先ほどの先生のお話で、被差別部落に学校ができるから、反対を受けたと聞いて、僕らも活動を始めた頃は、周辺地域の方と夏祭りなど一緒にする時、例えば僕らがつくった食事をその方に食べてもらうというとき、あの人らがつくったものは食べられないわ、という状況からスタートして、いま、25年経っています。今は、そうしたことは全くなくなり、交流を通してお互いに理解を培うというそういう時間が解決に繋がってきたのかなと感じています。これは、言わないでおこうかと思っていましたが、今、村上さんが言ったので、僕も言いますと実は、子供が女の子3人いるんですが、一番上の子が自閉症スペクトラムということで5歳の時に判明し、自分なりにいろんなことを感じながら今18歳になりましたが、今日、「みんなの学校」を見て、自分の子育てと学校を通して見てきた子供と重なる部分もあって、やはりいろんなことを感じてきたので、今日は皆さんと色々お話ししていけたらと思います。

 

井ノ口;僕も映画を見て、職員、子どもたち、みんな生き生きとしているなと思いました。地域の人たちもですが、そう言った関わりをどうやって、巻き込み、つくっていったのか教えていただきたい。

 

柳田;私が参加したのは、大空小学校が開校して、8、9年目くらいだったと思いますが、その時につながりは、すでにいい形でできていたので、門戸はいつも開かれているので、子供とどのように関わってもいいよという、アシスタントのサポーターということで地域の方が入る仕組みというのはあったんですが、そういうので関わっている方もいるし、したい時、常に主体的に関われる環境にありました。

 

木村;地域の人が授業に入り、地域の人が学校にいることが当たり前の空気を吸っていたと思うんですね。周りの学校がそうでないとすれば、当たり前の違いをそこで色々感じていたのが、彼かなと思うんですが、地域をどう巻き込んだかというのは、これは、ものすごく簡単なことで、当たり前のことなのです。

・9年間で50人を超える子どもが、いじめられたり、「障害」があるから放り出されたり、学校に入れてもらえなかったり、ケース会議が潰れてしまったり、本当に困ってる子どもが50人を超えて大空に転校してきました。その子たちが、大空ではみんな毎日、喧嘩しながらでも学校でいるんです。学校に来ることが当たり前なのです。

・そんな子どもたちに大空にはどうして来れるのかを教えてもらうのです。子どもたちはそれぞれに「空気が違う」と言います。空気は見えないけど、前の学校の空気はどんな空気かと問うと、「刑務所」「牢屋」「監獄」と答えます。セイシロウは牢獄と言っていました。ユズキは刑務所と言いました。「勝手に動くな、勝手に喋るな、逃げるな」と学校は言う、刑務所と一緒やと言いました。残念なことですが納得せざるを得ないです。

・次に大空の空気はどんな空気なのかを聞くと、「普通」っていとも簡単に答えます。

・従前の地域で反対していた人たちがどんどん子どもの味方になってくれました。高齢者も変わっていく。変わっていった理由もたった一つです。理屈ではないのです。学校に来て、困っている子の横にそっといるんです。学校に来て困っている子を探しに来るのです。先生は授業が上手とか、この先生はサボっているとか、ゴミ落ちてるとか、こういうのを探しに来る人は出入り禁止と、門の看板に書いています。

「子どもと一緒に学ぼうと思う人は、どうぞ入って一緒に学びましょう」。

・地域の空気や地域の力が、パブリックの地域の学校になかったら私たちの学校の教員だけでは1人の子どもの命も守れません。今の時代、つらいことですが、親が子どもを殺す時代じゃないですか。どれだけ機嫌よく家に帰っても、親に殺されたら次の日子どもの学習権すら保障できないのが学校です。地域の人が子どものたんこぶ見つけたら、その子に、「夜、近くいくから叫ぶんやで」と言う。そんなの、教師にはできません。教師は自分の家に帰るからわかりませんよ。これが学校で働いている私たち教員ですよ。だから地域の学校にとって私たち教職員は単なる「風」。通り過ぎる存在ですね。でも地域の学校にとって、地域住民は「土」。

・そこに地域の学校があるかぎり土を耕してくれたら根が張るんですよ。少々台風みたいな風が通り過ぎても、どれだけ揺れても、復元します。「すべての子どもの学習権を保障する」この学校の理念は、地域の学校がそこにある限り、地域住民が土を耕しているかぎり、持続可能です。今の人たちがみんなで、今の大空をつくっています。

地域住民が学校で困っている子を助けようと思うことは、当たり前のことです。これが地域の大人の仕事です。

・いつでも、学校には地域住民が困っている子を探しに来る。障害のある子が困っているという考えは健常と言われる人たちのおごりです。困ってないのにいらないことしないでほしいと子どもは思っています。「障害」がある子が困るのは、「障害」が理由ではなく、その子の周りの社会や環境に障壁があるから困るのです。その困っているときに、どうしたら困らないようになるか? 周りを育てる、周りを変えていくしか困らなくなる方法はないんです。こういうことを次から次へと私たちが教えてもらえたのは、学校の中に多様な空気が入って、地域の人たちがいつもいて、先生が子どもに「バカヤロー」とか言って子ども逃げ出したら「先生はバカヤローと言ったけど、あんたが嫌いでそんなこと言ったんじゃないんやで」とか通訳してくれる。そのおかげで仕事ができていると心底大空の教員たちは思っています。

・ギブアンドテイクの関係をやめて、ウィンウィンの関係をつくりました。対等な関係。子どもは一瞬で巻き戻しができる。子どもが憧れる存在としての多様な大人がいること。柳田さんがいて今日は平和だと思える。イコール俺は俺でいていいんだ。自尊感情90%を下回らない大空です。違っている自分が、多様な大人がいることで違う空気を吸える。だから学校に行けない子が来れるようになる。それだけです。いい先生が集まっている、いい地域だったんだと、そこに言い訳を持っていってしまわないように、「みんなの学校」はどこでもできることだということを伝えたいです。

 

村上:地域との連携ということで、僕自身は難しい質問だと思っています。今日の基調提案にもありましたように、京都市では団地再生計画が出され、私の支部がある養正、田中地区も入っています。それを受けて、地域のリーダーと話を進めていくんですが、リーダーだけでできるものではないんです。たとえば、映画(みんなの学校)でいうと、管理作業員さんや、保護者、そうした人たちとの連携が必要。住宅再生の計画が示されますが、地域全体での取り組みを、どうつくっていくか、それぞれの団体のリーダーの高齢化もすすみ、70代が多い。次世代につないでいくことも課題です。やはり、住むひとたちが主人公ですので。

・自分の子どもについて話しますと、少し不登校気味なんですね。でも、その原因は、僕にも家族にもわからない。本人にしかわからないということで、学校の先生ともやりとりをするんですが、学校に行くのがしんどいと、それしか言葉が出てこない。朝の時間がどんどん過ぎて、毎日のように遅刻をしていきます。休んでしまうときもある。うちの連れ合いがいつも言うのは、学校に行けなくなるのが一番怖いと。なので、地域の連携というのが必要ですが、地域のパトレンジャーは正直できていない。何か行事のときに行ったりしますが、「普通」にできていない。

・個性と特性を、固定化して見てしまって、可能性を狭めているんではないか。障害を持って生まれることも、被差別部落に生まれることも、その子の責任ではない。そこで自分の命を守って大人が適切にかかわることで、子どもの幅も広がっていくのではと思いました。

古谷:西三条地区でも去年、まちづくり協議会が立ち上がり、いよいよ本格的に取り組んでいく。大空小学校、みんなでつくるみんなの学校。この学校というのを地域に置き換えて、みんなで活動していくのも大事かなと思います。西三条まちづくり協議会の会長は、朱雀第4学区の自治連合会の会長になっています。周辺地域と一緒に、学区の取り組みとして進んでいくことが支部の理念でもあるし、そういった地域づくりをしていきたい。

 

井ノ口:今、二人の発言にあったように、京都市内は住宅ストック活用計画というのが市営住宅、改良住宅で進められていて、空き家を集約して潰して、残っている住宅を改装したりしていますが、やはりひとり親世帯や高齢者世帯が多くなっています。そこでしんどい子どもが増えている。そうした課題にはどのように向き合ってますか?

 

古谷:自分が子どもの時、僕は、3歳で親が離婚しまして、「宏はお母さんしかいないから、みんなで気にしてあげないと」と思ってくれていたのか、あるいはかわいそうと思ってくれてたのかわかりませんが、とにかく町内に行くと、いろんなおっちゃん、おばちゃんから声をかけてもらいました。新しい父がくると、「宏、あのおっちゃん大丈夫か?」と聞いてくれたり。じゃあ、今の子はそんな風に声をかけられているかというと、そんなコミュニティはないのかな、と思う。これは限界に近付いているので、答えは出ていませんが重要な課題としてとらえています。

 

村上:うちの養正では独居高齢者を対象に、養正まちづくりの会で福祉センターに来てもらって、茶話会やカラオケをしたりしています。旧隣保館であるいきいき市民活動センターでは、月に1回子ども食堂をしたりしています。

 井ノ口:親ごさんとの関り方、どんなふうに地域で暮らしていたのか、木村先生と柳田さんに聞いてみたいのですが。

 

木村:理屈は言えないので、子どもに教えてもらった事実しか語れませんが、私が一番学んだのは、レイです。レイは両親はいますが家庭は困難です。彼が1年で入ってくるとき、あの子が行くんだったら大空やめようと。これが開校2年目。まだまだ地域はレイの両親が道を歩いてたら、離れていく人がいました。

・このレイが安心して学べる学校をつくることができれば周りの子どもたちはもっと安心します。学校が困ってることを地域に発信することが大事だとも再確認しました。レイの困り感を共有する人が増えるごとに大空の学校や地域の空気は変わっていったのです。レイは地域の人たちを信頼し、地域に自分の居場所を見つけていきました。

 

柳田:やはり、常に誰かがいる。保護者や、久保田さん、パトレンジャーの方。当たり前にいるので、地域の力が当たり前にあったという感じ。逆にそれがなかったらと思うと、大きな違いがある。学校の入り口に入ってくるまでに子どもたちは、地域の方たちとしゃべったりして来ているし、教室の中でも、地域の方がいるし。子どもとおしゃべりしたりしているし、それがなければ大空の教育は全く違うものになっていたと思います。

 

井ノ口:会場から質問があればどうぞ。

 Q:藤森小学校の教員です。映画をみて共感、心が震える場面もあった。自分も小学校の5年生を担任している。授業をどうしていたのかというのが気になった。国語や算数などの教科を、特別支援がなくどうしていくのか。

 

木村:先生方のセミナーとかに行くと、だいたいその質問がでます。学校で子どもがつける学力。学力という言葉を使わずに学力を語れないか。おそらく、小学校はこの4月から文科省が主体的対話的深い学び、新学習指導要領で社会のニーズが変わってきたから、こんな力をつけるべきと変わってくる。ということは、現状の学校は今年度の3月31日から4月1日に、正反対の方向を向かなければならないくらい。主体的な子どもを育てていかなければならない。じゃあ、主体的な子どもの姿はどういった姿なのか。職員室で、雑談でもなんでもいっぱいされていなければならない。

・例えば学校では、廊下は右側を歩くというルールがあるとして、先生に言われなくても自主的に右側を歩く、こんな子供を育てなければならない。右側を自主的に歩く子ども。こんな自主的な子どもは、3月31日で終わり。4月からは主体的。この自主的と主体的の違いをクリアにしなければならない。

・主体的というのは、廊下を右側歩く、何のために右側を歩くのか、ルールを守るため?ルールを守るだけの子どもをつくったら、多様な社会、いつ何がおこるかわからない。なぜ、右側を歩くのかというと、ぶつからないためでしょ。じゃあ、右側を歩こうと言っていた学校は、ぶつからないように歩こうと、先生の言葉を変えていかなければならない。左側を歩こうが、右側を歩こうが、ぶつからないように歩く、今は、どこを歩いたらぶつからないだろう。常に一人の子が、自分が考えて、自分が判断して、自分が行動する。自分が行動したら、失敗したときに、誰のせいにもしないで自分のためにやり直しをしていく、これが主体的な力です。

・この力を全ての授業でつけるのです。国語算数理科社会、授業の中の一番優先しなければならない学力は何だろう、と考えたときに、子どもは10年後どんな力が必要か。隣に重度の障害を持った人がともに働く社会です。外国の人もいっぱいいるし、男に生まれたけど女になりたい、同性の結婚も当たり前になるよね、先生が知識を教える、それはAIに取られてるんじゃない?こんな話を毎日していた。じゃあ、学力とは何?と考えると、ごまかさずに、学力を「見える学力」と「見えない学力」に分けました。見える学力は、先生に教えてもらったことを、インプットして記憶したものを、ペーパーにアウトプットする。これで点数がついて、通知表がつく、評価ですね。これを見える学力としました。この見える学力は10年先に必要だろうか。あんまり必要じゃないな。これは先生がいなくてもパソコンの前でできるね。じゃあ、10年先に必要な、多様性、共生社会、想定外、ここを一人の自分が自分らしく生きていくための学力を「4つの力」としました。

・この4つの力は、「人を大切にする力」「自分の考えを持つ力」「自分を表現する力」「チャレンジする力」この4つの力があったら、どんな社会でも自分らしくなりたい自分になれるだろうと考えました。すべての子どもに必要な「4つの力」です。じゃあ、対話って、子ども同士がお互い話し合って、合意形成をして、AでもないBでもない、新しいC案を生む。これが対話ですから。先生が教えていたら、必然的に対話の時間を奪ってしまいます。子どもが自分で考える、自分が判断する、自分が行動する、失敗する、やり直しをする。こういう力をつけるためにも「4つの力」を私たちは授業評価にしようと決めました。

・だから、これまでのように教材研究をして黒板の板書を考えて、指導案を考えて研究授業をもとに授業をよくしていく、こういう考え方は全部断捨離しました。45分間の授業の中で、10分以上教員はしゃべらない。こういうチャレンジはよくやりました。10分しかしゃべらなかったら、あとの35分は子どもが動くかしゃべるか、何かしなければ進まない。今までの先生が評価されるいい授業という一面的なとらえ方は問い直しました。子どもは困ったら自分で自分の学ぶ場を見つけて行動します。教室が無理なら職員室に来て自分に合ったプリントを見つけ出し、ここがわからないとなったら地域の人がぶらっと職員室に入ってきたら「教えて」とかかわります。地域の人は「〇してや」と言われる。これがわからない子が、自分でわからないと表現して自分の意志で、違う部屋で勉強する。自分で決めて自分でやったことは身についていきます。こういう授業の風景を想像していただけたらと思います。

・学ぶ力をつける子どもの前の教師は誰よりも学びのプロにならなければならない。自分の中ありのままを出していたら、みんながありのままを出すから、ありのままを出していいんだなと。そのありのまま、当たり前と当たり前がぶつかるから学びが生まれるんです。授業は何のためにあるか。子どもが自分を作るために授業はある。知識を、学習を、算数の勉強がわかるようになるためにあるものではないんだと。今社会のニーズ変わっている。その力が10年先には必要になるよと。どんな社会をつくってほしいかと。そんな風なことをいつも正解なんかどこにもないからみんなでいつもああかなこうかなと言っていただけでいい授業ができてるとは思えていませんでした。

・でもこういう言い方をすると、見える学力を無視していた学校でそれでいいかなと不安になると思いますが、全国学力テストをすぐにやめろと言っている人間があまり言いたくない話ですが、結果として「見える学力」は向上しました。

・今の社会は事実を語る大人が少なくなっていると思いませんか。事実と批判は違う。事実を語れなかったら事実を豊かにするのが私らの仕事なのに、子どもの事実から始まって、子どもの事実に変えるのが私らの仕事です。

・人のせいにしない教育はぶれないでしてきたつもりです。誰が暴れていようが何しようが、学ぶのは自分です。子どもは先生が教えてくれないからなんて、全然言いません。

・先生、間違ってるからどいてや変わるとは言いますが、人のせいにはしません。これはいつも一緒にいることが当たり前と言う、当たり前の、問い直しをしたからだと思うんですね。みなさんが納得できるような、こうすればこうなるということは言えないので、正解はどこにもないので、特に授業の質問してくれた先生、ごめんね。ありがとうございました。

 

Q 私の子どもは、自分の痛みや、困ったこと、どうしても主体的に発信してくれない。ということが悩みの種なんですが。

 

木村:正解はどこにもありませんよ。大空にも、痛みについて、何も言わないこどもがいました。子どもは、なんで言ってくれないのか、と思っている間は、子どもは何も言ってくれませんでした。でもどうしたら言ってくれるかと発想を変えたら、全部言葉が質問形式に代わっていったんです。普段のしゃべり方から、いつもいつも問いかける。でも、いつも誰かが自分に聞いてくる。じゃあ、自分の言葉で返したらいいんだ。その時に「ああそうなんだ」と返してくれる。この経験が重なると、成功体験になって、自分の言葉で語るという子供が増えてきたような気がします。ご質問の答えにはなっていないですね。ごめんなさい。

 

 

■その後も、映画で、講師から教員になったザオヤ先生のその後や、働き方改革について。また、映画での子ども達、セイシロウ、ユズキ、カズキが現在どうしているか、などの質問があり、木村さんは、とても丁寧に答えてくださいました。

 「特別支援」などではなくみんなと一緒に学校に来て、一緒に卒業していった子どもたちは、それぞれが受け取ったメッセージを社会に、次の世代に「今度は自分が伝えたい」と努力している姿を紹介していただきました。

特に印象深かったのは、セイシロウが残した5年生への卒業メッセージが、「5年生のみんな、人間にとって一番大切なのは平和です」「それを聞いて教職員の私たちみんな、ずっこけたんですね。」というくだり。そして「平和ってとっても簡単なんですよ」「自分が今いる、自分の隣にいる人だけを自分が大切にすれば、一瞬で世界中の人が大切にされます。平和って簡単でしょ」と言ったセイシロウくん。文科省の幹部たちが集うインクルーシブ教育の検討会で「障害は個性です」と言い切ったこと。「僕がマイペースでおれたのは、回りの友達が僕を尊重してくれたから」など、彼の存在の内部で熟成され、主体性として示されるその言葉が、大空小学校の存在をとても分かりやすく表していました。

 

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