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基調

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第46回人権交流京都市研究集会

  第 46回人権交流京都市研究集会基調

 

 

はじめに

 

1 私たちを取り巻く情勢と課題

(1)戸籍等の不正取得と事前登録型本人通知制度

(2)土地差別事件

 

2 福祉で人権のまちづくり

 

3 多文化共生の社会をめざして

(1)多文化共生の社会

 (2)エスカレートするヘイトスピーチ

 (3)京都朝鮮第一初級学校事件裁判の判決

 (4)多文化共生社会の実現を!〜東九条の実践〜

 

4 人権確立に向けたこれからの運動展開

 

5 教育をめぐる状況

 (1)「いじめ」問題についての動向

 (2)小学校の取組

 (3)中学校の取組

 

 

46人権交流京都市研究集会 基調提案

 

はじめに

 

 戦後70年という節目の年に際し、今年は、平和についてあらためて問い直す言説が多く聞かれます。70年という年月は、戦争を体験した方々が、本当にわずかになってしまった事実を示していますが、反面で現在の状況が「戦前」にとてもよく似ているという指摘もされているのは何故なのでしょうか。過去の反省も踏まえて、現状をしっかり把握しながら今私達にできることは何なのか、真剣に考えなければなりません。

 昨年末には、安倍首相による解散―総選挙が強行され、与党の圧倒的多数は維持されたものの、投票率は52.66%と、戦後最低の前回をさらに更新し、民意の政治への不信は深まっています。それは、自分たちの意思を表明し、社会をよい方向に持っていこう、持っていけるのだという人びとの希望が希薄になっているということの証左であり、確かなビジョンが失われている現実の反映なのかもしれません。このような状況の中で、丁寧な議論を積み上げながら、それぞれの違いを認め合い、方向性を見出していくのはしんどくて、大変な作業ですが、粘り強く進めていく必要があります。しかし、そのように時間がかかり結果の見えにくい行為は敬遠され、むしろ強引にまとめ上げたワンフレーズ的スローガンや、目先の利益を振りかざした安易な政策が、人びとを引き付け、社会を誘導する傾向があります。さらに、「日本人」の優位性を振りかざし、攻撃的な憎悪表現(ヘイトスピーチ)を集団で行うなどのヘイトクライム(憎悪犯罪)も頻発しています。在日外国人、特に戦時中、国の政策として強制連行され、道路、トンネル、線路建設など、厳しい労働を強いられた朝鮮半島・中国の人びとは、当時「日本人」として同化させられつつ、戦後は選択権も与えられず一方的に国籍を剥奪され、戦後補償の枠からもはずされました。そうした人々に「特権」があり、その特権が「日本人」の権利を狭めているなどという、ねつ造した歴史観をふりまきながら、彼らを忌避し、貶め、人格を否定する言葉を浴びせかける人びとの集団が生じています。そのように、他者を罵倒し、貶めることでしか自らを保つことができない精神構造の貧しさはどこから生じてしまうのか、社会の問題として、また、そのようなヘイトスピーチを野放しにしてしまう、制度の問題として、共に考えていかなければならないと思います。

 戦後、日本国憲法第9条に謳われた、「戦争放棄」の条項を守り通して70年という時を経ることができました。しかし、そのことは、この国が世界の戦争と完全に無縁であったということを意味しません。米ソ冷戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争等々、世界には戦争は絶えることなく在り続け、敗戦の後の米軍による占領という経過から「日米安全保障条約」を結んでいることで、アメリカの戦略における役割を引き受けてきたのです。そのような意味で、この70年の間、9条は万全に守られたのではなく、常に様々な思惑の中で揺れ動いてきつつ、それでも、「二度と戦争はごめんだ」という多くの民衆の強い思いに守られてきたのだといえます。

そうした中で、沖縄の基地問題があります。沖縄では米軍専用施設の74%を集中させ、騒音や軍用機等の墜落の危険に晒されるだけでなく、環境破壊や日米地位協定による米軍人の犯罪事件も、この国の法律で裁くことができない不条理のもと、人々は生活してきました。沖縄の人びとにとっては、そうした負担が一方的に不均衡に強いられていることを、端的に「内地」からの差別であると感じられ、また、訴えてもきたのですが、この度の知事選結果に見られるように、もうそろそろ、「自分たちのことは、自分たちで決めていく」という決意が表明されようとしています。「戦後70年間日本が平和であった」という評価の一方で、こうした沖縄の人びとの思いも、私たちは忘れてはならないと思います。さらに、京都府内の京丹後経ヶ岬では、Xバンドレーダーの配備により、昨年1022日、米軍陸軍中隊の発足式を終え、駐留を始めていますが、狭い集落内での交通事故等を心配する声もあがるなか、基地問題は、私たち京都府民にとっても、まったく他人事とはいえない状況が生じています。

節目ということで言えば、もう一つ、大きな区切りとして、同和対策審議会答申から今年で50年という年月が経ちました。「同和問題の解決は国の責務である」と明言したこの答申に基づいて1969年「同和対策事業特別措置法」が制定され、以後33年にわたり、特措法のもとでの「同和対策事業」がすすめられてきたのです。答申は「近代社会における部落差別とは、ひとくちにいえば、市民的権利、自由の侵害にほかならない」と端的に言い切り、「寝た子をおこすな」式の考えで、放置しておけば解消するものではないと指摘しています。20023月末をもって、特措法は失効しましたが、政府は1996年に地域改善対策協議会より出された「同和問題の早期解決に向けた今後の方策の基本的な在り方について」(意見具申)を根拠として、「特別対策の終了、すなわち一般対策への移行が、同和問題の早期解決を目指す取り組みの放棄を意味するものでない」との見解を維持しており、地方自治体も概ねその考え方を踏襲してきたといえます。それゆえ、課題があるかぎりは「一般対策で対応すること」と同時に「特別(であると思われる)対策は打ち切ること」との狭間で、部落問題への対応は、ジレンマに満ちたものとなっています。20093月に出された「京都市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会」報告書にもそのジレンマの片鱗がうかがえます。京都市人権文化推進計画が今年度末で終了し、次期の10年に向けた計画が作成されようとしていますが、各論としての「同和問題」は「早期完了に向けた改革・見直し」が重点となり、「部落問題」の現状把握も、それを解決するうえでの対応策も示されていません。50年という歳月を一つの区切りとして、今日、私たちはこの答申の内容が、いかに達成したのか、あるいはしていないのか。その認識と方向性に誤りがあったのか、なかったのか、充分に調査され、議論される必要があります。一つの国において、一定のマイノリティ集団に対して、特措法にもとづく施策を投じてきた成果がどのようなものか、国連「人種差別撤廃委員会」も大いに関心をもち、その政府見解を求めています。

 

1 私たちをとりまく情勢と課題

 

(1)戸籍等の不正取得と事前登録型本人通知制度

 

 201111月以降に発覚した戸籍等の大量不正取得事件は、全国に広がり、件数も3万件を超える大規模な事件に発展しました。部落解放同盟では、各都府県連に呼びかけて、不正請求の情報開示請求を行い、京都府では、プライム事件で129件、群馬ルートと呼ばれる2名の行政書士名での請求は452件も発覚し、そのうち京都市内はプライム78件、群馬ルート391件でした。一昨年は、人権交流京都市研究集会第1分科会でもこの問題を取り上げ、昨年の基調では被害者通知制度が確立されたことを報告しました。そうした取り組みが実を結ぶかたちで、昨年6月、京都市内も含めた京都府内全ての26自治体において、事前登録型本人通知制度が確立しました。これは、被害をこうむった後に通知を受け取るだけでなく、事前に申請した登録者に対して、第三者が戸籍や住民票を取得した場合に、犯罪であるかないかに関わらず、通知をするという制度です。こうした制度の確立は、悪徳業者の不正を躊躇させることが実証されていて、身に覚えのない第三者からの不正請求を未然に防ぐことができるとされています。

 被害者通知制度と、事前登録型本人通知制度が両方かねそなえられて、条例として確立している都道府県は、全国的にもまだ京都だけです。いわば、先陣を切ってスタートしているわけですが、とりわけ、京都市内は、登録のハードルを下げるために、郵送での申請が可能であることや、登録期間が年数により区切られることなく、1度で済むことなど、他都市の模範ともなり得る点があります。ただし、相続に関わる密行性の問題などで、一部通知されないケースや、弁護士業の妨げにならないよう、取得されてから30日後の通知になるなどの問題があります。また、取得された事実は通知しても、誰が、何の目的でということについては記載がなく、詳しい情報は、その後に個人情報開示請求をする必要があります。取得された側の個人情報と、請求した側の個人情報がせめぎ合うような状況ですが、個人情報の自己管理権については、人権尊重の立場からもっと当たり前の権利として確立される必要があります。

本来であれば、戸籍等に記載されている、非常にセンシティブな個人情報が、自分の知らないところで取得され、売買や身元調査に使用されていても、本人にその取得情報が届かないこと自体が問題であり、市民の手を煩わせることなしに、国の法律として、そうした通知制度が確立されていてしかるべきところです。けれども法務省は、「交付後の行政サービスだから市町村の判断」として静観しています。今後は立法に向けた働きかけも課題となりますが、まずは、市民自らが積極的に登録することで、自らのプライバシーを守ると同時に、制度の必要性を一市民として表明することが大事です。

そのためにも、京都市行政は、広報などにより周知を徹底し、何度も呼びかけていかなければなりません。せっかくの制度であっても、登録者数が少なくては、意味をなさないからです。201412月末の登録者数は636人で、1,419,083人の市民のうち、0.045%にしかすぎません。制度の広報と周知は、身元調査を許さないというメッセージを具体的行為によって叶えるという意味で、非常に有効な啓発にもなりますし、また、そのような効果をのぞみつつ、市民に対して、登録を呼びかけていくべきです。

 

(2)土地差別事件

 

 個人の身元を特定し、忌避しようとする差別とは別に、土地にまつわる差別も発覚しています。201211月、和歌山県行政出先機関の伊都振興局に、競売物件の照会として、Y住宅販売会社から住宅地図がFAXで送付され、その際、社内文書(用紙)が誤って同時に送付されてきました。それは物件の詳細を調査した「競売仕入チェック表/申請書」で、担当者から支店長、本社課長、営業部長へと決済様式で回覧される書類でした。Y住宅販売会社は、群馬県に本社を置き、東京営業本部を中心に全国に102の支店・営業所をもつ大手企業で、主な業務として競売物件を購入、リフォームして再販しています。その仕入チェック表の特記事項に『同和地区で、需要が極端に少ないと思われます』と記載があり、さらに欄外にも『同和地区』と書き、丸く囲われていたこと。3通とも同様の内容の記載があったことから、和歌山県は、差別記載であるとして和歌山支店から事情聴取を行いました。和歌山県は、20132月に国土交通省に連絡し、Y住宅本社へ調査と指導を要請。国交省の指導で、本社が和歌山支店への再調査を行い、同じ担当者による別の4件の調査票を発見しました。5月に部落解放同盟和歌山県連は和歌山県から報告を受け、中央本部と連携し、8月、11月と二度にわたって事実確認会を行いました。そこで、Y本社による、全国の支店調査(5年分)の報告があり、13府県でも同内容の差別記載26件が判明し、うち京都でも1件ありました。この事件は、氷山の一角でしかなく、今もなお多くの市民・ユーザーのなかに部落に対する忌避意識が根強く存在し、不動産関係業界のなかで土地差別が常態化している事実を明らかにしました。20011月に、国土交通省が示したガイドライン「宅地建物取引業法の解釈・運用の考え方」には、基本的人権の尊重、特にあらゆる差別の解消に関する教育・啓発活動のより一層の推進が指示されていましたが、大手Y住宅での研修はまったくなされていませんでした。事件を受けて20137月に国土交通省からは再度「不動産業に関わる事業者の社会的責務に関する意識の向上について」が宅建業協会連合会を始めとする各種関連団体に通知されましたが、自治体行政としても実態調査や、ガイドラインの策定、研修や啓発が求められています。行政から「同和」の文字が消えてもなお、こうした業者間で、「同和」の文字が常態的に流通されているということは皮肉なことです。しかも、民間業者の判断は、顧客や周辺の住民からの情報のほか、近くに火葬場がある、屠場があることなどから、誤って「同和」と勘違いしているケースもあります。あやふやな認識のままに、市民の忌避意識に迎合しつつ、自らが差別を拡大再生産させている業界の差別性は許されません。このような、大手不動産会社だけでなく、全国の多くの自治体に対し、個人からの土地に関する問い合わせも相次いでいますが、そうしたときの職員の対応に関してさえも、充分な研修がされず、相手からの情報を引き出せずに電話を切られるケースが続出しているのです。それぞれの現場の個別対応ではなく、社会問題として危機感が共有され、抜本的な対策をこうじる必要があります。

 

2 福祉で人権のまちづくり

 

20112月に京都市が策定した「京都市市営住宅ストック総合活用計画」を活用した、市内の「同和」地区のまちづくりを、以前より提唱していましたが、計画が順調に推移しているとは言えません。耐震化率、バリアフリー化率などの数値目標は70%とありますが、改良住宅では2030%台に留まっています。また、市内の改良住宅は、1階が店舗となっている「店舗付き住宅」が総数で157戸ありますが、約半数は営業しているものの、残りの半数は廃業もしくは、休業してシャッターが降りたままの状態です。この、閉店した店舗が道路沿いに並んでいる風景が、地域の賑わいのなさを一層寂しいものにしている現実があります。部落解放同盟京都市協は、この空き店舗を地区内外に公募をかけて、地域の活性化と有効活用を提案していますが、なかなか進展はみられません。

そうした中でも、千本地域では、楽只市営住宅の空き店舗の活用については、ワークショップの開催やイベントの実施等による賑わいづくりの取り組みを、本年1月から具体的にスタートしました(1000KITAプロジェクト)。これは、地域の枠を超え、「市北西部の地域力向上」に貢献する新たな拠点として生まれ変わるための実験的な取り組みです。「出会う」、「学ぶ」、「伝える」をコンセプトとして、それぞれに「教室」「カフェ」「商店」「広場」という4つのテーマを設定し、千本地域に暮らす住民をはじめ、多様な世代や多分野の人々が出会うきっかけとなる場づくりで、市営住宅の空き店舗を活用した賑わいを創出するとともに、あたらしい価値観や創造活動を発信しようとしています。

このように、「同和地区」として限定された地域の枠を、例えば「市北西部」というような広域的な視点に広げたうえで、活動拠点を創造していくという在り方は、地域内外の障壁を取り除き、差別を解消していく大きな推進力を発揮することでしょう。

かつての隣保館が「いきいき市民活動センター」となり、民間団体の指定管理となったときの、コンセプトのポイントが、そうした側面にあったことは否定できません。2011年から4年間の指定管理期間を経て、各地区のそれぞれの「いきいきセンター」は、昨年12月、この4月からの、あらたな指定管理者が選定されました。地域のNPOが主体となって運営していた5つの地域は継続して管理することをまかされました。直接管理運営に携わることができていない地区についても、市民活動活性化事業への参画などを通じて、地域課題を訴えつつ、交流を深めていくことが大切です。

各地区の市立浴場についても、これまで管理運営をされてきた「一般財団法人京都市立浴場運営財団」の解散を受けて、新たに11浴場に3企業が指定管理者として運営が決まりました。今後は、民間企業として利用者への様々なサービスを提供することによって、利用者の増加と安定運営が進められます。したがって、入浴料金は一般と同額となり、地区外の銭湯も視野に接客マナー、清潔で親切な浴場などを目指して、各浴場間のサービスについても、競争や違いが発生します。それぞれの浴場管理者にも、創意と工夫が求められることになり、住民の憩いの場、公衆衛生の場、心と体を癒す場として、今後も地域住民に貢献していくことが期待されています

他方、昨年度、保健福祉局は各地区の旧診療所・保健所分室跡に医療や福祉関係施設の用途・目的を限定して「公募」を行いましたが、あらたに田中地区が応募をしました(これまでに、東三条、西三条、吉祥院は有効活用されています)。その結果、左京区内でも比較的高齢化率が高く施設等が少ない養正・田中地区に、今年1月から小規模多機能型居宅介護施設が整備され、地区内外からの利用者が多く見込まれます。いずれも民間の社会福祉法人等が運営を行い、地域住民や運動団体との連携により、地域密着型の運営で福祉で人権のまちづくりの推進にもつながります。

また、西三条地区では旧壬生隣保館跡を活用して、盲養護老人ホームを併設した特別養護老人ホーム等の建設が始まりました。視覚に障害があるがゆえに介護保険制度による高齢者施設への入所を拒まれるケースなど介護保険外に置かれかねない視覚障がい高齢者へのサポートがある全国的にも稀少な施設として注目されています。このように「同和」地域に、部落問題だけではなく、障害をもった高齢者や、異なった文化的背景を持つ在日外国人の高齢者等の人権に配慮された福祉施設が誕生するということは、共生・協働の取り組みにとって大きな意義があります。

福祉で人権のまちづくり運動は、地域における足もとの課題を丁寧にすくい上げ、その課題解決に必要な一般施策の調査や研究を行い、京都市や関係機関に求めて協働で解決を図る取り組みを進めていくことです。高齢世帯の増加や世帯数の激減など地域課題を地域だけの課題に留めず、周辺の課題をも視野に入れた取り組みをすすめ、その手法についても、地域住民だけでなく、学区内外の各種団体や障害者団体などと連携して取り組むなかから豊かな関係性を築き、差別や人権問題などの現状を訴え解決にむけた営みを実践することです。年々めまぐるしく変化する福祉施策(高齢者福祉、障害者福祉、児童福祉、地域福祉等)を学習する機会として京都市協における「福祉・教育」、「人権確立」、「まちづくり」の各部会のコーディネートものぞまれます。

 

3 多文化共生の社会をめざして

 

(1)多文化共生の社会

                                       

日本社会の国際化・グローバル化が言われるようになって久しくなります。この傾向は近年ますます大きくなり、昨年日本へ来る外国人は過去最高になっています。また京都市内には4万人以上の外国籍住民が暮らしており、その国籍は134カ国にのぼります(201312月末)。近年は韓国・朝鮮籍者中心のオールドカマーに加え、世界各国から多くのニューカマーが日本に来るようになりました。京都市は2008年に「京都市国際化推進プラン」を発表し、10カ年計画を推進中です。昨年度には5年間の経過を経た「改訂版」が発表され、多くの目標が新たに加えられました。また京都市教育委員会は22年前に「外国人教育方針」を策定する中で「主に韓国・朝鮮人児童・生徒に対する差別をなくすために」という取り組みを掲げましたが、近年は国籍にこだわらず外国にルーツを持つ全ての児童・生徒へと対象を広げています。一方で外国籍住民をサポートする様々なNPO法人・市民団体等も数多く活動をしていますが、そのネットワークや連携はまだまだ不十分といえます。何よりも活動資金・活動拠点施設や多文化共生推進に寄与する人材(多文化社会コーディネーター等)の不足が見受けられます。多文化共生社会とは、「国籍や民族の異なる人が、互いの文化的違いを認めあい、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として、共に生きてゆくことです」(2006年総務省)が、日本社会全体を見るとまだまだ課題が山積しているのが実情です。

 

(2)エスカレートするヘイトスピーチ

                                     

在日特権を許さない市民の会(在特会)等ネット右翼と呼ばれる団体がまき散らすヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)は、最近ますます拡大してきました。以前から彼らは「チョーセン帰れ!」「ゴキブリ、ウジ虫!」と聞くに堪えない下劣な言葉を叫んでいましたが、「コーロセ・コロセ・チョーセン人!」「良い韓国人も、悪い韓国人も死んで下さい!」「鶴橋大虐殺!」とエスカレートしてきました。これはもはや犯罪以外の何ものでもありません。ヘイトの対象者は在日韓国・朝鮮人にとどまらず、ニューカマーや沖縄出身者、被差別部落出身者、障がい者、広島や長崎の被爆者、性的マイノリティーなど対象を広げられています。ヘイトスピーチ関連行動は、20124月〜12月で126件、20133月〜11254件、昨年には300件以上も行われており、ほぼ毎日全国各地で繰り広げられています。このような犯罪行為に対し、日本政府は「表現の自由を侵す恐れがある」と取り締まらず警察も野放しの状態です。最近ではヘイトスピーチに反対する市民の行動(カウンター)も多く見受けられ、昨年720日大阪御堂筋で実施された「仲良くしようぜ!パレード」には1600人以上の参加者がありました。127日京都円山公園での「在特会」の約40人集会に対しては、ヘイトスピーチに反対するカウンターが10倍以上の人数で取り囲み、彼らは機動隊に護衛される形でしか街宣できませんでした。

ヘイトスピーチが蔓延する日本社会の現状に対し、国際社会は日本政府に厳しい対応を求めています。昨年7月ジュネーブで開かれた国連の自由権規約委員会は、日本政府が「名誉毀損や脅迫などに当たる以外は取り締まれない」との説明に対し、「差別や敵意、暴力の扇動となる人種的優越あるいは憎悪を唱える宣伝のすべてを禁止し、そのような宣伝を広めるデモを禁止すべきだ」と、新たな規制を求める厳しい勧告を日本政府に行いました。また8月には、日本も1995年批准して加盟している「人種差別撤廃条約」委員会が、ヘイトスピーチに関連して「包括的な差別禁止法の制定が必要」とする勧告案をまとめました。 

このようなヘイトスピーチは大人の社会だけでなく、子どもの社会にまで広がりつつある事に危機感を持って対処しなければなりません。昨年11月市立小中一貫校に通う在日4世女子生徒に対し、同じクラスの男子生徒が「チョーセン帰れ!」と言う発言がなされたという報告があり、他にも広がる恐れがあり、我々大人が責任を負わなければなりません。

 

(3)京都朝鮮第一初級学校事件裁判の判決

 

2009124日午後1時頃、京都市南区にあった京都朝鮮第一初級学校(現在は第三初級学校と合併し、伏見区に移転)に突然ネット右翼の「在特会」「主権回復を目指す会」ら11人が襲いかかり、「スパイの子!」「密入国の子孫!」「ゴキブリ、ウジ虫、日本から出て行け!」などと1時間以上にもわたり大音量でわめきチラしました。これに対し学校側は威力業務妨害であると刑事告訴し、主犯格の4人に対し執行猶予付きの有罪判決が下されました(確定)。しかし彼らは、翌年の114日と328日にも学校周辺で同様の行動を行いました。学校側は20106月、差別的な街宣行動差し止めと損害賠償金1000万円を求める民事裁判を京都地裁に提訴しました。2013107日京都地裁は「在特会」らの行動は人種差別撤廃条約が規定する人種差別に当たると認定し、被告に対し1226万円の賠償金支払いと将来にわたり学校の半径200メートル以内への立ち入りを禁止する判決が言い渡されました。被告「在特会」の控訴審裁判も、201478日大阪高裁は京都地裁判決を支持し、それに加え地裁段階で触れられなかった民族教育権を認める判決が下され、また同年1210日最高裁は大阪高裁の判決を支持し、判決が確定しました。

この裁判の意義は大きく、日本で初めて人種差別撤廃条約に基づく人種差別を犯罪と認定したこと、民族教育権を認めたことは画期的な判決だといえます。しかし「在特会」により子どもたちが受けた心の傷は深く、未だに癒えていないのが現実です。

 

(4)多文化共生社会の実現を!〜東九条の実践

 

JR京都駅の南側に位置する東九条地域は、京都で最も在日コリアンが多く住む地域です。特に鴨川に近い東九条東部は在日コリアンの割合が高く、日本籍取得者を加えると現在も約3割の在日コリアンが生活しています。1960年代から1980年代まで、劣悪な住環境のために大火災にたびたび見舞われ多くの犠牲者が出ました。また鴨川の河川敷(通称松ノ木町40番地)にバラックを建てて住んでいた多くの在日コリアンは、当初電気や水道もなく悲惨な状態におかれていました。このような劣悪な環境から逃れるように東九条の人口は減少を続け、1965年当時の人口から比べると現在では山王学区では約66.2%、陶化学区では43.6%、山王学区の東側4ケ町では実に85%の人口減少になっています(2010年国勢調査)。1990年代半ばより市営住宅が建設され住環境は改善された反面、まちの活気はなくなりつつあります。行政中心のまちづくりは住環境改善が中心であり、多文化共生地域コミュニティ形成などソフト面の課題に対応ができていないのが実情です。

東九条には長年地域に根を下ろした様々なNPO団体や市民団体などがあり、地域のまちづくりに貢献しています。その一つである東九条マダンは、1993年から毎年11月初旬に多民族共生・交流のまつり「東九条マダン」を盛大に開催し、毎年地域内外から約5000人の参加者があります。また20117月には東九条に「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」が開設され、現在51の市民団体が登録を行い、それらの団体が中心となって4月には「春まつり」が開催され、本年も418日に「第4回東九条春まつり」が盛大に開催される予定です。そのほかにも「多文化交流夏まつり」「大餅つき大会」など多彩な行事があり、地域に根を下ろした多文化交流が実践されています。

しかし問題や課題も多くあります。ネットワークサロンには防音設備が無いため「まつり」に欠くことの出来ない民族楽器などの練習にはとても対応できません。東九条マダンだけではなくアジア諸外国・南米などの民族楽器や舞踊などの文化活動を行うスペースや防音設備がなく、私たちが望んでいる「多文化共生・交流」には不十分といえます。また近年ニューカマーの増加に伴い、外国人相談内容も日本語習得、医療・福祉、教育・子育て、就業、DV問題など多岐に渡り、今までの民間によるボランティア活動では限界があります。これらの問題の多くはかつてオールドカマーと呼ばれる在日12世たちが経験してきたことであり、オールドカマーの運動の蓄積や経験が(例えばオモニハッキョと言われる識字学級など)これからの多文化共生社会に生かせるシステム作りが必要です。東九条地域に多文化共生社会実現のモデル事業として、総合的な「多文化共生推進センター(仮称)」開設が望まれます。

「多文化の息づくまち・京都」の実現こそ、これからの京都を展望するキーワードになることでしょう。

 

 

4 人権確立に向けたこれからの運動展開

 

 同和対策審議会答申から50年の歳月を経たことを冒頭に述べましたが、20023月末、答申に基づく特別措置法が期限切れとなることで、日本政府から「同和問題」を所管していた地域対策室が廃止され、行政用語から「同和地区住民」「同和地区」という名称も消滅しました。答申では「同和地区の住民は異人種異民族でもなく、疑いもなく日本民族、日本国民である」とのくだりがあり「身分階層構造に基づく差別」と規定しています。この規定が、そもそも近代市民社会において「あってはならない差別」であることを明確にしていること。それゆえ施策の投入によって解決可能であることを前提にしているという点で、集中的な法律の執行を可能にしたというメリットがあったと言えますが、法律失効後に部落民を定義する言葉を失ってしまったというデメリットもあったのではと、考えさせられます。

 1965年に国連で採択された「あらゆる形態の人種的差別を撤廃する国際条約」(人種差別撤廃条約)に対し、日本政府は30年間批准を放置してきたものの、1995年、ようやく条約に加入しました。1984年、条約加入が議題となった衆議院予算委員会で、当時の地域改善対策室長は「人種差別の問題に関係して、本条約は部落問題と関係している」との趣旨を答弁しました。また、1994年時点での「人権と差別問題に関するプロジェクト」(中間報告)でもこの考えは維持されていました。けれども、1995年の条約の加入に際して、条約第1条の「世系」に関し、日本政府(外務省)は「過去の世代における人種もしくは皮膚の色または過去の世代における民族的もしくは種族的出自に着目した概念であり、社会的出自に着目した概念を表すものとは解されない」すなわち「世系には社会的差別である部落問題は入らない」と表明しています。さらに第4条の差別を犯罪として処罰するという、この条約の中心的条項を留保しました。条約委員会は2001年、2010年、2014年と、日本政府報告書に「人種的色合いの強い世系には社会的出身である部落問題は含まれない」ことを理由として部落問題の言及がなかったことに対し、「日本政府の見解は間違いであり、条約に部落問題を包括して取り組むよう」勧告を繰り返しています。

 同対審答申50年を機にあらためて、1996年に出された地域改善対策協議会の意見具申による「同和問題が存在する限り、真摯に対応する」その中身として、部落民の定義をはっきりさせることと、答申に基づいてなされた政策の到達度について、それぞれに客観的数値をもってあきらかにし、さらに、撤廃委員会へ誠実に報告するべく、対応していく必要があります。国際社会における、日本の基本姿勢があらためて問われていることを、多くの日本に居住する人びとが自覚しなければ、日本から発信する様々な分野の言葉さえも信頼されないおそれがあります。

 一方では、障害者差別解消法の成立と条約の批准の手順については、国際的にも好意的に受け入れられていますし、京都朝鮮学校襲撃事件に関わる民事裁判での、人種差別を理由に加算した高額賠償や民族教育権を認める判決確定も良心的なメッセージです。そのことに関わり、京都市議会ではヘイトスピーチを禁止する意見書が、昨年1222日全会一致で決議されています。このように、地域で身近に起きている人権侵害を、他人事ではなく、自らのこととして許すことが出来ないという表明こそが、社会を変えていく一歩となります。

 しかしまた一方で、一昨年9月最高裁で民法の婚外子相続差別規定が違憲であるという判決が出され、12月、民法9004項が削除され、そのことは、婚外子を差別する唯一の根拠法が失われたということを意味するにも関わらず、出生届の「嫡出子」と「嫡出でない子」のチェック欄を消去する戸籍法の改正は、閣議決定により見送られたままになっています。自治体窓口は、「自分たちは差別したい気持ちは毛頭ないのに、民法があるので仕方がないのです」(合理的差別)といい続けてきたことを思えば、根拠法もなく存続するこの欄は「差別するために差別を残す」という態度の表明となってしまっています。これに対しても、京都市議会は欄の撤廃を国に対して意見書として決議しました。

 ただ、地方議会の決議ということでいえば、人権擁護法に関しては、全国で449の自治体がその成立を願う意見書をあげていますが、政府与党、特に首相とその周辺の意向一つで頑迷に議論の俎上にものぼらない状況が続いています。地方創世を今後の課題とするのであれば、もっと地方自治体からの声を、政府は真摯に耳を傾けるべきではないでしょうか。特定の集団に対するヘイトスピーチは、名誉毀損などの裁判にのせることが難しい現状のなかで、名指しされた被害者が個人として果敢に裁判にのぞんでいます。けれども自らが原告となって立証するために被害にあった当事者がまた、憎悪表現の資料にあたることでの2次被害は、想像するだけでも壮絶です。人権侵害を救済する第三者機関は必要であり、被害にあえば救済される社会、人権侵害は許されない社会に生きているという安心感の中で市民・住民が暮らせることは、民主国家の条件です。

 もう一つの節目として、今年が阪神淡路大震災から20年ということがあげられます。117日には神戸市などが主催する追悼行事に75千人が参加しました。大切な人を亡くしてなお、悲しみと共に、その命と共に未来へ向かって生きていく被災者の方々の姿は、私達を勇気づけると同時に、東日本大震災の被災者との連帯も語られました。「人権」と私達が呼ぶ言葉の本質は「いのち」です。互いの命を大切にして、その大切さを伝え、子どもたちの未来へつないでいきましょう。

 

 

5 教育をめぐる状況

 

 「教育の全分野において、それぞれの公務員がその主体性と責任で同和地区児童生徒の『学力向上』を至上目標とした実践活動を推進する。」

196419日に京都市教育委員会より出されたこの「同和教育方針」の下、京都市の学校現場では、同和地区児童生徒の学力向上に向けての実践活動が展開されてきました。そしてその取組は同和地区児童生徒のみならず、すべての子どもたちの教育に活かされてきました。

 20023月末に地対財特法の期限が切れ、特別対策としての同和教育施策は終わりました。しかし、京都の同和教育の精神は今も京都市の教育理念として息づいており、またこれからの学校教育にも引き継いでいかねばなりません。

 いじめ、不登校、虐待、発達障害等、現在の学校には様々な人権課題があります。同和教育では、「問題を現象だけで捉えず、その背景まで踏み込んで関わる」ということがさかんに言われてきました。この考え方が、まさに今の学校が直面している課題の解決に向けて重要であると考えます。

 不登校の子どもに対して家庭訪問や放課後登校で個別学習を行う。いじめ対策委員会や不登校対策委員会で、チームとして個々の子どもへの取組について考える。教室に定着できない子どもに対して、別室で気持ちを落ち着かせるように対応する。家庭での生活について、保護者や地域と連携する。今の学校現場で当たり前のように行われていることは同和教育の中で大切にされてきたことばかりであり、京都の教育に今も脈々と同和教育の成果が息づいていることを感じさせられます。

 京都市の保育所・小学校・中学校・高等学校で構成される京都市人権教育連絡協議会では、次年度からの集会サブテーマを「同和教育の成果を基盤として〜すべての児童・生徒にあらゆる人権問題解決への実践的態度を培う〜」と変更する方向で協議を進めています。

 さまざまな課題に直面している今こそ、京都の同和教育が大切にしてきた「一人ひとりの子どもを徹底的に大切にする」理念を基盤に、課題解決に向けての取組をさらに推し進めていかねばならないと考えています。

 また、「同和教育の総和」とも言われる学力向上・進路実現に向けて子どもたちが学習に取り組んだ旧学習施設は、総合支援学校のサテライト教室や、不登校の子どもたちが学ぶ「ふれあいの杜」の教室として活用されています。かつての楽只学習施設は現在、北総合支援学校サテライト教室とふれあいの杜北学習室に、改進学習施設はふれあいの杜伏見学習室、壬生学習施設は鳴滝総合支援学校サテライト教室、養正学習施設は白河総合支援学校サテライト教室、特に「困り」をもつ子どもたちの「学びの場」となっています。今後さらに他の旧学習施設も含めて、同和教育が大切にしてきた教育理念を活かした、多くの子どもたちの「学びの場」となることが期待されます。

 

さて、昨年12月6日・7日の両日、「第66回全国人権・同和教育研究大会香川大会」(以後「全人同教」)が行われました。京都市の人権教育の方針が同和教育中心から転換されて10年以上が経過し、その理念は京都市教育に息づきつつも、人権教育に対する考え方やそのあり方がずいぶん変化してきたように思います。本集会の参加者も以前に比べると大幅に減少し、分科会の数など大会規模も小さくなってしまいました。各学校においては、若い教員が同和問題や外国人問題の認識に乏しく、また深く学習するということも少なくなってきています。

 そんな中、「全人同教」では同和教育の理念に基づく教育実践がまだまだ多く報告されます。何よりも、全国から「厳しい立場に置かれている生徒をどうするのか」という視点で教育を考えている人が1万人も集うこの集会の意味は依然大きいと思います。

この「全人同教」では、近年「語り合い学習」がテーマとして取り上げられることが多くなりました。今年度の全体会の特別報告や、分科会の実践報告でもいくつか取り上げられていました。

今から20年ほど前徳島県の中学校から始まったとされるこの学習は、「全人同教」の大会で報告されたことをきっかけとして一気に全国へと広がっていきました。初めて報告された時、会場内に広がった衝撃と感動は、大変大きなものでした。学級や学年集団の中で、生徒自身が、同和地区出身であることや在日外国人であることなど自分の立場を明らかにしながらその不安や悩みを語り、生き方についての決意を述べていきます。一方、集団はその語りを真剣に聴き、精一杯の思いを返します。「自分にとってとても大切なこと」を言えた喜びと受け止められた喜び、そして「あの人にとってとても大切なこと」を聴かされ知ることができた喜びが集団に信頼関係を生み、強固にし、深い結びつき(絆)を作り出します。子どもの本音には、その子どもの人生の背景が隠されている場合が多いものです。互いの背景まで理解しあって出来上がった仲間集団では、差別やいじめは起こりません。

「全人同教」の報告からも、改めて「人権教育は仲間づくりに始まり仲間づくりに終わる」ということが再認識できました。

 差別やいじめなど、それを受けるかもしれないという個人の不安や悩み、またはそれを受けた痛みや苦しみは、集団の中でそれを共有することで解消していけます。そうすることが解決への最良の方法であると思うのですが、多くの場合、された側から事情を聴き、した側を指導するという集団を切り離した方法がとられます。こうしたやり方では、多くの者がその問題行動を知らないままで終わってしまうことになります。ほとんどの子どもから学びの機会を奪うだけでなく、解決に向けてこれらの子どもたちの力を活用することもできません。指導する者の労が多い割に成果や効果が少ない指導になっていないか、考えていかねばならない問題だと思います。

 残念なことにいじめに関する話題が一向に減る傾向にありません。その対処・対応について議論することはもちろん大切です。しかし、今こそいじめや差別を起こさない集団づくりについてさらに研究を進めるべきだと思います。困っている子どもがいるとき、その子どもを助けるのが教師だけではなくその集団の中にいる友達だったら、こんなに心強いことはないからです。すべての子どもが、安心して生活できる集団をつくる。それは、一人ひとりの学力の向上にとっても大きな意味があります。人権教育が「仲間づくりに始まり仲間づくりに終わる」ということを、今一度確認したいと思います。

 

(1)「いじめ」問題についての動向

 

 昨年1010日に、「京都市いじめの防止等に関する条例」(以後、「条例」)が、一昨年の国における「いじめ防止対策推進法」(以後、「法」)を踏まえ公布・施行されました。

 全7章24条からなる「条例」は、「法」とほぼ同じ構成でまとめられ、とりわけ地方自治体としてより焦点を絞った事業や施策の実施についての記述がなされています。

 このように、「いじめ」の問題に関する法制化・条例化の動きが急速に進んでいます。私たちはこのことをどのように受け止めるべきでしょうか。一昨年からの動きということで捉えると、201110月に起こった大津市の中学2年男子生徒がいじめを苦に自殺した問題を重く受け止めてのことと言えますが、これまでの我が国の歴史を振り返ると、いじめが原因で児童生徒が自殺に至る重大な事件はここ30年ほどで15件以上起こっています。そしてここ10年ほどの間に、「いじめの定義」が、30年前に捉えられていたものから2度に渡って変わっています。その内容は、より広い観点からより細かな要素まで、そしてより深い基準にまで「いじめ」というものを捉えるようになっています。この「いじめの定義」の変容が基点となって、「いじめ防止」「いじめ根絶」に向けた取組が構想され、取組として形作られ、推進されていくのです。したがって自ずとその取組内容は多様化、多重化、高度化し、拡大していくと考えられます。

 確かに、いじめがある、ましてや子どもが自殺してしまうほど重大なことが存在することなど、誰も認めたくはありません。しかし、過去の悲しい事実が、この社会の厳しい現実を物語っているともいえるのです。これまで、いじめをなくし、いじめの起こらない教育を、学校で、教室で、教員が奮闘し、懸命に進めてきたのですが、悲しい事実は完全には消し去ることができなかったのです。

 今、国が法律を制定し、地方自治体が条例を定めて、施策を実施していくという取組が、この「いじめの問題」にも当てはめられました。法的根拠、行政施策が保障された今後は、決して、いじめにより子どもが命を落とすことがないように、いじめを許さない、いじめのない学校づくり、つまり一人ひとりの子どもが本当に安心して生活し、学ぶことができる環境の実現が真に迫られ、まさに後のない状況になっていると捉えなければならないでしょう。

 決して消え去ることのない悲しい事実があり、法が整備されてきました。しかし、教育の現場においては、先述の通り、まず「いじめや差別を起こさない、人権教育を基盤に据えた学校づくり、仲間づくり」を進めていくことが大切なのです。

 

(2)小学校の取組

 

 本市教育の基本理念である「一人ひとりを徹底的に大切にする」教育は、同和地区の児童生徒の長期欠席・不就学の実態を改善する同和教育の取組が基点である、このことは先ほども述べました。

これまで小学校同和教育研究会(以後小同研)の活動方針は、「同和問題をはじめ、あらゆる人権問題を解決するための教育を研究推進する。」を基本としてきました。しかし、地対財特法が失効してから10年以上が経過した今、様々な面でこの文言を見直す必要が出てきました。その見直しとは、同和教育方針、同対審答申以来引き継がれてきた「同和問題解決のための教育」の成果が、「あらゆる人権問題解決のための教育」を進める確たる基盤である、このことを確証することと考えています。一昨年度より改訂作業に取り組んできた小同研活動方針は、「同和問題をはじめとする」という文言を「同和教育の成果を基盤に」と改め、「あらゆる人権問題」について取り組む方向性を明示しました。そして先述したように、市人教集会のテーマ変更の方向性も示すことになりました。

この活動方針の改訂と共に、取組の重点においても、いくつか文言修正等をしながら新たな方向性を見出しています。

まず、児童の「学力」については、「学力保障」という言葉を「学力向上」としました。この学力保障という言葉には、かつて長欠不就学の時代に児童の教育権が保障されていなかった課題や、高校への進学が十分に保障されていなかった課題を解決するという考え方が根底に流れています。もちろんそのような厳しい実態が改善された後も、低学力実態の克服に向けた取組が重点的に進められ、個々の課題を明確にし、焦点を当てるべき児童に届く教材研究、授業展開に継続して取り組んできました。そういった長年の実践を踏まえ、現在の「学校教育の重点」がうたう「確かな学力・豊かな心・健やかな体」を重点と位置付ける時に、「確かな学力」を育てるためには、これまでの「学力保障」の内容を、「学力定着」と「学力向上・学力伸長」の両面から捉え、個に応じた丁寧な取組をさらに進めることが重要であると考えています。

また人権学習の重点内容としては、2008年に文部科学省から出された「人権教育の指導方法等の在り方について〜第三次とりまとめ〜」(以後、「第三次とりまとめ」)の理念をもとに、「子どもたちに自分の人権を守り他の人の人権を守ろうとする意識・意欲・態度を育てるためには、人権に関する知的理解を深め、人権感覚を磨き、人権意識の高揚を図り、実践的態度の育成を目指す」取組を各校が具体的にどのように追究していくかを重要と考えています。

自立活動に関しても同様に、「第三次とりまとめ」の理念を基本に、「地域全体が有機的につながる仕組等、新たな視点での自立活動に関する実践として、特別活動や課外活動における自他の『生き方』についてはたらきかける自治的・自立的な活動」の方向性を示すことが重要と捉えています。

そして、これまで教職員研修と啓発活動を別の研究・活動領域としていましたが、人権教育における教職員と保護者の取組として、連動・連携させていく方向性を示しています。教職員研修で最も重点を置いているのは、急激な教職員の世代交代の中で、現存する差別事象について考え、認識を深めると共に、京都市の同和教育の理念を受け継ぐような学習の場を持つことです。また、啓発活動については、PTAや地域住民の役割について考え、実践交流を深めていくことを念頭に、「啓発=教えわからせること」という姿勢ではなく、親や住民が「自ら学習する」という姿勢で進めるものとし、重点内容の文言訂正も積極的に進めていきたいと思います。

そして、今、小同研が注目している子どもの人権課題は「子どもの貧困問題」です。同和教育施策実施当時、同和地区児童の進路実現を阻む低学力の実態に対し、その要因を的確に捉え、解決すべき課題として設定し、具体的な取組を展開していました。その課題は、住環境や家庭の教育力、経済力であり、それらが当時の同和地区に集中的に顕れていた実態があり、取組の方向性を明確に示していました。そして、結果として現れる課題は同和地区外児童との格差として捉えられ、それを是正することが目的となっていたのです。現在はそのような格差是正の方向性は見出されないものの、低学力につながる実態的課題としては、「子どもの貧困」が問題とされています。多くの識者がこの問題を重要視し、研究が進められ、一昨年、関連法案(「子どもの貧困対策推進法」)も成立しました。このことは、同和教育方針以来、法の時代の取組の理念や手法が、新たな課題を解決する有効な方策として今も生きていると言えるでしょう。

子どもの人権を脅かす課題は今、多様化・複雑化しています。科学技術の進歩、生活の利便化の中、想定外の人権問題が生起していると言えます。スマホやネット機能付ゲーム機をツールに起こるSNSによる人権侵害や危険事象は、その特徴的な例と言えます。法の制定という形で様々な人権問題が喫緊の課題として、その解決の取組推進が要請されているこのような現代の状況を踏まえた、学校現場における実践が必要となってきます。

最後に、差別は形を変え、今でも根強く残っています。しかも、見えにくくなっているのも事実です。そして、差別される立場に立つ児童も見えにくくなっています。同和問題に限らず、ヘイトスピーチと関連して新たな現象として在日の子どもに降りかかる外国人問題、不登校に苦しむ子どもや様々な課題の要因と考えられる発達障害の子どもへの支援の不足等、障害のある子どもへの新たな問題等について、そのことが言えるのではないでしょうか。そのような状況の中、今、すべての児童が差別される側に立たされる可能性があるということを強く念頭に置かなくてはいけません。そして、同時にすべての児童が差別する側に立ってしまう危険性もあるということも忘れてはならないと思います。だからこそ、これまで以上にすべての児童を対象にした確かな人権教育を創造、構築していかなければいけません。「これまでの同和教育の成果を基盤にした新たな人権教育の創造、構築を推進していく。」このことを小同研からの提案とさせていただきます。

 

(3)中学校の取組

 

 中学校の教育現場においても、同和教育施策が行われてきた実践を経験した世代の教員が少なくなり、採用が10年未満の教員が全体の約半数を占める中、いかにして、同和教育が培ってきた精神をそれらの若年教員に伝えるかが大きな課題となってきています。これは、いわゆる「同和教育の普遍化」を進めていく上でも重要な要素になっていくと考えられます。同和教育施策が終了して以来、京都市における同和教育の中で大切にされてきたことは「一人ひとりの子どもを徹底的に大切にする」ということです。この言葉は、現在学校における様々な教育活動の中で実践されています。

中学校教育研究会人権教育部会(以後中人研)は、「人権教育を学校教育の根幹に据え直す」ということをテーマに据えて、学校づくりを進めることを提言しています。そのためには、学校や地域における教育活動全般に同和教育・人権教育が大きく関わっていることを確認していく必要があります。

まず、学校の教育活動においては、「第三次とりまとめ」の中にも示されている「道徳も含む人権感覚の育成」という枠組みでの人権教育の実践が挙げられます。

道徳教育と人権教育の関連についてですが、2018年に道徳が教科化される方針が固まりましたが、ここ10年程前から各小中学校では道徳教育が見直され、内容の吟味精選と授業方法や授業時間の確保など取組の改善が行われています。きっかけは、神戸や長崎で少年によって小学生や教師を殺害する事件が起こったことでした。また、生きる目的がないという理由で友人と高層ビルの屋上から飛び降りた女子高校生の死も文科省や各自治体を突き動かしました。

 今、各小中学校で取り組んでいる道徳は、いわゆる戦前の修身・教練的な価値の押しつけではなく、子どもの心を柔らかくしたり温かくしたりしようとするものです。テーマとして、特に「いのち」や「なかま」を大切にすることが多く取り上げられてもきました。このことは、人権教育が目指してきたものと共通点があり、カリキュラムの中に週に1時間ある道徳の時間の取組は、人権教育を推進するうえでも有効であると考えられました。

 本市においても、学校を上げて道徳教育に力を入れたことで生徒指導上の“荒れ”が治まったという例が少なくありません。「命を大切にしましょう」「仲間を大切にしなさい」そんなことを教師が伝えるのではなく、読み物資料や映像を上手く使って、児童生徒が自ら「命や仲間を大切にしなアカンなあ」と思うような授業づくりをしています。このやり方は、即効性はないかもしれませんが、じわじわと児童生徒の心を刺激し、子どもたちの考え方や態度まで変化させたのです。この点もこれまで行ってきた人権教育と共通点があります。

一方で、道徳教育が人権同和教育とは異なるという考え方もあります。それは、これまで本市だけでなく全人同教でも大切にされてきた人権同和教育の考え方の中心に「差別の現実に深く学ぶ」ということがあり、差別を社会問題と捉えて取り組んできた経緯があるからです。

児童生徒が、社会の中にある不条理を見抜き、それを糺していける人間へと成長することを願って取り組まれるのが人権同和教育だという考え方に立てば、読み物等の資料を用いて進める道徳の時間の指導等は,人権同和問題学習とは性格を異にするという考え方にも納得が出来ます。もっと言えば、道徳的心情や態度・判断力の育成が必ずしも現存する差別の解消にはつながらないということです。

 決して、人権同和教育を道徳教育に移行する方向性を提案している訳ではありません。これまで人権同和教育が大切にしてきた考え方はしっかりと保ちながら、道徳の時間と手法、理念をそこに取り込んでいこうということなのです。

同和教育施策が実施されていた時期を経験した教員の年代は、現在若くても30代後半以上になります。施策隆盛期ともなれば40代後半以上となるでしょう。その世代の教員は言います。「これまでの教員生活を振り返ってみても、人権教育が様々な教育活動に関わっていることを多く感じることが出来た。」と。それらの教員が採用当時、1970年代から80年代にかけての厳しい実態の中学校現場では、校内暴力の嵐が少し収まりつつある頃でした。そういった学校が落ち着きを取り戻した大きな一因として、人権尊重に関わる学習を進めるため、教員独自の資料を持ち寄りながら学習指導案を書いたり、教員間でいかにして子どもたちの考えを引き出していくか話し合ったりという取組が、道徳の時間を活用して進められていきました。そこから、教師が真剣に語り、訴えることが生徒の心を開き、耕していくという取組が進められ、教員が指導力を身に付けていきました。

次に大切だと考えるのは、生徒の厳しい生活の背景に迫り、共感する過程を軸としようということです。かつて法の時代、校区に同和地区や児童養護施設を含む学校では、問題行動を起こす生徒のほとんどが同和地区生徒と児童養護施設から通う生徒という実態が多くありました。「同和地区生徒が問題行動を起こすことが、部落差別を助長することになる。施設の生徒がトラブルを起こすことが、その施設やそこから通う生徒たちへの偏見を生んでしまう。」現場では、そういった実践からうまれた先輩教員からの言葉が後輩へ引き継がれていきました。また「頭ごなしに叱っても反抗しかしてこない生徒たちに対して行っていた取組は、とにかく一緒にいるということ。そして、保護者との繋がりをつくるための家庭訪問。これらの取組の目的は、生徒がなぜさまざまな問題行動を起こすのかという原因を探ること。」というような、現場で大切にされた実践に基づく教育理念は、生徒の生活してきた背景を知ることに他なりません。その背景の中に、同和問題を解決するための糸口が隠れていることに気づき、背景を踏まえた上で生徒と接することで、生徒の抱えている不安や悩みを共有することができるのです。その悩みを解消するための取組、例えば、進路目標実現に向けた学習点検の家庭訪問などを通して生徒の変容を見たとき、同和教育が大切にしてきた教育理念の意味を実感することができるのです。

法切れから13年を過ぎ、旧同和地区に在住する生徒の減少、周辺あるいは広い範囲の地域に居住する旧同和地区出身家庭の生徒が存在する現在、多くの学校においても同和問題が存在し、あらゆる学校で同和教育・人権教育が必要だということを認識することが必要です。

さらに、生徒指導の領域で進められていることに同和教育の本質を見ることがあります。

生徒指導のねらいは、生徒の中に“自己指導力”を育てることです(「児童生徒自ら現在及び将来における自己実現を図っていくための自己指導能力の育成を目指す」生徒指導提要:2010.3文部科学省)。その場その場でどのような行動をとることが適切かを決める基準は、他の人のためにもなり、自分のためにもなるという行動を生徒たちが考えることです。他人のことを考える。これは、まさに人権教育の仲間づくりに通じるものと考えます。

中人研が示した学校づくりのテーマの通り、京都市では、「目の前の一人ひとりの生徒を徹底的に大切にする」という教育理念のもと、学校教育の根幹に人権教育を据えてきた歴史があります。今こそその精神に立ち返り、「仲間づくり」に、そしてそれを発展させた「集団づくり」に取り組む必要があります。人権教育を進めることは、生徒が互いに仲間のことを正しく理解し、相手の立場に立って発言したり、行動したりできる集団をつくることです。こうした集団の中では、絶対に差別やいじめは起こらないはずです。

ある学校で生徒の意識を調査する質問で、「学校は何をしに来るところか」と生徒に聞くと、「勉強するところ」という答えが一番多いという結果が出ました。同時に、「何を楽しみに来ますか」と聞くと、最も多いのが「友達に会える」という答えであり、さらに、登校しにくくなった生徒にその理由を聞くと、「友達のことで悩んでいる」という答えが多く返ってくるという結果でした。このように、中学生が感じる喜怒哀楽のほとんどは友達のこと、つまりは人間関係の中から生まれてくるものです。生徒が集団で育ち行動する中で、さまざまな課題を克服し人間的に成長する場、それが学校ではないのでしょうか。そしてその環境を整え、すべての教育活動を有機的に統合する役割をするのが人権教育であると定義し、その推進を、中人研からの提案とします。

 

 

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