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第46回人権交流京都市研究集会

  分科会

部落と人権

「同和奨学金」が果たした成果と役割を検証する

                会場 大谷大学2号館2301教室  

   

パネルディスカッション

 

   コーディネーター ○菱田直義(部落解放同盟京都市協議会事務局長)

パネラー  「京都での取り組み経過と主張について」

  ○竹口 等(京都文教大学教授) 

      「大阪での取り組み経過と主張について」

             ○安田 幸雄(部落解放同盟大阪府連合会)

 ○普門大輔(弁護士)

 

担当団体      部落解放同盟京都市協議会

    分科会責任者    谷口眞一(部落解放同盟京都市協議会)

 

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菱田:私も今年50歳になり、高校・大学では奨学金も受けてきました。公立高校に行ったので、その時は高額ではなかったんですが、大学は私学に行きました。大学で学ぶ過程で、英語の教員免許も取れ、卒業することができました。ただ、今は生かせてないのですが。就職では一度民間企業に勤めたのですが、京都市の雇用促進事業というのがあって、その事業で、京都市の清掃局で、ゴミ収集作業員として採用されました。その後転任試験を受け、中級試験で事務職に転任をしまして、作業員から今は事務屋になっています。それから20年ほど経って、今は区役所の係長です。何が言いたいかというと、「同和」奨学金、僕にとっては非常にありがたかった。私の両親の職業で言うと、竹箒を作って売っていた。奨学金がなかったら、大学もあきらめければならなかったと思っています。で、今、私の息子も大学生でして、これも龍谷大学の理数科で数学の先生になりたいとがんばっています。自分で普通の奨学金を借りて、自分で返すつもりだと。そういう道筋をつけてくれたのも、同和奨学金の成果であろうと思っています。

 ところが、今まで返さなくてもいいという前提で借りていた奨学金を、裁判に負けたから返さないといけなくなりましたということで、返還事務について、人もお金もかけて京都市は行っている。その中で、京都においても大阪においても、返還をめぐる裁判が行われている。そして、その結果がそろそろ見えてくるというタイミングで、今、この問題を取り上げてみようということになりました。

 まずは、京都文教大学の竹口先生から、京都での取り組みをお話いただきたいと思います。

 

竹口:冊子には京都に関わる書面のいくつかを準備しました。第1準備書面。かいつまんでお話しします。まず、この裁判を理解していただくためには、4つの訴訟があるということを前段でお話しします。まず、「自立促進援助金制度について住民訴訟が提起され、2006年3月31日、大阪高裁で支給の一部を違法とする判決がされ、2007年9月25日最高裁で確定した」とあります。京都市は同和奨学金の支給の内部の基準、返還要綱というのを作っていました。これは地元の人間にはほとんど公示されていない内部の要綱です。要綱では奨学金は貸与という形をとって、貸したとされているお金だが、京都市が自分で20年にわたって埋め合わせていくという、この二つの制度をもって、京都市も京都府も、「同和」奨学金を国基準の貸与にせずに、実質給付の返還しなくてもいい奨学金として継続していきたいという方向が示されています。京都市の場合は、自立促進援助金の中の支給要綱というところに、「市長が返還を困難と認めたものに、援助金を支給する」という項目が1項あるわけです。そこで住民訴訟の中では、これは特定の政党に関わる住民が起こした裁判ですが、ここに市長が困難と認めたものに出すとしているのに、なんらチェックもせず、全員に援助金を出しているのはおかしいじゃないか、という訴えになった。結果的に京都市の場合は、いわゆる不当にお金を出していたので、市長が責任を取りなさいという結果になったんですよね。つまり要綱というものは、住民の我々と関係がなくて、市の中の運用の基準ですので、市長がその通りにしなかったということの責任を問われた判決になった。

 一方、この住民の団体さんは、京都府も訴えていました。で、京都府の判断は京都市と正反対の結果が出ました。なぜなら、京都府の場合は、「首長が返還を困難と認める」という項目がないんです。同和奨学金ですから、国の免除を受けられなかった者に対しては、全員に約束通り、援助金を出して返還を求めない。つまり、給付奨学金にしますよとなっていたので、地裁高裁も含めて、制度には意味があると、いわゆる不当な支出ではないとして、同じ「同和」奨学金であり、そして給付制の奨学金として続けると言うことを府も市も歩調をそろえて住民側に約束をしてきて、施策を打ってきたのに関わらず、内部の要綱の違いで京都市が負ける。京都府は勝つという結果が生まれたということですね。これを前段として理解していただければと思います。

 住民からすれば、同じ主旨でお金を受け取っていても、一方は督促されない、一方は督促されるという形になったということです。それから、もう1点裁判の状況を見ますと、実は裁判については、二つのグループで、今京都市の裁判が行われています。一方は、私たちのメンバーですが、もう一方は違う団体に所属する方が裁判を行っています。それぞれ弁護士がついて、それぞれ基本的には、法律的論争としては同じ主張になっています。判決が私たちと違うグループは3月に出るということでしたけど、今、ホットなニュースが入ってきまして、3月判決を延期して、私たちと同じ4月16日に判決を出すということを裁判所が決めたという連絡がありました。

 背景をお話しましたが、さて、この裁判がどのような裁判かは、54pの「弁論更新にあたっての意見陳述」にあります。ここに被告が裁判を受けて立つことになったいきさつがあります。大事なところを読みます。

「私は、教師の職についた頃から、私の出身部落で、部落解放運動に関わって参りました。その中で、部落解放運動に関わってきた諸先輩や行政・教育に携わってきた方が強く念願してきたことは、部落問題の解決にとって、部落の子どもたちの学力や進学を高め、その結果として、部落の子どもたちが様々な職業分野で活躍することが非常に大切であるということでした。この教育の機会均等の権利を実質的に保障するという取り組みにおいて、奨学金支給制度は大変有効であるという認識から、解放運動の先輩たちは、地方自治体、国に対してその制度を確立させるために大変な努力を払ってきましたし、その意義を早くから認識した京都市もまた、全国に先駆けて学力を向上させることを同和教育方針に掲げ、進学率を高めるための給付制奨学金の導入を行いました。

 私も地元部落で多くの仲間とともに、これらの取り組みの意義を強く認識し、子ども達の学力向上や進学率を高めるための取り組みを、今日まで40年以上にわたって続けています。

 1982(昭和57)年頃に、国の大学同和奨学金制度が貸与制に変わったことを受けて、京都市・京都府も給付制を見直そうとしましたが、府内の各部落からは、児童・生徒の学力実態や進学実態、保護者の経済状態が市民と比較して相対的に依然と厳しいことや、貸与制に変わることによって、子ども達の将来の生活に引きおこされる憂慮される事態などが指摘されました。京都市も京都府も、その指摘が事実であり、また給付制奨学金が果たすべき役割がなお重要であると認識して、国の補助金の関係から形式的には貸与制のスタイルとしますものの、実質的にはこれまでの制度を後退させない給付制奨学金として継続することを約束しました。

 その後、実質給付を保障するための援助金制度の運用を開始し、高校生奨学金にも同様の対応を行ってきました。これらのことは、毎年実施される各部落での住民集会や交渉の席で、広く住民に表明し約束してきた合意事項でした。また、中学校や高等学校の教員達は、返還の必要のない実質給付の奨学金が継続した事で、地区内の保護者や生徒に安心して勉学に励み、進学することを指導し、その支援もあって部落の上級学校進学率は後退する事を免れたと言っても過言ではありませんでした。

 私の娘は、このような経緯の中、1994(平成6)年に高校に入学しましたので、奨学金の受給を申請した折にもこれらの点を、その窓口となっていた地元隣保館の行政担当者に確認しました。担当者からは、行政が地元と約束したことを反故にしたり、信頼関係を裏切ったりするようなことはない旨の話がありました。そこで私はこれらの経緯を娘に話し、同和奨学金を自らの進路拡大の目的に活用するために応募することを勧め、金銭的に将来の負担がないという点も含め、娘も同意し応募することになりました。

 その後娘は、大学、大学院に進学しました。高校で奨学金を支給された者は、大学・大学院進学時に形式的に審査はありますものの、原則的には継続して、奨学金の支給が認められました。その折りにも、京都市から求められた書面に署名捺印しましたし、大学院修了の折には、これまで給付を受けた奨学金は形式的には貸与制となっていましたので、当初の約束通り返還の必要のないものとするため、京都市から求められたいくつかの書類に署名捺印を娘と共に行いました。京都市の担当職員にこれらの書類提出によって奨学金の返還がなくなったことを重ねて確認しましたところ、職員からは後は京都市がきちんと処理しますので、安心して下さいといった旨の回答をいただきました。ただ、この裁判で、京都市が証拠として提出している私たちの名による何通かの書面には、覚えもないうえ、虚偽の内容があるものが含まれている事もこの際、指摘しておきたいと思います。

 私と娘は、最後に署名捺印した書面を提出したことで、すべてが終わったと認識しておりました。その後、今回のような督促を受けるまでの10年近く何の心配もしていませんでした。その間、京都市と一部の市民団体との奨学金をめぐる訴訟には関心を持って見守っていましたが、まさか京都市がその訴訟で主張立証してきた内容を恥も外聞もなく投げ捨てて、京都市を信じて夢をつかもうとがんばってきた部落の奨学金受給生とその家族に、このような卑劣で不当な訴えを起こしてくるとは思いませんでした。」

 と、陳述をしました。今の最後のところが、実は私たちのグループの訴えの基本になっている部分でもあります。最初に住民訴訟が行われた話をしました。住民は京都市が不当な自立支援金を出していると主張しましたが、京都市は、あるいは京都府も含めてその裁判でどう言っていたかというと、これは住民にきちっと約束をして、返還の必要のない奨学金として支給してきたと。これが京都市の考え方であったと。それを今になって、後出しじゃんけんのように、返せとはとても言えない。こういうことは、行政と地元の信頼関係が根本的に崩れてしまう。しかも、このような調査をして請求をするということは、身元調査につながる。奨学生は皆、社会に巣立っているわけですから、そういう人たちを特定して、いちいち、奨学金を返せという督促状を出すなどと言うことはとてもできない。人権侵害につながる危険性もある。だから、このようなことはできない。これは市議会でも繰り返し言っているし、住民にも常に言ってきたことだという書面を出し、また、京都市の重要な役職の方々を証人に呼んで、住民との間にどのような約束をしてきたかということを裁判で訴えました。その京都市が陳べてきた主張を、実は今、私たちが京都市に言っています。つまり、京都市が前の裁判で、住民とのやり取りの中で、「この奨学金はとても返してくれとは言えない。当初、貸し与えたときに、返していただかなくてけっこうだと言ってきた奨学金だと言い続けてきて、その関係者、証人、書面、いろんなものを出してきたんですね。ところが、今になって我々に返せと言っているわけですから、あなたのとこは、前の裁判でどんな証人を立てて、どんな主張をしてきたか、どんな証拠を出してきたか、そのことを全て使って、お返しをしているという裁判になっているわけです。特徴的なことは、証人として当事者が二人、本来から言えば、訴える相手側の証人、敵の証人なんですね、京都市は自分の主張が正しいということを、自分側の証人を出して、証拠を出して、裁判官に訴えなければならないんですね。ところが、京都市は、証人を出しませんと言いました。つまり証人を出せば、自分たちが今まで言ってきたことを、裏付けることになるので、京都市は証人を出せないのです。そういう裁判の流れになっているところが、2番目の特徴です。

 なぜ京都市は自立促進援助金を打ち切ったときに、減免制度を作って、国基準である収入が生活保護の1.5倍の枠までは、返還免除をするという制度を作りました。しかしこの制度は、一旦借りたということを前提として、奨学金を返す責任はあるんだけれども、申請により免除しますよという制度です。5年に1回審査をし続けて、収入が高くなれば返しなさいという枠組みになっています。しかしこの制度を活用して免除になった人は8割と言われています。これは、同和対策、同和奨学金、いろんな形で学力向上に向けて努力してきたが、現実的にムラの子どもたち、青年達、親たちの生活が今なお厳しい状態にあるということの、一つの表れにもなっているわけですが、私はその免除制度をとりませんでした。娘も取りませんでした。娘も結婚して世帯を別にしていたので、免除の可能性はあったのですが、私はそういった筋の通らないことはいやだといって、制度を利用しませんでした。

 そこで資料にある第1準備書面をごらんください。これは、最初に京都市に対して私たちがだした書面です。被告らの主張というところで〈積極否認〉返還合意の不存在を主張しています。お金をやり取りするときに、「返さなくていいですよ」「これはあげるものですよ」ということがあって、その時にお金をもらうか、あるいは借りることにするか決めるものですよね。我々自身も、この奨学金は借りるものなのか、あるいは実質に返さないものなのか、そのことを踏まえて、奨学金に応募するわけです。つまり、応募する時の双方の間にどんな約束があって、応募するかどうかを決めます。これは大原則です。後出しのじゃんけんで物事が決まるのであれば、安心して法律上の社会生活が送れない。そういう意味では京都市と住民の間には、これは返さなくていい奨学金だと、京都市も言ったし、我々もそういう風に理解した。ただし、書面はいわゆる国の制度はなくなったので形だけは、借りるということにして、判子を押してもらっても、後でちゃんとそのお金は返しますので、これも判子を押してもらったら、安心して下さいという約束の中でこの奨学金というのは成り立っているんですね。つまり、お互いに返さなくていいという大前提に経って、この奨学金にたくさん応募した。京都市も活用して下さいと言った。当時の先生も「返さなくていいから、がんばって勉強しいや」と言った。中でも別の訴訟の人たちは、公立は受かっていたけれども、大学に行かす前提の私学に行った方がいいと、先生が積極的に勧誘にきたので、やはり大学に行ける私学を選んで、返さなくてもいいなら奨学金を受けることにしたと、もう一つの裁判の証言にありました。このように、お互いが返還についてそもそも形はあるけれども、それは行政の中で実質給付制の奨学金を作るための便法、内部のやりくりと言いますか、こういう制度として作っただけであって、基本的には返還の合意はないということです。

 そもそも、この奨学金について、何故必要かということについては、裁判官に部落問題というものがどういう問題であって、学力を向上したり、部落の子どもたちをしっかりと進学させるということが部落問題にどういう意味を持っているのか。しかも、同和奨学金が他の奨学金と違って、どのような特徴を持っているのか、こういうことをしっかり理解してもらいたいということで、書面を作りました。最近は法律が切れたということで、実態調査を行っていないんですが、様々なデータを見ると、非常に厳しい状態が青年層にあるということを陳べています。

 学力の実態については、最近で大阪で行われた実態調査ですが、「学力検査」にみる学力格差が解消していない点であるとか、調査によっては、得点分布が偏っていて、2極化傾向の中で、生活の厳しい子どもたちの学力も落ちているんだけれど、部落の子どもたちの学力は、より厳しい方に出ているということについて触れています。それから、進学率について、高等学校の見かけ上の進学率は高まってきましたが、実質的な進学内容については問題、特徴があるということです。1番の特徴は、公私逆転。部落の場合は私学に行く確立が高いんですね。公立の試験になかなか受からないという場合は、私学に行く。以前はなかなか私学には行けなかったが、進学率が追いついてきた背景には、私学に対して奨学金が打たれるということで、経済的負担が軽減されたことで行きやすくなった。このことが、高校の進学率を押し上げているということです。大学については、全市のレベルに追いついていないということになります。

 2つめは、部落の教育レベルは市民レベルを1020年遅れて到達する特徴です。つまり、市民が義務教育を受ける段階では、祖父や祖母は義務教育さえ受けられず、夜間中学等に行っていたと。ようやく義務教育で中学まで卒業できるようになったときには、市民は高等学校へも行けるようになっていた。その中で、進学ホールや奨学金を作ったりして、高等学校へようやく追いついてきたときには、市民は5割程度が大学に行く時代になっていると。こういう20年くらい遅れた、集団の中での進学達成をしている。こういう部落の子どもたちの状態があるということを陳べて、裁判官にわかってもらうことをしました。

 それから、「同和奨学金」が他の奨学金とどう違うかということですが、第一に、育英奨学金制度のように「学力評定基準を設けていない」ということです。つまり、学校へ行ってもらう動機、意欲を喚起するという所に大きな意味があって、借りるにしろ給付を受けるにしろ、奨学金を用いて負担を軽減する中で、しっかりと勉強して行きたい。単に貧しいというよりも、差別を解決するために自分たちがこの奨学金を利用するんだ。私たちも若いときに奨学生集会などを開いたときに、我々は、貧乏だからこの奨学金があるのではなしに、部落問題を解決する有為な人材に自分たちを高めて、社会進出するためにこの奨学金はあるんだということで、積極的に奨学金を使っていく必要があるのではないかという話をさせていただきました。そういう意味でも、所得制限を元々はしないと言うことですね。部落問題を解決する主体をつくって、制度で補完するという一方では形をとるんだけども、社会的に有為な人材を社会に排出することで、将来しっかりした仕事に就き、そして、税金もちゃんと納めてもらって、こういうことが、部落問題の就職の機会均等の権利を実質保障して同和問題審議会の言っている、部落問題の本質を解決する営みに直結するんだということで、所得制限をしない奨学金として必要であるということです。

 3点目。これは貸与ではなく給付が必要なんだという考え方です。貸与になりますと、取り立てなければなりません。取り立てようとすると、子どもたちが奨学金を返す時期になりますともう、学校を卒業しています。就職でどっかに行っています。あるいは、結婚をしている人がいるかもしれない。そういう人たちに、「あなたは同和奨学金を返しなさい」という通知を送るんですね。今、育英資金でも問題になっているように、貸したお金を返せと言われても、生活が苦しかったら返せない、ということで今、国の中でも焦げ付きがいっぱい起こってきています。そうすると、裁判にかけて取り立てる。あるいは、銀行でお金が借りられないようにブラックリストに載せてしまう。こういうことになりかねない。特に部落差別があって、厳しい社会環境にあれば、そういうことは避けなければならない。そういうことをすると、悪循環になってしまう。とりわけ、結婚によって出自を名乗れないような状況に置かれている人たちに、はがきで同和奨学金を返せと言うような通知をすれば、大きな差別問題を起こす可能性がある。社会問題になる。しかも、そういう手間をいちいちかけて11件訪れて、京都市はそれをやったわけですが、返して下さいといったり、説明したりする手間、労力、こういう部署に人員を割くと言うことになれば、本末転倒ではないかということから、奨学金というのは、貸与ではなく給付ということが問題の解決に一番ふさわしいんだということで、同和奨学金はそのような性質を持っているんだということを主張させていただきました。

 京都市は、裁判に負けた、負けたと言って、自立促進援助金は出せないんだと言っていますけど、負けた裁判はそもそも京都市長が要綱を守らなかったことを批判されたので、京都市の方も京都府の方も自立支援金が不当だ、そうしたものをやめなさいということを、裁判の中で裁判官は言っていないんですね。京都市はたまたま負けたことを口実にして裁判所で違憲判決を受けた内容とは関係のない自立促進援助金が必要か必要でないかというところまで、範囲を広げて援助金を否定している。こういう点にごまかしがありますよということを説明しています。

 最後に資料2に「弁論更新手続」の書面を掲載しています。これは、新しい裁判官をむかえるにあたって、こちらの弁護士が、この裁判では何が問題になっているのかについて整理をしたものです。

 京都市の方は、私たちに請求しているのは、書面の上に貸与と書いてあった、これ一つだけなんです。あなたはサインするときに貸与と書いた書面にサインしたでしょ。だからこれは貸し金だということがわかっていたはずだということ。で、もう一つの自立促進援助金は廃止になったんだから、貸与だけがおたくに残っているので返しなさいと。でもそれ以外の主張はないんです。

 最後に第5準備書面を載せています。これは、証人尋問にあたって、こちらが最後に出した書面ですが、そこに「市職員らの認識」とあります。「桝本市長の答弁」これは、市議会での答弁です。『桝本市長は,下記答弁において,「返還を要しない」という合意が民法上,行政法上の契約の内容をなすという認識を示している。つまり返還を要しない奨学金制度 改正要綱の附則第3項でございますけれども,平成15年以前の対象者に対して,本市が,貸与時に実質給付であることを説明してきたことから,返還を求めることは制度の不利益変更となり,法的安定性を害するものであるという風に思っております。行政が契約を無視することは避けなければなりません。なお,私は,民法上あるいは行政法上の契約はやはり尊重されなければならない』

 このように答弁している。それから淀野部長は『これまで実質給付という形で対象者の方々に説明を行ってきており,奨学生もそれを承知で借りてこられております。それを変更して返還を求めるということになりますと,いわゆる権利の濫用ということになりますので,行政としてできるものではないと』このように行政側が言っている。

 最初に言ったように、この奨学金というのは貸した方も、形では貸した。形では借りたという形式をとっているけれども、両方が返さないでいいという奨学金であったので何ら返す必要のない奨学金なんだと、主張しています。

 ということで、私の証言もう一人の方の証言をまとめた形で書面を提出しました。第4のところでももう一度、権利濫用・信義則違反になることについても補足して、同和奨学金というものをこのように返せということになれば、人権侵害になる。そもそもこの裁判で、被告の名前を当初は公にしたんです。しかし、裁判の中で名前を呼ぶことは人権侵害の危険性があるので、名前を呼ばないようにという上申書を裁判所に出しているんですよ。で、裁判所はそれを認めているんですね。それで、A,Bとなっているんですが、つまり、このこと自体、このような裁判を行うこと自体が部落の人たちに不利益になるということを、京都市も解った上でやっているし、裁判所もそれを認めているという点でも、一般の裁判とは違う特徴があります。

 

菱田:ありがとうございます。次に、大阪の安田さんの方から、大阪の現状についてもご説明お願いします。

 

安田:初めまして。部落解放同盟大阪府連の執行委員をやっております安田といいます。大阪市の裁判ですが、私共大阪市の奨学金裁判の担当をしておりまして、この裁判というものが難しくて、わからないということもありますので、4人の弁護団の方々にご協力をいただいております。今日はその内の一人、普門先生に来ていただいて法的なこともわかるようにお願いしました。まずは大阪の裁判が少し京都と違っている点についてお話しします。

 一つは、先程も話にあった、住民グループが京都市を訴えた裁判の判決があったこと。もう一つは大阪市の監査委員が大阪市が金を貸してる分がちゃんと返却されているか、免除手続きがされているか、監査をするわけですが、そこで大阪市の職員が非常にずさんであったという点。大阪市の言うところでは、京都市の裁判が起こったときに、大阪市もどうなっていくんだろうということで、その時点で国に対する返還免除の手続きを全部ストップしたんです。資料にも『b 「市基準免除」の当事者は、人材養成奨励事業の補助を受け、返還は終わっているものと思っていますが、実は毎年、奨学金貸与額の1/20が国に返還されていたに過ぎません。まして、2002年3月の法失効から人材養成奨励事業の取扱いが無効となり、2006年度の監査委員の指摘から処理保留になっていたため、この8年間が償還期間20年の計算からはずれ、』と書いてあるように、要するに、奨学金の裁判があって、大阪市の監査委員が、ずさんな手続きをしているという指摘を受けて大阪市は当事者の様々な書類は受け取っているんですけど、それを国に対して手続きをしなかったということは、僕らも後で解ったんですね。非常にひどい大阪市の対応であったということであります。大阪市の教育委員会なり、健康福祉局が京都の裁判と大阪市の監査委員の指摘を受けまして、どうしようということになったわけです。それでもう一つ大きな問題として、この時期、たまたまですが、飛鳥会事件というのが起こりまして、皆さんも新聞でご承知だと思いますが、一部の人が同和対策とはかぎらないのですが、大阪市から出ている公金を使って、いろんな悪いことをしていたということで、大阪市では「地対財特法期限後の事業等の見直し監理委員会」というのを作ったんです。ですから、人権文化センターは今後何年以内に廃止するとか、奨学金はどういう風に処理するとか、そういういろんな制度を一つ一つ全部点検をした。社会が同和問題に対してお金の問題という風に見られているということもありましたので、見直し監理委員会で一つの議題として大阪市の奨学金がテープルに載せられました。

 4つくらい案があって、大阪市は、全部免除するとか、全員に対して手続きをして返還していただくとか、そういうふうな案などもあったんですけど、大阪市は2001年までに卒業した人は、国基準免除でしますと。いかに収入が高くても国基準の免除で全部処理します。ただし2002年以降に卒業した高校生・大学生は収入が生活保護の1.5倍以下の人は、国基準で対応します。1.5倍以上の収入のある人は返還して下さいという結論を出したわけですね。

 この奨学金は、先程のお話にもありましたが、どんな制度であったかということを知っていただきたいと思います。1988年ですか、奨学金が今までの給付制から貸与制という形になったと。その時に部落解放同盟大阪府連は、奨学生、つまり当時の高校生・大学生を先頭にして大阪市と大阪府に対して行政闘争を始めました。その根拠となるのが、やっと奨学金で、一般地区並みの進学率になったのに、今この奨学金がなくなって、貸与制になったら「それやったら、お父ちゃんやお母ちゃんの収入見ても、負担かけるだけやし、高校、大学やめるわ」というふうになってしまう、というのが、そうでなくても収入がやっぱり厳しいですから、自分の学力を考えたときに大学辞めて働くわという子どもたちが出てくると。そういうことが、部落の実態としてあったんですね。それを、何とか奨学金で後退せずに済んでいると。これが貸与制になったら、進学率がまた下がって、それによって就職が不安定になる。就職が不安定になることによって、その人達が親になったときに収入が不安定で自分の子どもたちの高校・大学の時に困ってくるというような、負の連鎖が起こってくるやないか、ということで、この奨学金を実害のないようにやれという交渉をしました。私たちの交渉は、行政大阪府、大阪市の人たちと「こういう理由があるから、こういうことに対してどうするんだ」という形でやるわけですが、その当時は高校生・大学生が先頭に立ってですね、怒りに震えて闘いが行われたということであります。その中で、しぶしぶなんですが、大阪府と大阪市が解答を出してきた制度が、同和地区人材養成奨励事業という事業です。先程と同じです。要するに、国基準免除の人は、手続きをすれば生保の1.5倍以下の人は免除になるんですが、中には両親が教師や公務員という収入の高い人がいます。生保の1.5倍を超える人がいる。そういう人が手続きをすれば、あなたは返還となります。その時に、これを全員が返還しなくてもいいという形に、制度を作ったんです。中には、仕事が不安定で、その年々によって、高いとか低いとかありますけれども、そういう1.5を超える人にも実害が出ないように、全員が受けれるような形で、同和地区人材養成奨励事業ができました。

 この事業は、何も高校や大学を卒業するというだけではなく、このお金を受け取ることによって、部落問題を理解して、部落解放に貢献できるような人間になっていこうやないかと。要するに地域で、いろいろ困った人のために運動する。地域のためになるようなことをする。有為な人材になっていこうじゃないかということ。それによって卒業することは当然、社会に、部落解放に貢献する人材になることによって、あなたは免除しますよという制度だったわけです。

 そういう意味では、非常にややこしいんですが、大阪市内に12の同和地区があります。大阪府内には、全て入れて47あるんですが、そこに一つ一つ奨学金を受ける組合を作るわけですね。そこにみんな入っていただく。ですから、一つ一つの地域に自分がどこそこの地域に入る。そこに入るために、そこに居住していることは当たり前ですけど、その上に、問題は、いろんな地域で推薦基準を作ったんです。例えば、在る地域では、地区協の受講生講座に参加すること。高校奨学金受給者組合の活動に参加する。学習会、子ども会活動に参加する。地区の文化祭、スポーツ大会に参加する。地区内の社会福祉活動に協力すると、こういうような、いくつもの基準をつくって、その基準に合致した人だけ推薦しましょうという形にしたわけです。ですから、中には、こんなんおもしろないわと、受付だけして帰った人間を、あんたはもう受けさせないというふうにしたんですよ。だから、運動に貢献すると言うことは、自分がそういう立場になっていくということですから、そういう立場にならない人に、せっかくみんなが一生懸命運動して勝ち取ってきた制度を適用できません、というのは当たり前のことなんですけど、そのことを見るために、12の地域に推薦する人の機関をつくったんです。推薦組合というかそういうのをつくって、この人はまじめに出ています。この人は学習会4回の内2回は参加していないので無理ですというような基準をつくって、この人達が推薦した。それをまた、上部の大阪市同和事業促進協議会と大阪市の人が、卒業生の一人一人の成績、参加状況やレポートを審査して、この人は○が10個以上だから大丈夫ですと、推薦しますということで、いかに収入が高くても、生保の1.5倍以上でも、この人は部落解放に貢献する人材になり得るということで推薦して、補助金を出してその子は免除という形にしたんです。それが、同和地区人材養成奨励事業という制度であります。そうした形で取り組みをしてきたんですが、先程も言ったように、監査がむちゃくちゃだった、京都市でそういう判決が出されたので、非常に大阪市としてはこのままの制度で大丈夫なんかなと、もし、そういういろんな団体につっこまれたときに、対応できないんではないかということで、国対する手続きを止めて、どうするかという方針を考えたのが、先程言った「見直し監理委員会」というところで、いろんな案を出して、結局2002年以降に卒業した高校生・大学生で生保の1.5倍以上の収入のある世帯について、返還を求めた。

 ただ、はっきり言いますけど、8割以上の人は、全部国基準免除です。なんで、こんだけ奨学金つかって大学行ったり、高校行ったりして、いろんな就職口を見つけているんですけども、やっぱり脆弱で、8割くらいの人は国基準免除という形で、収入が低いんです。中には、いろんな専門家の道を行く人もいるんですが、そういう実態であると言うことです。

 それで、大阪市は先に根拠となった問題を言いますが、要するに、取り扱い要領によって返還免除となっていた者に、市要領による追加規定は効力を有しないため、国基準を超える者については、14年に遡って返還を求めるということで、見直し監理委員会で、大阪市が自分らで審査して、奨学金を免除と言っていた人に対して、何でまた自分らがずさんなために、大阪市の監査によって返還なのか、という議論はあるんですが、大阪市の職員が、本来であれば2002年に大阪府のように、いっさいもう、2002年の子どもたちについては、いかに収入があっても返還を免除しますという議決を、大阪府みたいにやっていたら、大阪市もこういう問題が出てこなかったわけですけど、大阪市は議会情勢をみて、こんな提案を出したら否決されるんじゃないかということで、議会にも提出しなかったわけです。それで、市の職員が内部規定を作って、取り扱い要領で、子どもたちについては返還を免除しますというふうな文章を自分たちで作って、内部処理という形で議会にも通さずにやったという、これも全部大阪市の責任ですわ。生徒には一切関係ないんですね。それを大阪市は、京都市の裁判があったと、それで、自分たちの監査で返還事務がいいかげんであったという、それに対する対応ということで、監理委員会でこんなひどい結果を出したという経過になります。

 大阪市は、先に債権があるわけですから、その高校生・大学生は要するに借金をしているということになりますから、よくサラ金の業者も他人の戸籍や住民票を勝手に取ることができるんですね。ですから大阪市も、奨学金を受けた子どもたちの住所の調査とか全部やったわけです。この期間に。どこに住んでる。どこに移ったというのを全部。多分ですが、収入も全部調査したんじゃないかな。だから、この当時読売新聞に、だいたい2割くらいの人がその返還対象になるでしょうということを言っているわけですけど。そこまでやったかどうか別にしまして、大阪市は所在地の調査をしまして、全ての実態を把握したということです。

 それで、一体どういう条例になったかと言いますと、20105月。2002年までに卒業している人は返還債務は免除できる。いかなる収入であったとしても2001年以前の人は全部返還免除ですよということをこの条例で決めたと。2として、「借受者の負担を考慮し返還期限を延長できること」これ、ふざけてるでしょ。自分らで返還事務をやっていなかったから、ずっと返還の手続きをやっていないんです。だからその期間を後ろに延ばしたんですね。

 で、2010年の9月の条例では、大阪市のこれまでやってきた返還の内容が、国基準に合っていないということで、収入判断を世帯から個人へ変えたり、例えば専業主婦の人が奨学金を受けていたら、別居していても彼女の父母の合算にします。国基準免除となる人は5年ごとの申請、ならない人は1年ごとの申請。なぜこういうことをするかというと、収入が不安定であれば、前年度国基準をこえても次年度は免除になる可能性があることから、大阪市はできるだけ自分たちの支出を抑えるために国基準の適用させようとしているということです。

 そういうふうな制度になったということで、いよいよ大阪市が説明会をして、また相談窓口をつくってやっていくということになるわけです。

 最後に返還決定にあたっての奨学金問題についての基本的態度〈201010月〉というところですが、要は、今回の大阪市の措置について、「大阪市の不作為、怠慢、すべて大阪市の職員の責任なんです。それを私たちの押しつけたということは許されない行為で反対運動をおこしていこうということになりました。条例をつくるときにも、反対運動をしたんですけど、結局無理だったと。しかしながら、市条例、全員がその手続きをしなかったら8割の子どもたちは、国基準で返還しなくて言い訳です。もし、こういう大阪市の対応について問題があるから手続きを私はしない、ということになりますと、その8割の子どもたちも一括変換。利子付きの一括変換ということで大金を用意しなければならない等、いろんな問題があるということで、苦渋の決断として、国基準以下の人はみんな、手続きをしましょうという形になりました。

 それで、地元でもいろいろ取り組みをしました。私共としては、大阪市と大阪市同宇和事業促進協議会が地域でいろんな手続きをして、活動した子どもたちが大阪市のチェックによって、あなたは返還しなくてもいいですよということを公的な文章で出しているんですよね。その公的な文書で出してるものを、今更になって、大阪市の監査でずさんだったとか、京都の裁判であるとかで、収入が一定あるからといって、あなた返しなさいというのは、非常に不合理ではないかということで、私共は裁判を闘い抜こうと言うことで、4人の弁護士さんにお願いして進めております。内容については、先生にお願いして終わります。

 

菱田:それでは、引き続き、普門弁護士に裁判についてお願いします。

 

普門:少し自己紹介しますと、もともと私は大阪で貧困問題や生活債権問題に取り組んでいます。新聞報道等にも出てますように、毎月生活保護受給者が過去最高を更新したとかのニュースがありますが、生活保護の同行申請などをしています。今回、奨学金の返還請求を受けている方というのは、2002年の3月の卒業生なんですね。そうすると、卒業年次が2002年ですから、高校生であれば、1999年入学、大学生であれば1998年入学とかいう方々が、第1段目ですよね。裁判、大阪市から返還請求を受けると。17年、18年くらい前です。1718年前というのはどういう状態なのかなと調べたときに、平成5年前後というのは、生活保護受給者の人数は一番低い。そこから今現在まで増えていて、むしろ貧困が拡大している。格差が拡大しているという状況なんだと思います。20年前と現在の平均所得を比べても、120万円くらい全世帯でマイナスになっていますし、預貯金がないと答えてる世帯が3割を超えているというデータもあります。むしろ貧困は拡大している。それから、就労も非正規労働者が広がっていて、賃金が生涯変わらないという問題。例えば結婚をためらったり、子を持つことをためらったり。一番大きいのは少子高齢化という問題。80年後日本の人口は6000万人になります。12千万人から半分になる、こういう社会を迎えているということで、子どもの貧困と直結する問題だと思っています。

 先程もお話がありましたように、日本には本当の意味での奨学金はない、教育ローン、借金ですよね。そういう意味で行くと、私自身はこの裁判は、2002年の法律の失効による精算の話ではなくて、むしろ連鎖する貧困を断ち切るために、本当にこの日本社会に存在し得るのかということを意義深く問うてる、そこに本質がある裁判であると感じながら、4名の弁護士で戦っております。非常に資料が多くて、複雑怪奇というか、当初、何回説明を受けてもなかなかわからない。記録だけはたくさんあるんですが、肝心の資料が大阪市の中にもないということで、事案を理解するまでに非常に時間がかかった記憶があります。裁判の発端というのはそもそも、今の話を引き継ぐ形で言いますと、大阪市が返せという方針を出すと決めて、今回20023月卒業生らに対して、支払い督促という比較的簡易な、もう貸与という契約書は残ってますから、免除と言うことは出しませんね。免除というのは我々が言ってはじめて裁判で出てくる話なので、これは借金があります、借金を返してませんという証拠が出てきて簡易に裁判所が支払いの命令を出すという、支払い督促という形で、訴訟をおこされました。これは、だまっていたら、裁判もなく命令が確定してしまうという手続きですので、大阪府連で話し合いを持たれまして、闘争会議というものを設立されて、闘うんだと言うことで、異議申し立てというものを、奨学金利用者各人が、今は社会人になって会社で働いている方々がして、それをして始めて通常裁判に移行するという手続きで、今、第4回の公判まで開かれています。

 裁判の内容は、例えば高校生の奨学金の方で行くと、170万円近く借りているんですが、今2002年の卒業時、そこから現時点での返済額というのが、20年刻みで増えていくということになりますので、この裁判では170万円借りたうち93万円返しなさいよ。当然残りの77万は控えているわけです。で、大学奨学金の方、総額で言うと393万、約400万円くらい借りているんですね。この裁判ではそのうち216万返せ、これ一括でと。損害金も10%つけてということで起こされている裁判ということです。で、当事者は9名います。第1回が2010年の7月、今日は遅れて資料、1枚ものを配布しましたけど、今現在は2015年の1月まで第4回の裁判が開かれていまして、次回は313日に第5回が行われます。

 大きな流れで言うと、もともと浪速育英費というこれは、給付制だったんですよね1956年からずっと営まれていた。1966年に国庫補助がでて国の制度となった。1982年に大学にも支給される。1988年には、それぞれローンに切り替わった。で、それじゃあいかんということで、そんな時期じゃないよということで各々の自治体、大阪では今報告のあったような取り組みがされて、人材養成奨励事業というのが勝ち取られたわけですね。貸与制で出てきた分を大阪市が別途補助金で返済にあてますよと。イコールこれをもって、実質給付を維持と。こういう制度になりました。20023月、これは、法律の失効時期と同時期ですけども、奨学金の貸与条例というものが廃止されたことに伴って今回、問題が発生しているわけですね。実際はどうかというと、20023月、この条例が廃止された後も、これも取り組みがなされまして、実際補助金はないけれども、大阪市としてはじゃあ、今まで通り返さなくていいですよ。免除します。法的に言うと今までは補助金によって弁済していたものを、補助金がなくなったので、債務はあるけれどもそれを免除しますという形に切り替わったんですね。ところが、2008年に監査があった。で、監査で何を言っているかというと、自治体が債権を放棄するためには、大きく分けて2つしかない。条例に根拠があるとき、それから議会で議決をとったとき、この時には免除していいけれども、今回大阪市がやっていた免除には、いずれにも当てはまらないじゃないというのが、わかりやすく言うと、大阪市の主張ですね。そうすると、免除は外形的事実としては存在するけれども、法的には無効であるということを、2008年になって言ってきた。こういうことになりますね。免除を受けた当事者たちは、「何を今更」という気持ちになるわけです。じゃあどうしようかということで2010年に定められた新条例というのが、20023月でくっきり線を引いて、それ以降の人はアウト。国免除の人はちょっと置いておいて下さいね。この自治体の免除制度については2002年の3月以降に卒業した人については、基本的には返還を求めていくと。こういう非常に乱暴な線を引きました。

 通常、これもおかしなことなんですが、国が奨学金が貸与制になったときも、徐々にいくんですよね。1年ずつずらして、階段で始まっていくわけです。そこにうまく、この補助事業をかみ合わせていくように。だけども、終わるときはいきなり線を引くということをやったんです。ということが、今回の問題のおかしさで、当然、今回20023月の卒業生を第1陣として、この後、2003年、2004年、2005年、中には、6年制の大学に行かれた方もいらっしゃるということですから、2007年、2008年頃までおそらくこの裁判が第2陣、第3陣、第4陣という形で追求されていくということが予想されます。その第1陣が大阪裁判であります。

 で、基本的に我々の主張は、今日、京都の話を聞いて、私個人として収穫があって大阪弁護団に早く持ち帰りたいと思いますが、主張としてはあまり変わりがないように思いました。まずは、歴史的経緯というのはきちんと押さえるということと、タイミングとしては二つあるでしょう。まずこの奨学生が入学時、奨学金を利用したときにどんな意志だったのか、保護者達と奨学生がどんな合意をしていたのか、つまり返還合意がないですよ。貸与制とそれはわかっていると、その変わりに補助金をもうけます。人材養成奨励事業というのをつくりました。それも、ここは京都の高裁裁判例を私も拝見しながら、例えば一律支給を審査ではなくて、いくつかのハードルを設定して、奨学生集会に参加していること、レポートを提出していることと、いくつかの課題を設けてそれをクリアしているかをチェックしながら実施されていた制度です。そうしますと、やはり、当然本人達は返済債務はない、返還しなくていいと思って卒業して、社会で奨学金制度に感謝しながら、社会で活動しているんですけど、これを今になって覆すというのは、契約理論としてもおかしいんじゃないか。もちろん、事情変更の法理というのはあります。これは契約時にわからなくて、後から大きな、特段の事情が起これば契約法理で当時合意していないことでも、変更を認めようという法理もあるんですけど、じゃあ大阪市がしてきたことが、それに値しますかという問題ですね。実態は先ほどあったように、大阪市がきわめてずさんなことをやっていて、資料が残っていないとかいろいろあるんです。

 二つ目のタイミングとして、卒業しましたよという時に、今度は免除をしているでしょ。卒業した後のタイミングです。免除申請しました。大阪市は免除しています。じゃあもういいじゃない、という問題。その免除は有効か無効かということですね。それが2008年の監査で指摘されて、後に手続き取ってないわ、えらいこっちゃでそれが無効でしたと言ってきてるんですけど、それは通らないでしょ。免除をもらったんだから、その免除は有効ではないですかということが、大きな柱になります。それから、裁判所の対応として特筆すべき出来事が、第3回期日にありまして、ご報告しますと、実は裁判所はまだ2回目の時に、序盤ですが、裁判所から大阪市に次回お訪ねしたいことがありますと、前出しで予告で求釈明をしますよとすでに言ってたんですね。その求釈明の内容が、2回目の期日に出てきたんです。その裁判所の疑問点というのが、1つめは、人材養成奨励事業、この補助金ですね、大阪同和事業促進協議会というこれも、同促協方式というのがありまして各地を代表する人たちを、大阪市の職員も入って、各地の代表者が入って、学識経験者が入ってこの事業が運営されていたわけですけど、この同和事業促進協議会が申請者に補助金を公布する手続きにおいて大阪市はどのように関与していたのか、こういう質問がついてきました。2点目に、平成14年の取り扱い要領による市基準免除による免除。これを少し説明しますけど、先程来言っているように条例が廃止された後、何をもって免除していたかというと、取り扱い要領という市基準をつくったんです。これが条例じゃないから、大阪市は後から文句をつけられるわけなんですが、取り扱い要領で、条例を一定引き継いで、この場合は免除していいよ、ということをやってたんですね。監査では、平成18年にそれは条例じゃないじゃないか。さっき言ったように、自治体が債権を放棄できるのは、条例があるか議決があるか、どっちかでしょと、これ条例でも何でもないよと言われて、免除無効でしたということで、手のひらを返したんですけど、その免除について一度免除した申請者に対して、再度の審査や手続き提出が予定されていたのか。これ非常に踏み込んだ質問だと思いますね。それから、3点目。取り扱い要領による免除行為が、条例がなければ議決がいるといういわゆる地方自治法の代表的な法律について、内部で議論がなかったのかどうかというおたずねを、投げたということです。

 で、先日の第4回。大阪市がこれについてどのように解答したかをご紹介します。大阪市の解答は、まず、貸し付けるとき、受給審査のときに、大阪市の関与について、一言で言うと、自分たちは関与していないと言っています。申し上げたように、人材養成事業の実施主体は大阪市の主張ですよ。これは大阪市同和事業促進協議会がやってたんであって、事業の申請がどうなっているかとか、支給の手続きがどうなっているかとか、受給資格があるかないかという判定については、市同促がやっていて、大阪市は全く関与していませんと、うちらは知らないことなんですと言っています。先程出ていた、奨学金集会も大阪市は後援していただけだから、そこで大阪市がどういう説明をしたのか、そこに参加した奨学生がどういう理解をしたのかは、全く大阪市は関係ありませんと言っています。

それから、2点目、3点目。要領には20分の1と。毎年毎年やっていくことになっている。それを実際やっていたのかと聞いている。大阪市の解答は、やっていたと言ったらいいのに、「主語がないため不明です」となっています。地方自治法上の議決がいるという点について議論があったかどうかという質問にも、「当時の資料が残っておらず不明」だと。こういう解答をしてきたというのが、現在の大阪裁判の状況です。並行して、裁判所としても、こういう質問をしてくれたわけですから、我々の問題意識が明確に裁判官に伝わっていると理解しています。裁判所も、1度話し合いの場を設けましょうかということで、前回から弁論準備期日と並行して、訴訟の進め方、終わらせ方についてお互いの率直なところを聞きましょうということが始まっている。

 

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