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第37回部落解放研究京都市集会

  8分科会

 私自身と差別問題

自由な対話が成り立つ人々との交流の場を求めて

                              京都会館第1会議室

 

話題提供  廣瀬 光太郎(京都市交通局部落問題研究会) 

        松田 國広(京都市職員部落問題研究会) 

参加者数  30名

話題提供内容  

1 「部落問題どこへいく」 (廣瀬 光太郎)

 ・ 同和対策事業特別措置法 地対財特法の終焉後4年を迎えようとしている。

 ・ 京都市行政の中から「同和」という文字が消えてしまった。

   例 人権文化推進課  コミュニティセンター

 ・ 2005年中に「部落問題」をテーマとした研修を行った所属の数は?

 ・ 部落問題はどこへ行ったのか,すでに解決した問題なのか。

 ・ ハード面,就職,教育等各部落の現状はどうなっているのか。

 ・ 解放運動との関係において行政の主体性はあったのか。

 例えば新潟・石川・富山・山形等解放運動が前進していない所において行政は部落 問題の解決に向けてほとんど取り組んでいない現状がある。解放運動の水準に行政 は照応しており,運動が活発なところは行政は施策を実施している。

 ・ 未組織の部落についての課題をどうしていくのか。

 ・ 在日問題,女性問題,障害者問題等運動が弱いところにおいて行政の対応はど   のようなものか。

      部落問題の今日的課題として,就職問題について,行政への雇用対策が打ち切られたことは民間への就職できる力が部落で培われた結果なのか。

 ・ 教育についても部落が国公立大学への進学できる力が培われたのか。

      職員採用試験において,その多くの合格者は圧倒的に大学生である。例えば20人募集を行った場合,高校卒業

生の就労確保のために大学生枠10名高校生枠10名等の考え方はできないか。 弱者の立場をどう行政は保障するのか。

      各部落においては高齢化問題・青年層の部落外への流出という二極化現象がますます起きているという問題に対して運動・行政はどのように取組を進めるのか。

 ・ 施設の一般への開放を部落問題の解決にどうつなげるのか。部落では,コミセ   ンの民間委託を見据えNPOの立ち上げや地域のまちづくり・交流・市民啓発   事業等の取組の強化が進められている。ここにおいて部落問題の重要な課題で   ある就職・教育保障をどう取り組んでいくのか。

      部落出身者自身が,部落に生まれ育ちお互い共有できるものが希薄になってきているのではないか。(差別を共有し差別との闘いを力とするもの)

 

2 「私の視点」 (松田國広)

      法期限後4年が経ち,部落問題(同和問題)が一差別問題として取扱われてきた。このことは,ごく当たり前の市民感覚として感じられる。行政も部落問題イコール差別問題としての位置付けを「変えて」きた。いや「変えた」といってもいい。法切れは財政執行を伴う事業が出来ないことを意味する。(ただ,まだ継続した事業及び経年的な事業は残っている。)

 行政がこれまで部落問題に関わったことは,まず評価する視点を持つことからはじめる。そして,運動側は行政に対する批判や総括を求めることと同時に,評価も一定認めることも必要ではないだろうか。運動の総括というものは一方的に問題を指摘するだけではなく,多面的に見なければいけない。また,行政側にも同じことが言える。

      <現段階の捉え方> 特別?としての冠がなくなり,行政側の部落問題の捉え方が市民の目線から見るとわからない。以前から指摘されていたことだが,行政と運動側のみが向き合っていただけではなかったか。現在でもそのことが引き続いているのだろうか。周辺にいる人たちの存在は?市民不在が今もある。そのことにいまだに気づかない。行政は「法期限」の切れ目は縁の切れ目だと思っているのでしょう。行政と運動側の対峙で同和問題の解決の方法はできなかった。同和問題の解決とは何だろうかと考えてしまう。答えを求めながら自問自答する。      

 

 

 

 

意見交換(概要)

男性 行政〉 

  職場研修の企画を担当している。従来は画一的な内容の研修を行っていたが,一昨年から各職場ごとに題材を選び,自由に自主的な研修を行っている。一昨年は部落問題を扱った職場があったが昨年はなかった。実際に接することの多い障害者,高齢者に対する接遇研修が多い。広く人権問題を捉える中で部落問題も行っていく必要がある。雑誌BUBUKAの例にもあるようにまだまだ差別意識が根強く残っている。

男性 行政〉

  行政依存されることは行政としてうれしいことではないか。行政機関は住民のために仕事をしている。同対法の目的は部落差別をなくすこと,施策を行えば部落差別がなくなるという考えであった。行政機関にお願いしてできないこととできることがあるのではないか。部落差別がどのような形で現在存在しているのかを考えていきたい。同和地域の線引きはなくなったが部落は残っているのか。部落の者,部落でない者が存在しているのか。部落の者が共有する問題があるのか。部落民とは誰のことなのか。同和対策事業の結果どうなったのか,部落差別をなくすことはできなかったのか。部落外の人が部落民をどう思っているのか。部落民は自分のことをどう思っているのか。この2者の関係はどうなっているのか。

廣瀬〉

  今日的な部落の現状,課題実態調査の結果が明らかにされていない。何も見えてこない。民間への就労がまだまだ突破できていない。高校卒業がむずかしい。中退者が多い現状を鑑みると教育面での課題があると言える。

松田〉

  部落で生まれ育った者が力をつけて地域外に出ていくということは,同和対策の 成果として評価できると考える。

廣瀬〉 

  住民から声がなければ行政は動かない,声が上がらないところでは行政が主体的にかかわらない。水平社宣言により差別を受けた兄弟達が集まってきた。水平社から今日まで運動は脈々と続いてきた。交渉の場がなくなった。糾弾闘争を組んでいくことが必要。

松田〉

  一般施策の中では,自治会活動の中でやっていくべきだと思う。特別施策としてやる必要性は?従来自治活動がなかったから運動が担っていたが現状では施設の一般解放への移行等現実的な対応を考えれば良い。

廣瀬〉

  私の考えが古いのかも知れないが,部落差別の結果として生じているものがる。 それが部落問題である。

松田〉

  部落差別の定義があるのか。地域の不都合な部分は行政に依存する(良くしても らう)ことで解決できるのでは。

男性 行政〉

  全国的な部落の現状はわからないが,京都市においては環境改善,雇用促進が進んだことは紛れもない事実である。公務員への雇用の数が減る,民間への委託が進む等により部落の中にもニートができている。雇用促進の復活はできていない。今後10〜20年を考えれば厳しい状況になっていくのでは。

〈男性 行政〉

  行政職員で地元ではNPOや解放運動に関わっている。地域で感じることは,就労,教育,環境等の面において部落住民は安定してきたことである。NPO等への運動の転換を図っている中で,解放運動に対する偏見をチラチラ感じながらも地域交流やまちづくりの視点が大切であるから,従来の気持ちを抑えながらやっている。こうしたNPOの活動を通じることで少しでも住民の意識(偏見)が変わるのではと思っている。解放運動だけでなく施設の活用等地域全体でどうしていくのかを進めていくことが必要であり,運動側からすれば生ぬるいと言われるかも知れないが,いろんな手段をしていくことが必要であると考える。 

男性 行政〉

  運動体は十分役割を果して来られたと認識している。自分は地元の自治会役員として昨年活動したが,高齢者に対すること,子どもに対すること,防災に関すること等いろんなことを自治会が果している。今後の方向としては,運動が関わり地域の自治会組織を十分に育成していことにより地域のリーダーを育てることが大切だと思う。糾弾運動,糾弾闘争という言葉が出ていたが,それを一般の人が聞いたときどう感じるのか。例えば従来の痴呆という言葉は認知症に置き換えられた。言葉は大事である。従来は良かったからといって今は良い訳ではないと思う。インフラの整備等においても一般市民の理解が得られるよう行政も運動も配意しなければならないと思う。

廣瀬〉

  糾弾は水平社運動からの経緯があり,一般にはこわいイメージを持たれているのでは。新たな展開として糾弾闘争をもう一度見なおす必要があるのではないかと思い発言した。

男性 行政〉

  糾弾会のイメージはこわいが,糾弾会の前には確認会がある。そして糾弾要綱を作り糾弾会をすることで差別の苦しみを解決する方法を探り,運動手法を作ってきた。言い方は別として大事な闘争手段であった。

男性 大学生〉

  この会の前半の話はわかりにくく後半の話はわかりやすくなってきた。私自身の経験したことを話すと,学校のサークル活動で「よつのは」というタイトルをつけた劇のチラシを配った。四つ葉のクローバーを意図して捩ったものである。父はこれを見てどういう意味やと私に問うた。先輩の親達はもう死語やから良いのではないか,他にも「よつだま」等,言葉を探っていけば限りがないと思う。本当に死語なのかと思い,インターネットで調べると2003年差別事件として起こっている。私自身は部落出身ではないから何とも感じないが,嫌悪を感じている人もいる。何故私が部落民でないかというと,私は部落民として差別されたこともないし,それによって弊害を受けたこともないからである。   

男性 行政〉 

  この話は詰まるところ,個人の感性に行き着くのでは。議論すればきりがないと思う。悪意がなく使った場合,知らずに使った場合など,使った人を責め立ててどうなるものではなく,結論はないのではないか。背景を探ればきりがない。

男性 行政〉

 「僕は違う」,「僕は一般人」という発言やその気持ちがあかんと思う。この先こ わいと思う。

男性 行政〉

  以前,職場の研修において法が切れたことと市の総括の内容を行った。専門用語があり離れた人にとってわかりづらかったのではと思う。私にとって同和問題は研修や仕事の中にあるが,地域に帰ったときは一般人として問題に直面したときなど,この場で研修している意義を感じるところである。

男性 教員〉

  現在の差別の在り方はかつてのようなものでなく,微妙な心の揺らぎとか,何かの折に噴出するものであると思う。それをはたして行政施策レベルの話でなんとかできるものではないと思う。どいう人間関係を築くのか,従来のように同和施策を特別施策として追求していくのか,多くの共感が得られるのかどうかそれに寄り掛かっていていいのか,そこが問われているのではないかと思う。

廣瀬〉

  差別する側とされる側,互いに共有するものを作っていかないと本当に解決する ものはできないと思う。  

 話題提供として廣瀬と松田から提起を行った。二人の共通した思いは,2002 年3月末で同和対策の法

  期限が終了した後の,行政と運動のあり方について自問自答しながら課題を探る ことであった。

廣瀬からは,大きく二つにわたっての提起であった。第一に法期限後の行政の対 応,すなわち法が切れての取組みについて,あまりにもお粗末であるという思い。 あわせて今日的な部落の現状に行政が的確に対応しきれていないという思い。

 第二に運動が法期限前に果たした役割と法期限後の運動のあり方に希望を含めた思いを提起した。現在,各部落で行われている地域まちづくり・交流などの取組を評価しつつ,就労・教育・高齢化問題に課題があることを指摘し,運動総体に対してエールを送り,法期限後の4年間の運動のあり方を問い直す。

 これに対して,松田は廣瀬の提起を受けて,私の視点で反論を含めて問題点を探る。松田は,まずは,行政がこれまで行った同和対策事業や啓発等を一定評価することからはじめた。その理由として,法が切れたら財政執行を伴う事業ができないという現実があること。何故法が切れたのか,切られたのかを問い直すこと。長く続いた行政依存からの脱却を図ること。特別という冠がなくなり,行政と運動が対峙してきた様々なあり様,お互い総括をするという表現では片付けられないことがある。同和問題の解決とは何だろうかと自問自答。

 二人の提起に対して,はじめは参加者から意見が出にくく,廣瀬と松田が意見を述べ合いながら,徐々に会場から意見が出るようになる。最後は時間がないほど多くの方から意見が出た。数年前からこの分科会でも問題提起があった,近々の京都市における部落の実態調査報告がないこと。法期限後の部落における現状は一体どうなっているのか。この実態調査報告が出せない理由を未だ行政から聞くことができない。ましてや部落問題に関心を持つ人たち(分科会参加者)を含めた市民に情報を出せない京都市行政のあり方が問われる。今回二人から提起された話題も,京都市の実態調査報告なしでは空論になり,議論もむなしいものとならない願いを込めて報告する。

                  文責:分科会責任者 松田 國広

 

 

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