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第43回人権交流京都市研究集会

  分科会

「共に生きることをめざして」

〜これからの人権教育の課題と展望を考える〜

                     大谷大学2号館2202教室

             

パネリスト 

 在日コリアンとして本名(民族名)で生きる

 〜私の体験から 学校教育に望むこと〜

宋 基 和

 ニューカマー生徒に対する教育活動を支える校内体制と学級担任の関わり

〜京都市中学校質問紙調査による現状把握と課題の考察〜

               西村 府子 (京都市立京都御池中学校)

新渡日の児童・生徒の教育をめぐって

〜滋賀県の取組事例から〜

               河 かおる(滋賀県立大学人間文化学部講師

 

司会:土佐雅一・土岐文行  記録:山口寛人・若松栄一

 

 

宋 基和さん

1970年に生まれた。在日三世。祖父と祖母は1920年代ぐらいに大阪に渡り、最終的に京都に定住した。祖父母は、染め物関係の仕事をしていた。まだ親が家で我が子に教育(民族教育)をできる環境ではなかった。私自身は地元の公立小学校に日本名で入学した。その頃はまだ自分が「何人か」など考えたこともなかった。法事(チェサ)はどこの家でもやっているものなんだと思い、日本人と同じなんだと思っていた。小学校5年生から6年生になる春休みに担任の先生が家庭訪問に来てくれた。「おまえは朝鮮人なんだから朝鮮人の名前を使ったらどうや」と言った。そのとき、朝鮮の歴史に関する本や資料を持ってきてくれて、「これ読んでみ」と置いていった。1週間のうち2回も3回も家庭訪問して、母や私を説得しに来た。母親も、その先生に「本名でいって子供がいやな思いをしたらどうするんですか」と言うと、先生は「私自身が責任を持って話をするから」と答えていた。最後には母も「先生にお任せします。」と最後にはそうなっていた。

6年生から宋 基和(そう・もとかず)という本名、日本読みで行くことになった。始業式のあとのHRのとき先生がクラスで説明してくれた。朝鮮半島の歴史〜なぜ日本にたくさんの朝鮮人が住んでいるのか〜この中にも在日韓国・朝鮮人がいること。そのときはすんなりクラスに入っていけた。その先生は学校全体にも話をしてくれていたそうだ。私のクラスにも私以外に4人在日の生徒がいて、その子たちにも家庭訪問して伝えてくれた。あのときの先生の温かい働きかけがなければ、今こうして本名を使うことはなかった。

◆私は地元の公立中学校に入学した。なかなか外国人教育の取組は進んでいなかった。変な名前やなあ」と名前でからかわれることもあり、反発してけんかもした。自分のことを隠したいという思いが初めて出てきた。この時初めて、日本人とは違うんだという嫌な思いをした。

◆入学した公立高校は在日の生徒が多かった。名前でからかわれることはなかったが、自分のことを説明できるということは何もなかった。

◆大学の二部に通うことになった。そのときから日本読みでなく、韓国読みに変えた。これからは何があってもこれでいこうと決心した。

◆仕事も最初はソン・キファで行っていた。ガソリンスタンドだったが、どんくさかったので、「何してんねん ソン」などとからかわれた。「なんで日本にいるんや何人やねん」などと言われたが言い返せなかった。本当に悔しかった。そのこともあり、次のアルバイトでは日本名に変えてしまった。大学では法律を学びながら、自分はこの先どうしていったらいいのか、自分の行く先について、アイデンティティについて真剣に悩んでいた。

◆民族団体との出会いがあった。同胞で韓国語を勉強したり、遊びに行ったり、同じ青年が自分のことを生き生きと語り合っている そんな場に出会った。在日コリアンの歴史について勉強し、自分が在日コリアンとして置かれている位置を考えることができた。それは、何も恥じることではなく、差別や偏見に負けないようにしようと、本名でいこうと思った。就職の面接で「日本語上手ですね」「いつ韓国に帰られるんですか」などと今では考えられない質問もあった。そんな日本社会に対する反発。自分が本名で生きていく思いを強くした。

◆私にとって本名とは、自分がコリアンであることの証明。私が日本名で行くと、自分のアイデンティティ、先祖、祖父母、父母とのつながりがなくなってしまう。その歴史とルーツを大事にしなければならないのではないかと思っている。また、私が本名でいることによって日本社会に日本人でない人がいる、外国人がいるんだと見せることができる。今の職場も本名でいっているが、本名で呼ばれる。在日も多様化しているが、まだまだ本名を使えていない人が多くいる。それは在日側の問題もふくんでいる。

◆学校教育に望むこと。「差別される側の視点」を忘れないでほしいと思う。何においても先生との信頼関係がないとだめだと思う。今は在日四世、五世の世代。国籍も朝鮮籍や韓国籍やダブルの人もいる。昔と違ってアイデンティティをひとくくりにできない。多様性も理解しながら取り組んでいくことが大切だと思う。根気よく発信し続けること。私は、いろいろと変遷してきた。でも、小学校の「あの時」という思いが必ず蘇ってくる。

西村府子さん(京都市立中学校教員)

◆長い間外国人教育に携わってきたが、昨年、大学院に長期研修というかたちで行かせてもらった。中学校のニューカマー生徒を担任している先生に質問した。日本語指導の必要な生徒、外国生まれの保護者がいる生徒という定義で質問した。

◆毎年、外国籍生徒の数を把握している。韓国・朝鮮籍の生徒がどんどん減り続けている。中国、フィリピン籍の子はそう変わっていない。

◆調査によって見えてきた課題(外国人教育主任にアンケート)中学校100%回収

・他校種との関係 → 小学校との連携が必要。それがとれていない現状

・外国人教育主任の様子 →73校中37校で初めて主任をするという先生がいた。

・外国人教育主任の認識の甘さ→2010年に外国人教育にかかわる研修は、なくなり、外国人教育方針を知らない教員も。「新課題」に関する研修の必要性がある。2009年の教育長通知→韓国・朝鮮人生徒以外の生徒にも取組を進めていく必要性

・情報が行き渡っていない現状がある。通訳ボランティア、日本語ボランティア、言葉に関する取組、学校文書の訳語集(5、6カ国語)、外国人教育の手引き

◆「多文化」「異文化」を背景に持つ子がいることに気付くこと,何もせずにいるのは「同化の暴力」とも言える。

  

河かおるさん(滋賀県立大学教員)

◆滋賀県に在住して外国人の人権問題について研究している。特に、ニューカマーと呼ばれる人達の実態や教育的な課題について調査や実践を進めている。

◆課題提供の内容 滋賀県はニューカマーと呼ばれる人達が多い。特に日系ブラジルの人達。県民の56人に一人の割合。外国人の人口は、平成20年まで右肩上がり。親が外国人である割合は、全国は29人に1人 滋賀県は27人に1人ということになる。増加傾向にある。

◆高校進路保障

日本語を母語としない外国人生徒の高校進学の割合6〜7割「日本語の入試の壁」

◆県への要望内容

辞書持ち込みは実現した。多文化背景の子どもたちの学力保障を義務教育でできていないことが根本的問題

◆母語・継承語教室の必要性

公立学校では母語・継承語教室はない。ポルトガル語を学ぶ教室を開設。バイリンガル教室や母語・継承語教室の第一人者中島和子先生によると、日本語の勉強に追いつくためには日本語を勉強しなければならないというのは間違いで逆効果。母語の基盤をしっかりさせることが、その後の日本語を身につけることにつながる。

◆滋賀県の民族学級

日本の公教育の中で、民族の母語を保障しようとする取組があった。現在と照らし合わせて考えてみたい。「平和の誓」像(彦根市立城東中学校)の価値。母語母文化継承の意味。

討議

Aさん:1992年の京都市の方針。それ以前にも試案。これができる背景には、在日の人々の粘り強い要望、動きがあった。今、自分も孫ができて、その孫と話ができること、つまり言葉を継承していくということの大切さを痛感する。

宋さん:昔と比べれば今は外国人に対する取組が進んできている。行政の方でも。よりいっそうきめ細かい取り組みが必要。先生方が家庭訪問からはじめて共通点、歴史性、人権を学ぶことを保証するきめ細かい対応、粘り強い対応が求められている。行政もそれに見合った取り組みを保障していくべきだ。

Bさん:私の母は北朝鮮生まれ。私は日本国籍だが、そんな意味でも私にとってアイデンティティにかかわる問題、それを考えないと自分が確立できない。自分の学校をかんがえてみると、そんなことには触れない方がいいのでは…みたいな雰囲気がある。卒業証書の券でも保護者に任せておけが…のような感じ。本当にこれでいいのだろうか。少数を認めない雰囲気が強まって生きている。教師という仕事は自分の懐の深さが問われているように思う。雰囲気的にもうええやろという感じに流されていてはいけないとつくづく思う。

Cさん:最近事実を知ることの大切さを感じている。クラスに自閉症の子どもをクラスでどんな風に話せばよいか悩んだ末に話をしたが、「何でもっと早くはなしてくれなかったの」と。大人と子どもの認識が違うのかなと。子どもは、感性で仲間を大切にすると言うことを感じていたのではと思う。本名を名乗るということも同じことではないだろうか。真実を子どもに伝えることがやはり大切だと感じた。

Dさん:今の話、いい話だなと。実際しんどい思いをしている子に寄り添うこと。周りの子がそれを支えていく。それは宋さんが本名を名乗ったときと同じこと。その子が自然な感じでカミングアウトし、自分自身の自尊感情を高めていく。指針を作ったり、主任を置いたり、行政の仕事はそこまで。今は、教師はやろうと思えばやれる体制は整っている。卒業証書の本名記載のことを子どもや保護者と府連国しゃべれるかどうか、その力が教師や学校に身についているかどうか。

Eさん:宋さんの担任の先生が言われていた言葉。朝鮮人だから自然にそうするべきだという言い方。本名を名乗れることが自然だけれどそれをオープンにできなく隠してしまう。オープンにできる環境を作ることが教師の仕事だとつくづく思った。ルーツを持つ子どもを把握するだけではだめだ。そこからプラスになる働きかけができてこそ意味がある。「僕のおじいちゃん韓国人やで」とか、給食の時間に出てきたりする。自然なこととして、それをオープンにできる。そのことで自分をエンパワーできるのではないかと思う。

Fさん:中国の日本人学校に行っていた。僕らは外国人なのに中国のことを蔑視的に見るという感覚があった。町に出れば反日感情はあるが、フレンドリーに話しかけてくれる。でも、生徒は中国のことをよく言わない。なんとかしなければと、中国のことや歴史上の人物のことを学習した。宋さんの「異文化に触れる機会をつくる」ということが大切なんだと思う。それが正しい認識を持つ第一歩だ。今年、社会の時間に、なぜ韓国・朝鮮の人達がたくさんいるのかという勉強をしたが、子どもたちは食いついてきた。いろんな国の文化が身の回りにあることを話題にして仕事をしていきたい。

宋さん:私の子どもの時から30年たつのだが、変わったこともあるが変わらないこともある。変わってはいけないことは、子どもたちと先生が向き合う姿勢。これはどの時代にも必要だと思う。

西村さん:中外研で在日コリアンのことについて取組を進めてきたのだが、ニューカマーについてはおっかなびっくりで、何から始めていいのか分からなかった。子どもの背景をつかんで子どもの文化を大切にしてやる。そえを保障していくのが教師の仕事だと思う。

河さん:入管法の改正で在留資格のない子どもたちがアンダーグラウンド化してしまう恐れがある。実態が把握できないという恐ろしさを危惧している。ご自分の学校でそんな子はいないかアンテナを張り、学校につながれていない子が学校にいないか見てほしい。

 

 アンケートより

・データーが多く,明日からの教育実践のアイデアは得られなかった。宋氏のような血の通ったお話が心に残った。

・出自にこだわらない社会,個々のニーズに応じた援助が保障される社会というのが目指すべき姿…貧困や経済的格差は日本社会全体を取り巻く問題なので,より普遍的課題として学校教育の中でも取り上げていきたい。

・まだまだ日本に住む外国人の人達の困難,悩みの実態が分かっていない自分を痛感しました。もっと知る,学ぶ努力が必要だと思います。

・教師間,学校間の情報交換の重要性を痛感しました。

・本名を名乗ることの意味,親の言語を継承することの大切さ,外国にルーツを持つ子どもへの取り組みをしていくこと,頭で思っていることが,諸先生方の話を通して実感のあるものになりました。

・教師の人権意識が薄まっているような気がします。子どもたちに人権感覚をどう磨かせてやるかを考える前に,学校現場を見直したく思います。

・本名の卒業証書が渡せない現状がある。人権教育の理解や実践が不十分であったとして受けとめたい。

・初めての参加でした。同和問題や在日の問題についての歴史など基本的な内容について興味深く聞くことが出来ました。

・今年の内容も大変良かったです。子どもが自分を自由に出せる場を作り上げていくのが,教師の使命というものを感じました。

・課題に対して,学校単位,県レベル(母語教室の取組)での対応が強く求められていることを痛感しました。参加者の発言を聞いて,先生の取り組みの熱意,熱さに心から敬意いを表します。(行政関係)

・外国人教育方針など現場で周知されていない現状があり,理解や取り組みは学校間格差が大きい。教職員の研修とともに管理職研修の必要性がある。

・自分の学校の現場でもそうだが、「なぜ生徒の背景を見なければならないのか」という子どもを見る目の後ろにある意識が薄れてきているように感じる。大人(教師)でさえそんな現実にさらされているとするならば、子どもは… 想像するに容易である。「知らないこと」のコワサ。知っていても「考えないこと」の残酷さ。今の大人社会にも子ども社会にもある現実。

・生徒が平気で「ガイジ」という言葉を当たり前のように使っていた。部落差別の学習の中で、当たり前だと思って信じていることの差別性について考えさせた。生徒は必死で考え、「ガイジ」という言葉が学年から消えた。生徒は少しのきっかけで大きく変わることができる。大人もまた、この仕事についているからには多様性に対応できるしなやかさが必要なのだ。

・改めてしたたかに続けていかなければならないことがあると思い知らされた。日本の学校の中で身を縮めるようにしている外国につながる子どもたち。その子どもたちをマジョリティの子どもたちと同じように大切にしていくために私たちが取り組まなければならないことは山ほどある。発題のあとのフロアーのご発言からもこのテーマを考え続け、実践していくことの勇気をいただいた。

 

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