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基調

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第49回人権交流京都市研究集会

  第 49回人権交流京都市研究集会基調

 

はじめに

. 私たちを取り巻く情勢と課題

(1)危機にある立憲主義

(2)「治安刑法」のもとでの、戦後の冤罪

(3)自律的な市民となるために

 

.福祉で人権のまちづくり

(1)子どもと若者の貧困への支援

(2)人権のまちづくり

(3)事前登録型本人通知制度について

 

.多文化共生の社会をめざして

(1)多文化共生社会の現状

(2)在日外国人の生活環境の整備・保障が求められている 

(3)「共に生きるまち東九条」の実践

 

.人権確立に向けたこれからの運動展開

(1)日米安全保障条約と沖縄

(2)差別されない、排除されない社会を求めて

 

.教育をめぐる状況

(1)「子どもの貧困問題」が学校教育におよぼす実態から

(2)同和教育の実践をふりかえり、今に思うことから

(3)小学6年生社会科における同和問題に関わる単元の学習とその変容、そして中学校へ

(4)同和教育のの普遍化と小同研の活動のこれから

【参考補足資料】
(5)人権教育を推進しようとする学校の現状から

(6)同和教育と両輪をなす外国人教育の実践の現状から

(7)同和教育の理念に学び、今、学校教育で実践するために

(8)同和教育の精神を根幹に据えた人権教育の普遍化とその不変性に気づくことから

【参考補足資料】

 

49回人権交流京都市研究集会 基調提案

 

はじめに

 

昨年5月3日、日本国憲法が施行されて70年となりました。しかしこの長い年月において、今ほどその憲法が揺らぎ、憲法に示された理念が脅かされている時代はなかったでしょう。今年に入った1月4日には、安倍晋三首相が臨んだ記者会見で自民党憲法改正原案を早期に国会に提示することに強い意欲が示されました。

  それまでにも、2013年に特定秘密保護法が成立、2015年に安全保障関連法(戦争法)、そして昨年は、これまで3度廃案となった共謀罪が、テロ等準備罪と名称を変え、内実を変えることなく成立してしまいました。これらの法律は、全て、憲法違反の疑いが強く、憲法に示された基本的人権の尊重、権力行使の制限を形骸化する危険性のあるものです。憲法9条の改定以前に、逸脱し、無化する法律が成立してしまっています。政権の目指す改憲は、違憲状態の法律を「合法化」するための、最後の「とどめ」に過ぎないのかもしれません。

私たちは、今、なぜこのような事態に陥ってしまったのか。明治維新から150年、第二次世界大戦から70数年を経た現在、近代化を進めてきたこの国の歩みを私たちはあまりにも知らずに過ごしてしまったのではないか。この国の道のりを振り返り、今現在につながる歴史認識として、戦前的価値観がどのように継続しつつ、「新しい」憲法のもと新たな国づくりをして来たはずの私たちの社会に復活して来たのかを検証したいと思います。

 まず、司法の分野において、岩波新書「治安維持法と共謀罪」(内田博文2017.12.20)を手掛かりに考えてみたいと思います。

 

1.     私たちを取り巻く情勢と課題

 

(1)危機にある立憲主義

犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織的犯罪処罰法が昨年6月15日、参院本会議で成立しました。与党が委員会採決を省略できる「中間報告」の手続きを使って一方的に参院法務委員会の審議を打ち切り、本会議採決を強行しました。これまで基本的に許されないとされてきた、犯罪が実行される前の逮捕・拘留・捜索・差し押さえなどの強制捜査を可能とする法律であり、2人以上で話し合い、計画し、準備することが犯罪行為とされる危険性があります。準備には、お金を引き出すことや、下見をすることも含まれるため、捜査員に疑われ、逮捕に踏み切ろうという主観があれば、ごく日常の行為をもって、罪に問われることになります。また、計画段階の罪を問おうとすれば、市民の内面に踏み込み、調べる行為も許容されることとなり、電子メール等の日常の通信や、会話盗聴など、歯止めのない捜査権限の拡大につながるおそれもあります。共謀罪は、過去に3度国会に提出されましたが、人権蹂躙の疑いが濃いと、2度、廃案になってきた経過があります。そこで政権は、「テロ等準備罪」とその名称を変えて、法案を提出してきました。

国会質疑で政府は、「オリンピックを控えパレルモ条約を批准するためにこの法律は必要」と答弁しました。しかし、パレルモ条約は、20019月のアメリカ同時多発テロ事件より前にできたマフィア対策を内容とした条約であり、組織的な経済犯罪を標的としたものでした。また、一般人は対象になるかという議員質問に対しても、当初はならないと答弁していたものの、その後「何らかの嫌疑が生じる以上、一般人ではない」と述べたり、組織的犯罪集団の構成員ではないが関わり合いのある周辺者については、「処罰対象の範囲となる」等と述べています。このように、政府の答弁が二転三転し、事実と違うことを強弁する、それ自体が非常に大きな問題でした。

また、審議時間についても、衆議院での通過がわずか一か月半、参議院の場合は、本会議での趣旨説明からわずか半月で、中間報告の動議で審議が打ち切られ、直ちに本会議の採決に移り、可決成立させてしまったのです。

立法府における、法案の十分な説明、議員からの疑問に対する誠実な答弁という政府の責任を放棄したうえで国会を蹂躙した、その問題の深刻さを忘れてはならないと思います。「国会の機能不全は目を覆うものがあった。帝国議会は治安維持法の『生みの親』で、帝国議会は時代が進むにつれて『戦時議会』『翼賛議会』という様相を強めた。治安維持法の制定および改正にあたっての帝国議会の審議も法案賛成派によるものがもっぱらということになっていった。それでも治安維持法の制定時には議員の忠誠心は政府に対してではなく国民に向かうべきであるとして、政府の曖昧な答弁を徹底的に問いただす志のある与党議員もみられた。しかし、共謀罪の国会審議の場合、このような与党議員は皆無であった。それは日本の三権分立制が危機にあることを浮き彫りにした。」(治安維持法と共謀罪)

戦前の治安維持法は1925年、結社規制法として成立しました。当初は「国体変革」とか「私有財産制度の否認」を目的とした結社、具体的には「共産主義」と「無政府主義」を対象とする旨、政府は答弁していました。しかし、当時共産党はすでに治安警察からの弾圧によって、壊滅的な状況にあり、検挙する対象は失われていました。そのため、治安維持法が適用された第1号は、京都学連事件という、京都大学の学生を対象とした事件で、全国の社会科学研究会員だけではなく、京都大学の川上肇や同志社大学の山本宣治、関西学院大学の大学教員などに対して家宅捜査がなされました。

次に1928年、満州事変に先立って、法改正が行われ、死刑・無期刑を規定し、治安維持法違反の罪は思想的内乱罪、思想的外患罪だとされました。そして、「目的遂行行為の罪」が新たに付け加えられたことにより、検察官(思想検事)により恣意的な適用が拡大されたのです。周辺団体を目的遂行団体と認定することによって、サークル活動や個人の活動も摘発対象となりました。

その後、法律は、1934年、1935年、2度の法律改正案が議会に提出され、裁判所の令状なしに検察の強制捜査権を認め、迅速な裁判を理由として裁判所の移転を認め、思想犯の転向を目的とした保護観察制度や予防拘禁制度を設けるなどの提案がなされました。法案は不成立となりましたが、思想犯保護観察法が可決されました。

そうして、1941年「戦時議会」という言葉さえみられる状況で、さらなる改正法律案が制定され、個人主義、自由主義さえも標的とされるに至ったのです。そこでは、思想的に問題があると検察が判断さえすれば、拘禁することができる予防拘禁の範囲が広がり、民主主義や自由主義を含む「反ファシズム」運動の取り締まりに至りました。そこでの裁判、大審院判例は治安維持法の逸脱解釈・適用の拡大を続け、その対象範囲は政治・経済・社会・学術・文化・宗教運動にまで広がり、判決の妥当性を担保するものは、必罰性と被告人の「自白」供述でした。しかも、この「自白」供述は長期間の身柄拘束下の拷問を含む厳しい取り調べによって得られたものでした。

政府は、敗戦後も治安維持法の運用を続けました。天皇制が残る以上は治安維持法第一条を残すべきというのがその考えでした。政治犯の釈放も否定し、19459月、哲学者の三木清が獄死しました。194510月、GHQから人権指令が出されました。これにより特高警察機能の停止、内務省、司法省にも思想関係事務の停止が指示され、治安維持法は廃止となりました。しかし、司法省関係の公職追放は不徹底であり、「思想検察」はほとんど無傷でした。また、大きな問題として、1949年、団体等規制令、1952年、破壊活動防止法など、敗戦後も引き続いて為政者の意のままに「思想犯」処罰規定が定められたのです。占領下、屋外集会やデモ行進等の民衆運動を取り締まるために全国各地の地方自治体で公安条例が制定されました。

このことが意味するところは、日本の国の刑法の体系が、「治安刑法」のままで「市民刑法」になり得ていないことです。「市民」の定義は多様ですが、自律性、公共性、能動性などがキーワードとされることが多く、近代以降の市民社会のことを特に「近代市民社会」と呼びます。そこでは市民が主権者となり、市民による市民のための統治を法的に保証するために、刑法は憲法と並んで重要な一翼を担うとされています。「市民刑法」の任務は市民の自由を国家刑罰権の濫用から守ることとされたのです。

市民社会が未成熟な国家では、国民は統治の主体ではなく客体とされます。戦前の日本はその典型であり、刑法の主要な役割が市民の利益と自由を保護することではなく、国家や社会の平穏・秩序などを維持することに求められたのです。そのために治安刑法が数多く制定され、治安維持法はその典型でした。

治安刑法の特徴とは、第一に支配体制を維持強化するという政治的な意図が強いこと。第二に、政治的な意図に合わせ予防主義を原則とすること。第三に、この犯罪においては「罪となる行為が」不確定な概念、一般条項で示され、心情刑法となることです。

明治維新政府が不平等条約を是正するために近代的な法体制を整備するため、初期に採用したのは、フランスから招いた法学者ボアソナードが起草したものでした。この旧刑法は罪刑法定主義を明文規定し、身分による刑の差別も廃止した近代的で自由主義的な刑法典であり、1880年に発布されました。しかし、その市民刑法的内容は、条例や特別法で形骸化され、1907年ついに、ドイツ刑法学を学んだ刑法学者たちによって法典化された刑法に全面改定されたのです。当時最も主観主義的な刑法典であり、罪刑法定主義に関する明文規定も削除されました。この「新刑法」は、第二次大戦後に一部改正が行われたものの抜本的な改正がないまま、現行刑法の地位にあります。

 

(2)「治安刑法」のもとでの、戦後の冤罪

 「叫びたし寒満月の割れるほど」。これは、戦後間もなく治安刑法が猛威を振るっていた頃に発生した福岡事件で容疑者とされた西武雄さんが、冤罪を訴え、獄中で唄った俳句です。福岡事件では、西さんはその場に居合わせただけであると、共犯者とされ実行犯でもあった人物も証言し、終始無実を訴えていたのですが、死刑を執行されてしまいました。西さんの無念を晴らすため、またこうした不正義を許す社会を変えなければと、宗教者である古川泰龍さんは終生訴え、またその息子さんや家族もその遺志をついで活動を続けています。昨年はその福岡事件発生から70年ということで、全国70カ所を回って事件を風化させないキャンペーンが行われ、部落解放同盟第40回京都府女性集会の狭山事件の分科会でもその一翼を担いました。

また、狭山事件の石川一雄さんは、埼玉県狭山市でおこった殺人事件で、部落民であるから犯人に違いないとする見込み捜査ででっち上げられ、犯人とされ、冤罪を訴えて今年で55年となります。なぜ、石川さんにとっての真実が裁判所に届かないのか。なぜ再審の扉が開かないのか。検察はなぜ全ての証拠を開示しようとしないのか。そして、そもそもなぜ長期間の拘留が今も合法であり、そこで得られた自白が証拠として採用されることとなるのか。そうしたことは、私たちの社会が、いまだ市民社会として成熟した刑法を持ち得ていないこと。個人の尊厳や自由を尊重する方向に法制定が進んでいないということを示しています。

 

(3)自律的な市民となるために

今年は世界人権宣言が発行して70年という節目の年にあたります。第2次世界大戦により疲弊したこの世界を、もう一度平和の内に立て直していこうとする決意とともにされたこの宣言は、この後、現在に至るまで様々な人権条約や国連の理念の指針となっています。そして、今年は京都市において「文化自由都市宣言」が発行されて40年という節目とも重なっているということ。この宣言の内容はまさに、市民社会の成熟を願ってなされた宣言であり、文化も自由も一人一人の市民の個人としての尊厳、そして平和が前提となるという意味で、世界人権宣言と呼応するものであると言えます。

現行憲法の「改正」について、実際具体的な日程が示されるほどとなった現実において、私たちが最も危惧するのは、その改正のベクトルがまさに、日本の淳風美俗の名目のもと、戦前のイデオロギーに回帰し、個人の自由や尊厳を制約し、公の秩序を優先する意思を隠すことなく書き込んでいる草案をもとに、権力が旗を振って進めているということです。しかも、国会における政府答弁がいまや「隠す、ごまかす、嘘をつく」ことに終始する事実に、多くの国民が気付いている以上、その論戦の信憑性が失われているという危機的状況において、なし崩し的に国の形が変わっていくことを、到底許すことはできません。

このような時代にあって、今私たちが選択すべきことは、権力の側が「戦争」をも視野に入れて拙速に作成した「憲法違反」の法律(特定秘密保護法、安全保障関連法、共謀罪)に合わせるために憲法を改正することではなく、現行憲法に沿った法制定(差別禁止法、人権委員会設置法、刑法、民法の改正)を市民社会にふさわしい方向で進めていくことです。

 

2.福祉で人権のまちづくり

(1)子ども・若者をめぐる現状

 京都市は、昨年4月から「子ども若者はぐくみ局」を開設し、子どもや若者にかかわるあらゆる行政施策を融合、推進するとしてきました。従来の組織体制が一変し、市民とすれば窓口も含めわかりにくい部分もあることから、部落解放同盟京都市協議会は昨年3回の「教育・保育部会」を開催し学習しました。

 まず「子ども若者はぐくみ局」には、大きく3つ「はぐくみ創造推進室」「子ども若者未来部」「幼保総合支援室」が設けられ、それぞれこれまでの「総務・監査」「保健・福祉・教育」「保育所・幼稚園」を管轄するということです。これまでの縦割り行政を解消し、子どもを中心にワンストップで対応することを目的としていますが、そのことが、具体的に一人一人の子どもたちに寄り添う形で実現しているのかどうか、検証が必要です。実際に、「京都市貧困家庭の子ども・青少年対策に関する実施計画」が2017年からの3年間を期間として定められ、子どもに対する「生活・学習・就労支援」保護者に対する「子育て・経済・就労支援・地域ネットワーク」等、様々な施策が例示されているものの、具体的な予算の裏付けが見られません。

 市営保育所に関しても、すでに室町・朱雀各乳児保育所、九条・吉祥院各保育所が民間移管された上、昨年は錦林、砂川。今年度は聚楽・山ノ本、来年度は修学院、淀と民間への移管が決定されています。移管する理由としては、1番目に市営保育所の児童一人当たりのコスト高が示される以外になく、要は予算削減ありきの政策と思われます。京都市立託児所は、1919年(大正8年)に三条託児所が開設されて以降、田中、七条、千本、錦林、西三条と次々に開所しました。「同和地区」に限って設置したのは他都市と比べても京都市だけであり、部落改善事業の中核として、治安対策の側面もあったものの、当該地域の隣保改善、家庭改善に寄与してきたという歴史的経過があります。民間への移管に関してもそうした経過の共通認識を保護者同士で培いながら、人権の視点を失わないことが求められています。

 親の生活・経済状況によって、子どもの進路や人生の選択肢が狭められることがあってはならないのであり、社会全体で子どもたちを見守り、育んでいくという視点は、人権を考える上で最も大切なことです。

 

(2)人権のまちづくり

 京都市においては、被差別地域の多くは改良事業のもと公営住宅の建ち並ぶ地域となりましたが、事業開始から40年〜50年の歳月を経て、現在建物の老朽化、そして、どこの公営住宅も抱えている少子高齢化の進行が、平均よりも著しく進行しています。2011年から2020年までの10年間を期間とする、京都市が策定した「住宅ストック総合活用計画」も市内11地域のうちの、千本地域についてやっと目途がついた段階で、遅々とした進み具合です。千本地区は、1960年の改良事業に先行し錦林、養正、崇仁に続き1975年より住環境整備がスタートしました。しかし、1970年代〜80年代まで2000人弱いた人口が、90年代半ばから就労の安定や住宅の狭小のため人口が流出し、90年代には300人弱まで減少し、その内容も高齢者やひとり親家庭など世間的に弱者と言われる人が多く見られるようになってきている現状です。そこで1993年に千本ふるさと共生自治運営委員会(略称じうん)を立ち上げ部落解放同盟千本支部のみならず学区内の各種団体とともに、人と人との豊かな関係性に着目しながら、まちづくり運動を展開しています。じうんでは、共生・永住・自治を基本理念とし新棟の建て替え事業やエレベーターの設置、全国で初となる定期借地権付コーポラティブの建設などを行ってきました。現在では、京都市が推し進めるストック計画に伴い住宅の集約や耐震補強、浴槽の設置などを行っています。鷹峯地区の居住者を千本地区に戻す住宅整備計画も終盤をむかえ、2020年度完成を目指しています。また、ストック計画で集約された住宅地あとの余剰地を賑わい創設事業として地域をはじめ関係団体と協議し、世代を問わず利用でき、地域外とも交流できる環境を造る取り組みを進めています。                                   

 市内では、ストック計画とは別に、この間課題となっていた「改良住宅の入居承継」問題について、昨年7月に制度変更が実現しました。親と子が別々の改良住宅に暮らしている状況から、子どもが同居のために自分の部屋を明け渡したケースで、1年未満で親が死亡したために部屋を追い出されたケース。また親の介護のために同居を始めたが、1年を経たずに親が死亡したために立ち退きを迫られたケース。これらのケースに対して、1年未満であっても住み続けることができることになりました。71日からの施行となったので、実際立ち退かれた方々は、希望する「ふるさと」に戻ることができませんでしたが、市内の改良住宅だけではなく、他の市営住宅にも適用されることとなりました。

 また、まちづくりに関して、店舗付き住宅のシャッターが下りたままで、閑散としたまちとなっている現状で、空き店舗の活用についても、京都市に対して要望を繰り返していたところ、現在テナント活用の方法を国と協議し、住宅と切り離したテナントとして、法人等への賃貸も可能となるよう検討を始めたとのことです。

 

(3)事前登録型本人通知制度について

 一昨年末「部落差別解消推進法」が施行され、「現在もなお部落差別が存在する」ことが、法律に明記されましたが、法制定に向けた参考人招致において、今もなお結婚差別や土地差別にかかわって、身元調査や戸籍の不正取得が後を絶たないことが指摘されました。こうした身元調査は、部落差別だけに特化されたものではなく、婚外子差別や障害者差別等まだまだ、差別や偏見に基づいた調査が横行しているのが現実です。

 戸籍謄抄本や住民票などを第三者が取得したとしても、何もしなければ、取得された本人に通知されることもなく、知らないうちに自らのプライバシーが暴かれることとなります。そこで、4年前に創設されたのが、「事前登録型本人通知制度」であり、自分が登録されている役所に、登録内容が第三者に渡ったことを、事前に登録しておくことで通知されるという制度です。この制度が広くいきわたることが、不正取得を防止する非常に有効な手段だといわれています。また個人にとっての自己情報コントロール権としても重要です。けれども、制度の周知がなかなか進まず、また、敢えて役所に出向いて登録するという手間からなかなか登録数は増えず、昨年12月の登録数は市内人口140万人中2,290人で、わずかに0.162%にすぎません。京都市は、この制度の意義について、差別解消法の周知と同時にもっと啓発するべきでしょう。また、この登録はプライバシーを守るための登録なのですから、登録に関してのハードルはできるだけ低くし、郵送での登録をもっと簡易にできるよう工夫することも大切です。

 

3.多文化共生社会を目指して

(1)多文化共生社会の現状

 20063月総務省が設置した「多文化共生の推進に関する研究会」による報告書が出され、自治体の多文化共生施策推進に向け「コミュニケーション支援」「生活支援」「多文化共生の地域づくり」の3つの方針を示しました。これに基づき都道府県・政令指定都市では次々と推進化プランの策定や条例化が行われ、京都でも2010年に「国際化推進プラン」が作成されました。現在2471458人の外国人が暮らしています(法務省発表20176月現在)。京都市でも42567人の外国人が暮らしています(京都府発表201612月現在)。しかし私たちの社会は本当に多文化共生社会へと近づいているのでしょうか。

昨年12月NHKのクローズアップ現代で「追いつめられる留学生〜ベトナム人犯罪“急増”の裏側で〜」が放映され、2016年に万引き等で検挙されたベトナム人留学生の人数が1,208人と報告されました。背景にあるのはこの10年で急激に増加したベトナム人留学生たちの“窮状”です。昼は日本語学校に通い夜は宅急便の仕分けや新聞配達等厳しい労働現場に携わっていますが、一部では多額の借金を返すため犯罪に手を染めるケースまで起こっているのです。アルバイトをしながら日本語学校等に通うベトナム人留学生数は75千人となり外国人留学生で最多となっています。ベトナムでは日本への留学ブームが過熱し、日本語を身につければ月2030万円の高収入の仕事に就けると考えられています。それに伴って乱立しているのが留学斡旋業者で、提携先の日本語学校を紹介し授業料や手数料等100万円超を受け取ります。平均月収が2万円程度のベトナムでは多くの人が借金をして支払いますが、多額の利益を目当てに留学生の激しい奪い合いが起きているといいます。業者は留学生を掘り起こすため貧しい農村部にまで進出し、日本の実情を知らない若者を言葉巧みに勧誘する業者もいます。「多額の借金を背負って日本に来て次の年の学費を稼ぐためにまた仕事に明け暮れる、もうこれは国際社会から見れば人身売買と言われても仕方のない制度じゃないでしょうか」との発言もされていました。日本にやって来る留学生の増加を後押ししているのが9年前に日本政府が打ち出した「留学生30万人計画」で、それに伴い留学生の受け入れ先となる日本語学校も急増しています。その数は全国で643校に上り過去最高を更新していますが、日本語学校の経営者が摘発される事件も相次いで起きています。昨年5月入管難民法違反(不法就労助長)容疑で京都市南区の日本語学校を経営する商事会社が摘発されました。留学生を働かせて授業料名目で回収していたとされています。栃木では学校の理事長が経営する人材派遣会社を通じ留学生にアルバイトを斡旋し、違法な長時間労働をさせ斡旋先企業から多額の手数料を受け取っていた事件が発覚しました。これらの問題の本質は、ベトナム人留学生が人手不足を補う労働力となっている実態といえます。外国人労働者とどう向き合うのか、現実を直視し将来を見つめた議論が必要です。福島県でベトナム人留学生支援のNPO法人を立ち上げたベトナム人難民岡部文吾(本名ファム・ニャット・ブン)さんが「『誰か助けてください』って言ったときに誰が助けてくれるのですか?いないのですよ。悪いことをしたらダメです。でもやっぱり耐えられなくてそういう道に走る子も実際はいます。そういう子をただ非難するのではなく、どうしたら救えるか」といった言葉が胸に突き刺さります。

 

(2)在日外国人の生活環境の整備・保障が求められている 

私たちが外国人労働者や出稼ぎ目的の留学生に無関心でいる事はできますが、無関係ではいられない状況があります。彼らは私たちの暮らしの底辺の部分を支えてくれています。そのためにきちんとした制度を作らねばなりません。例えば韓国では2004年に「外国人勤労者の雇用などに関する法律」を制定し「外国人雇用許可制度」を作りました。これに基づく送り出し国政府との協定により、送り出し時の不正防止や送り出し費用の大幅な減額につながっています。また国内労働者と同じ労働関係法規を適用することにより、事業者による賃金の未払を防止し外国人労働者の人権保護につながったといわれています。2007年には外国人労働者の人権侵害のもとと言われた「産業技術研修生制度」を撤廃しています。雇用期間終了後は再雇用許可を認めないためオーバーステイの大幅な増加につながりやすい等いまだ問題があるにせよ「外国人雇用許可制度」により労働者としてきちんと受け入れる制度を韓国では作っていますが、日本にとっても参考になる取り組みといえます。2016年の国会で「外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律案」が成立し、昨年11月より外国人研修生の受け入れ期間が3年から5年へと延長され、対象職種に新たに「介護」を加え計77種となりました。本来外国人研修生というのは海外貢献が目的だったはずですが、こうなるともう労働力の受け入れです。独立行政法人労働政策研究・研修機構「企業における外国人技能実習生の受け入れに関する調査」(20165月)によると、奴隷制度とまで言われた外国人技能実習生制度も改善が進み7割以上は「地域別最低賃金のレベルの額」となっています。しかし同作業を行う日本人正社員と実習生の間には3050%の賃金差があり、パート・アルバイトとの間でも1030%の賃金差が存在するなど使い捨て労働者としての雇用実態が明らかです。これから日本社会の少子高齢化が深刻化すれば更なる外国人技能実習生の受け入れ期間の延長やビザ取得条件の緩和が進むでしょう。しかし「いわゆる移民政策をとることは全く考えていません」(安倍総理国会答弁)とする日本政府の立場と、「移民とは居住国を離れ居住国以外の国に12ヵ月以上住む人」(国連定義)との矛盾は明らかです。労働力として多くの移民を受け入れながら、その現実を見て見ぬふりをすることはもはや許されない状況です。

少子高齢化が進み労働力不足が進んでいる日本は、もはや多民族国家に向かいつつあります。そして在日外国人の雇用・住居・医療・教育・社会保障といった生活環境の整備・保障は待ったなしです。20173月人権教育啓発推進センターの「外国人住民調査報告書」(京都を含む37市区でのアンケート・複数回答)が出されました。その中で「住居探しで外国人を理由として断られた経験者39.3%」「職探しで外国人を理由とする不採用経験者250%」と在日外国人がいまだ厳しい現実を抱えていることが分かります。また30%の親が子どもへのいじめを心配し、25%が学校での多文化・人権専門職配置を希望しています。文科省調査によると公立校に在籍する外国籍の子どもは約8万人、内日本語指導が必要な子は3万4千人も存在しています。京研集会分科会で小中学校での素晴らしい実践が報告される一方で、やさしい日本語で指導できるスキルを持つ専任教員は全国でも1600人程度しかおらず、現実を「見て見ぬふり」をするひずみが外国にルーツを持つ子ども達や学校にのしかかっています。また外国にルーツを持つ子ども達への学習支援が各地で実践されつつも、まだまだ高校に進学できない生徒たちが数多く存在しています。さらに高等教育を受け現状を乗り越えようとするときその困難さは大変なものがあります。しかも給付型奨学金が少ない現状を考えたとき、日本学生支援機構の貸付型奨学金の現在の制度では外国にルーツを持つ子ども達への支援に繋がるとはとても思えません。在日外国人の大人や子どもたちの雇用・教育・福祉等の生活環境を整備・保障し真の多文化共生を地域から作り上げていく事が今ほど大切な時はありません。

日本人の持つ外国人への差別意識もいまだ大きな問題です。日本人は外国人と触れ合う機会がとても少なかったため、実体験が少なく直ぐに恐怖心や嫌悪感を抱いてしまい、極端な差別意識はヘイトスピーチという形でも表れます。多民族国家を形成するためにはこうした点についても確り対策を立てなければなりませんし、ヘイトスピーチ禁止条例化の声も地域からさらに強く上げていかねばなりません。

 

(3)「共に生きるまち東九条」の実践

 戦前日本の植民地だった朝鮮半島から多くの朝鮮人が仕事を求め、あるいは徴用・徴兵を強いられて日本へと渡ってきました。そして京都にたどり着いた在日コリアンは過酷な差別・貧困と闘いながら、世代を繋いで東九条地域に根を下ろしてきました。一方で東九条は被差別部落出身者も多数住む地域でもあるがゆえに、摩擦や葛藤を乗り越えながら共に地域で生活をしてきた歴史を有しています。現在の東九条とその周辺は、韓国・中国からのニューカマーやアジア諸国からの渡日者も多数暮らす街となっています。また独居の高齢者や障がい者が多い街でもあり、社会的弱者と言われる人々が共に暮らす街とも云えます。その一方で長年地域に根を下ろしてきた住民団体・民族団体・障がい者団体・市民団体・労働団体等が多数存在し、差別や貧困と闘ってきた歴史を有しています。これこそが東九条の社会資源と云えます。現在東九条では「東南部エリア活性化方針」が策定され、空き地・空き家・空き店舗の活用に向けて芸術をキーワードとした新しいまちづくりが住民や市民団体と行政との協働で開始されています。そして国籍や民族の異なる人々のみならず社会的弱者と言われる方々も温かく包摂出来るまちづくりを目指しています。これこそが「多文化の息づくまち・京都」の実現であり、これからの京都を展望するキーワードになることでしょう。

 

 

4.人権確立に向けたこれからの運動展開

(1)日米安全保障条約と沖縄

 現在「改憲」議論の中心となっているのは、特に「第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」とする平和にかかわる条項でしょう。一方、1952年サンフランシスコ講和条約の締結によって、日本はGHQからの占領を終結し、「主権を回復」したとされつつ、条約調印の1951年旧日米安保条約により、アメリカ軍の基地は日本に残り、しかも当時主権の回復していない沖縄を除く「本土」の基地は徐々に沖縄に移動し集中することとなりました。沖縄県民は、平和条項の憲法を持つ「本土復帰」を願い「島ぐるみ闘争」を展開しました。19725月、やっと沖縄の施政権はアメリカから日本に返還されたものの、米軍は撤収せず、現在、この間も攻撃型ヘリコプターの墜落、軍人による暴行事件等が後を絶ちません。日本政府は基地の辺野古への移転が唯一の解決策であると言うばかりですが、基地の移転は沖縄が永久的にアメリカの軍事拠点となることを容認することであり、また世界でも希少で豊かな生態系が失われてしまえば、二度と取り戻すことができないのです。上述した「共謀罪」あるいは「武力攻撃事態法」等も、その具体的な適用については、沖縄での反基地闘争を念頭に置いているのではないかと思わざるを得ないのです。

 日本国憲法における平和主義、そして第1条天皇制の存続は、日米安保条約と沖縄の犠牲の上になりたっているという、この構造的な問題から、私たち市民は目を背けるべきではありません。矛盾を抱えた構造が顕在化しつつも、権力がそれを死守しようとするときに、人々に対して戦争を視野に入れた危機意識を煽り、不合理な法制定を強行するというのが、現在の日本政府の姿です。

 

(2)差別されない、排除されない社会を求めて

 また、現在の「改憲」議論では、個人の尊重や人権に関して、公の秩序のもと制限を加え、「軍事力を中心に国家を維持するという古典的な国民国家、明治憲法に近い国家像」を描いていますが、憲法14条では「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と、差別の禁止が明記されています。「社会的身分又は門地」は、明らかに部落差別の禁止事項です。日本政府は「人種差別撤廃条約」において条約にある「世系」は「部落差別にあたらない」と国連で述べていますが、「解消推進法」の施行により認めた差別の現実に立脚して、その対外的表明を撤回すべきでしょう。

 最後に日本国憲法は、GHQの憲法改正案にあった「外国人の人権」を削除してつくられていますが、実はその当時、米国務省は敗戦後のドイツ(当時は西ドイツ)でも同様に施政権下にあるすべての人への人権保障政策を盛り込み、ドイツは受け入れ、今日に至っています。難民問題に関わり、苦慮しつつも人権の視点を失わない姿勢は、戦後、周辺の国々に対して信頼を得る根拠となっています。

 私たちには自律した市民として主権者として、過去の過ちに学び、同じ過ちを繰り返さないという責任があります。差別しない、されない、排除しない、されない社会を築くことは、平和を構築することと同義である。世界人権宣言の理念は、日常のなかで向き合う関係性において発揮されるべきでしょう。

 

5 教育をめぐる状況

(1)「子どもの貧困問題」が学校教育におよぼす実態から

小学校同和教育研究会(小同研)では、現在、学校教育の中で顕在化する児童の実態から、かつて同和教育が実践されてきた背景を分析しながら、今、あらためて現場で何を整備し直し、実践化していかなければならないのかを提起します。

小同研で活動するある教員の聞き取りの中から、次のような考えが浮き彫りになりました。

 今、私は、「子どもの貧困問題」として取り上げられる実態を大変危惧しています。収入の少ない家庭には、ひとり親世帯が多く、いろいろな課題が存在しています。例えば、親が不安定な就労状態にあり、帰宅時間が遅くなることで、食事・睡眠等の生活習慣が身についていない子どもやそのような不規則な生活が原因で体調が整わず健康面で不安を抱える子どもが少なからずいるのです。また学習面でも、学習する環境が整っていないことから、学習習慣が定着せず、学力低下に繋がっている子どももいます。このように、子どもの基本的な生活習慣の乱れや学力不振、家庭の養育力(教育力)の低下は、学校生活への不適応につながったり、反社会行動に向かわせたりする大きな要因になっているのではないかと思います。

 このように、子どもたちの貧困問題は、学校教育の喫緊の課題と言っていいでしょう。2016年国民生活基礎調査によると、「子ども貧困率」は13.9%(約7人に1人)で、過去最悪だった3年前の結果に比べると2.4ポイント減少したと報告されています。雇用状況に若干の改善があり、子育て世帯の所得の増加が主な要因になっているということです。しかし、経済協力開発機構(OECD)の直近のデータによると、加盟36カ国の「子どもの貧困率」の平均は13.3%で、日本はこれを上回っています。また、世帯類型別の調査結果では、大人ひとりで子どもを育てているいわゆる‘ひとり親家庭’の貧困率が50.8%と極めて高かったということです。こうした「子どもの貧困」がもたらす課題は、学力面でつぎのような点が指摘されています。「全国学力・学習状況調査」(平成25年度)のデータもとに分析した伊藤悦子(京都教育大学)によると、経済的に困難な家庭の子どもの中にも全国平均を上回り、希望する進路を実現できている子どももいます。しかし、多くの子どもたちは、全国平均を下回り、全日制高校への進学率は、低い状況にあります。家庭の経済状況が学力に与える影響は大きく、生活習慣の確立と学習習慣の定着を図るきめ細やかな支援が必要です。

また、学力不振にあらわれるだけではありません。仕事や生活に追われて、子どもに目を向ける精神的なゆとりをなくした親が、子どもの養育を放棄したり、手を出したりするなどの虐待に繋がるケース、子ども自身が自己肯定感・有用感を高めたり、将来展望をもったりすることができず、結果として不登校傾向に陥ったり、様々な問題行動を起こしたりすることに繋がるケースも少なくありません。また、経済的な理由から十分な食事を摂ることができなかったり、病気になっても医療機関を受診させてもらえなかったりする子どもも存在します。集団生活の中で社会的な繋がりをもてなかったり、文化的な体験が不足したりしている子どももいます。これらは、いずれも子どもの人権を脅かす深刻な問題としてとらえ、その対応策を早急に講じていく必要があります。

学校現場では、様々な課題を背負わされた子どもに焦点を当てて取り組まれてきた同和教育の理念に基づき、貧困に苦しむ子どもたちにも届く教育活動の模索と実践が各校の実態に基づいて始められています。しかしながら、学校教育だけで「子どもの貧困」に対する支援を行い、解消していくことには限界があります。福祉の側面からの行政的支援や地域組織による支援をさらに充実させるとともに、学校も含めた三者の分担・協働による支援策を講じていくことも必要です。これらの三者が「子どもの貧困」についての現状を共有し、これまでの同和教育で培ってきた理念や手法を生かして、必要としている子ども・家庭への支援をさらに充実させていくことで、「貧困」に関わる負の連鎖を断ち切っていかなくてはなりません。

目の前の困りを抱える子どもたちへ、必要な支援を効果的におこなっていくためには、その子どもの気持ちを受け止めながら信頼関係を築くとともに、家庭との信頼関係も築いていくことが不可欠です。そして、学校全体の力で、子どもたちと関わりきることで、「貧困の連鎖」を断ち切っていかなければならないと考えます。これは、まさに、同和教育の考え方と軌を一にするものです。

 

(2)同和教育の実践をふりかえり、今に思うことから

同和対策事業特別措置法が10年間の時限立法として施行されたのは、今から48年前の1969(昭和44)年です。それからさらに遡ること5年、1964(昭和39)年1月9日に京都市教育委員会は、同和地区児童生徒の学力向上を至上目標とする「同和教育方針」を策定しました。

その後、部落差別の解消に向けて、30年以上に渡り法の時代が続きました。その間、格差の是正と自立の促進に向けた取組が、法の下に展開されました。同時に、部落の住民や部落を取り巻く多くの人々の努力で、実態的差別については、一定の成果が見られ、解消に大きく近づいたと思います。

このことを部落差別解消に向けての大きな前進と捉え、2002(平成14)年3月末日を持って、同和問題に特化した法の時代は終わりを告げることとなります。

 それから15年、果たして、部落差別は解消されたのでしょうか。

法の時代が終わりを告げた頃、多くの人々は、「法の時代の終わりが部落差別の解消を意味するものではなく、依然として、見えにくい分野で、部落差別は大きく横たわっており、傷つく人々も多く存在する。よって、今後も、誰もが人間らしく生きていけるよう、一人一人が大切にされる世の中を作っていこう。」という思いでした。しかしながら、その後、行政が法の裏付けを無くし、同和地区を「旧同和地区」と呼ぶようになり、同和教育は人権教育として再構築されたり、様々な行政的施策が打ち切られたりした結果、部落差別の根本的な解決を見過ごす形になっています。

 もちろん同和問題だけが、人権問題ではありません。様々な人権問題にはそれぞれ固有の成り立ちや、様々な変遷があるという背景を踏まえておく必要があります。様々な人権問題をひとくくりにして捉えるのではなく、一つ一つの人権問題の解決に向けた取組を丁寧に、そして、粘り強く、あらゆる分野の力を結集して、進めていかなければならないのです。このことこそが、人権という普遍的文化(人権文化)を構築するために必要なのです。部落差別については、完全に解消することもできず、なお存在しています。それゆえ、今再び部落差別の解消をめざした法律を世の中の表舞台に立たせなければならなくなったのではないでしょうか。

2016(平成28)年129日に可決・成立し、同16日に施行された「部落差別の解消の推進に関する法律」は、規制や罰則の規定のない理念法ではありますが、今もなお部落差別が現存していること、そして部落差別は許されないものであり、差別解消のための国や地方公共団体の責務、教育や啓発、相談体制、実態調査の実施などについて定めています。

 2002(平成14)年に「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」が失効してから14年が経ち、部落問題を解決するための法律が制定されたことは大変意義のあることです。学校・教育現場に係る内容としては、「国及び地方公共団体は部落差別を解消するための教育・啓発の取組を行わなくてはならない」と規定しています。

法の施行を受けて文部科学省では、『29年版 人権教育・啓発白書』の概要で次のように述べています。

教育及び啓発を実施するに当たって、当該教育及び啓発により新たな差別を生むことがないように留意しつつ、それが真に部落差別の解消に資するものとなるよう、その内容、手法等に配慮すること。

 

(3)小学6年生社会科における同和問題に関わる単元の学習とその変容、そして中学校へ

京都市においても、「学校における人権教育を進めるにあたって」や「人権教育の指導方法等のあり方について【第三次取りまとめ】」等をもとに、同和問題に関する学習や人権学習を行ってきました。今後は「部落差別の解消の推進に関する法律」第5条にある「国は、部落差別を解消するため、必要な教育及び啓発を行うものとする。」を根拠に「部落差別の解消」を目的とした学習活動を学校現場で、再編しさらに進めていかなければならないと考えています。

2016(平成28)年の3月に示された新学習指導要領に基づいて、新しい教科書について小学校では2017年、検定、2018年採択、中学校は2018年、検定、来年、採択へと進んでいきます。小学校6年生社会科教科書の同和問題に関わる単元の記述も、変容し、その指導のあり方、授業展開にも少なからず影響を与え、過去の指導案に頼るのではなく、様々な工夫を凝らし各校で取り組まれています。同時に、上杉聰(大阪市立大学人権問題研究センター)の研究成果に基づき、あらたに中世から近世へ、近世から基本的人権の尊重に至る被差別民衆史の授業展開を構成し実践しているところです。同和問題に関わる歴史を学び、同和問題に対する認識を深めることは、今なお残る部落差別の解消に向けて不可欠な学びであると同時に、他の人権課題を解決することにもつながるということです。今だからこそ、「同和問題に関わる単元の指導」はすべての人権問題につながる明確なねらいをもって、充実させることが肝心であると考えます。そして、教員の世代交代は進み、部落差別をはじめとする人権課題について見識を深める機会や経験の少ない若い教員が増える中、貴重な研修の機会と捉えることもできます。

さらに、小学校同和教育研究会では、今年度、「同和問題に関する単元の指導」を充実・発展させるために授業公開をし、多くの教員に呼びかけ、共に考える機会を設けることとしました。研究会としてははじめての試みです。今年度については、たとえば竹田小学校において解体新書を学習材として研究授業を行い公開したことが先駆けとなっています。授業実践とその研修を通して、同和問題に関する学習を研究会の主要な取組にしようとする動きは、いわゆる部落差別解消推進法が成立した教育上の背景に、「部落問題学習の実践の後退」があることに対して、呼応するものと位置付けることができるでしょう。

 また、小学校6年生社会科で同和問題に出あった子どもたちを、中学校の社会科学習において、どのように進めていくか、これからの「同和問題に関する単元指導」の小中連携を考えていく必要があります。一つの側面として、小学校で賤称語や「部落差別」「同和問題」という用語を通して学びません。中学校の歴史では、第1学年で中世まで、第2学年で近世から近代にかけて学習する際、「江戸時代の身分制」のところで「…さらに百姓・町人のほかに『えた』や『ひにん』などとよばれる身分がありました。」と明確に賤称語が表記されているのです。このことを踏まえるならば、小学校では1年生から5年生までの教育活動を通じて人権尊重の基礎・素地を培い、6年生社会科で初めて同和問題に出会わせるその意味をしっかりと考え、指導を工夫していくことが大切です。同時に、中学校では小学校での指導を踏まえて、社会科担当教員と学級担任が連携して、社会科における同和問題に関する単元の指導と各クラスで行われる人権学活において、同和問題を取り上げるとき、どのような指導をしていくか、丁寧に実践の検証をしていくことが重要です。来年、再来年に、どのような教科書にどのような同和問題に関わる記述がなされて検定、採択を受けるかは未定ですが、何れにせよ、今後の教育現場での部落差別の解消、同和問題の解決に向けた取組の重要な柱になることは誰もが否定できることではないでしょう。

 

(4)同和教育の‘真’の普遍化の意味と小同研の活動のこれから

小同研での聞き取りによるある教員のことばが印象的です。

人権問題についての正しい知識を教えることが、子どもに正しい人権感覚を育て、将来様々な人権問題に出会った時に、負けない心やゆるさない心を持ってその問題に向き合える子どもを育てることにつながると考えています。同和問題を含めたあらゆる人権問題を学ぶことが、教員自身の考える軸を作る礎になるはずです。これは、教員にとって大切なことだと感じています。若い世代の人ほど、この時期に培った人権感覚がこれからの教員人生に大きく影響すると思っていますし、それぞれの子どもに正しい人権感覚を育てようと取り組むことが、これからの時代にとても大事なのではないかと考えています。

またある教員は次のように述べます。

以前に勤めていた学校での諸先輩方や保護者、運動体の方々から学んできたことですが、同和教育が過去の歴史的な経過の中で、『学力保障と人権啓発』という2つの柱を最重点課題として掲げてきた経緯があると私自身認識しています。今、「同和教育の在り方とは」と自問自答してみると、その答えは、「なぜ?」という問いをもって常に子どもや保護者と関わること、そして子どもや保護者の責任にせず学校教育を通して課題克服に向けた指導・支援を追究していくことと答えると思います。現在は、発達障害のある子ども及び様々な課題を背負わされている子どもを中心に指導・支援にあたっています。この立場になった今、発達障害に関する知識や指導のノウハウなども必要ですが、子どものことを知ろうという姿勢や子どもをより良い方向へ導こうという思いや願いが求められると思っています。これは、同和教育が大切にしてきた理念と何ら変わりありません。つまり、同和教育は過去の教育活動ではなく、現在の教育活動の根幹となる考え方になっていると思うのです。それは、小学校同和教育研究会の前会長の言葉にあった「同和教育の普遍化とは『公教育から一番遠くにいる児童生徒の教育保障を第一に考える』ことである」と通じる点だと思います。

小同研は、本年度「同和問題解決のための教育の成果を基盤に、あらゆる人権問題を解決するための教育を研究・推進する。」という目的を掲げ研究活動を進めています。行政的な施策に裏付けされない教育活動において、「同和教育の普遍化としての教育」とは具体的にいかなるものかということを念頭にして、実践を構成し行う必要があるのです。人は歴史からしか学ぶことはできません。かつて同和教育が実践してきた学力保障と人権啓発の取組を総括検証し、あらゆる差別の歴史に出会いなおし、学びなおすことを避けてはなりません。同和教育の本質を見誤る、見失うことなく、人権教育をすべての学校現場に息づかせる行動が求められています。

【参考補足資料】

  新学習指導要領に基づく新しい教科書の検定・採択に係り、京都市小学校年間学習指導計画(京都市スタンダード)にも新たな参考指導試案が掲載されました。

  小学校6年生の社会科教科書の同和問題に関わる単元の記述の変容に伴い、その指導のあり方、授業展開に影響を与えています。当時、小学校同和教育研究会では、このことに関わって、大阪市立大学人権問題研究センター特別研究員 上杉聰氏を招いて、夜の学習会を開催したり、夏季休業中の研究集会の全体会で講演を開催したりしました。上杉氏は、教科書の記述に大きな変化が起こったことに着目し、学校での学習指導の補助教材また社会啓発の学習教材として、中世と近世の被差別民衆、身分制度を扱ったDVD教材を作製されました。小同研の講演会ではこのDVD作製に関わって、歴史研究の深化による新しい成果を教科書記述の変化と共に、学校現場での児童生徒の学習に生きた形で反映させようという氏の信念に基づく独自の理論が展開されました。

  具体的に中世においては、東山文化で活躍した庭師が、河原者という被差別者であったこと、その河原者の芸術面の力を評価、重用し差別しなかった為政者や宗教家達の存在、あるいは、かつて「自然に手を加えたので穢れ、忌避排除された」としていた被差別民の捉え方の誤り等についてわかりやすく説明されました。また近世においては、当時の支配構造を具体的にわかりやすく説明しています。

  江戸時代、幕藩体制下において支配者が被支配者を制度下に位置付けると共に、その被支配者に交流・接触を認めず、忌避排除した被差別層を置いたことが示されています。身分制度が、「士農工商・穢多非人」または「士と農工商・穢多非人」と示して説明しようとしていた、いわゆる「近世政治起源説」の否定論を、具体的にわかりやすく説明したのです。つまり身分としては「武士・町人・百姓」の三身分で、「穢多・非人」は社会の最底辺に置かれたのではなく、武士の支配は受けつつ、社会外(秩序外)へ置かれ、差別されていたという捉え方です。それぞれの講演の中で、上杉氏は「今のいじめにみられるシカトの発想を制度として行っていた時代」と強調されていました。

  現在の教科書でも、江戸時代の「さまざまな身分」として「武士」「百姓」「町人(職人)」「町人(商人)」を図示し、「人々のくらしと身分」の記述で「武士」「町人」「百姓」の暮らしの様子を示した後、「このほか、皇家や公家(貴族)、僧や神官などの宗教者、能や歌舞伎をはじめとする芸能者、絵師、学者、医者など多くの身分が見られました。また、百姓や町人とは別に厳しく差別されてきた身分の人々もいました。」と示されています。近世政治起源説が改められるようになってから、久しくなりますが、教科書の改訂に伴う記述の変更で、さらにその当時の身分制度や被差別民の存在のありようが具体的に示されるようになりました。

  このように教科書の記述をもとに、授業の展開を工夫していくことが重要で、決して過去の指導をそのまま継続することはできません。研究の成果をいかした新たな授業展開を考えて行く必要があります。「室町時代の庭園」から「日本国憲法・基本的人権の尊重」に至る、つながりのある同和問題に関わる単元の指導を考える必要があります。各時代を別々に捉えるのではなく、9つの内容を一本の線の上に関連付けて扱うことによって、子どもが同和問題を現在に残る人権課題として捉えることができる一貫性のある内容にしていかなくてはなりません。現在、小学校の教科書には「賤称語」や「部落差別」「同和問題」等の文言は記述されていません。そのことからより広く人権について考える授業として、今子どもたちが直面している「いじめ」の課題を未然に防ぐための授業につなぐことができると考えられます。「差別をされていた人」がいたということは「差別はおかしいと感じていた人」「差別を傍観していた人」が時代時代にいたということです。このような差別を生み出す構造を意図的に提示することで、現代の大きな課題の一つである「いじめ」についての指導にいかせるのではないかと思います。

以上 (小同研「小人研集会基調」より)

 

(5)人権教育を推進しようとする学校の現状から
 

中学校教育研究部人権教育部会(中人研)では、現状として、昨年から、いわゆる「障害者差別解消法」と「ヘイトスピーチ解消法」の施行に続いて、「部落差別解消推進法」の成立など、差別にかかわる国の政策や法律が大きく動き出したことを受け、教育現場で教育的な実践がいかに伴っていくのかを問われている状況であると捉えています。また一方で、昨年の本集会基調で示したように、差別を解決できる方法があるとしたら、あらゆる教育的な実践は、法的な根拠があるから実践するたてまえの教育ではなく、「法」を正しく理解し遵守する意志を培う教育が本来の活動であると私たちは信じます。やはり日々止まることなく成長過程にある子どもたちが集う学校とその社会にあっては、差別を解消するための法律が制定されるという結果を待って、教育的な活動をすることはできません。社会的な法制度の成立を待望する姿勢とは別に、人権に係る課題や多様な差別的な考え方に対して憤り、その考え方を共通の価値観として共有できる「つながり社会」を築いていく営みを続けていかなければなりません。

今、学校の中で「人権教育を根幹に据え直す」「同和教育の実践から学び、普遍化する」や「見えにくくなった部落差別の実態とその背景から継続的な取組みを進めたい」とすると、「いつまでそんなことを言っているのか、やっているのか」「今はそんな時代ではない」という声が、あちらこちらから聞こえます。人権教育を根幹に据え直すことを本質的に体感し深く理解している者にとっては、たいへん表層的・短絡的な見解であると感じます。義務教育のみならず公教育の場にあっては、生徒指導によってのみ、学習指導によってのみ、学校行事によってのみ、学校教育が成り立つものではありません。学校に集う様々な背景をもつ人々の関係性により、良好な社会を築き上げる過程の中で、鋭い人権感覚や考え方を基礎とした人権教育を体現することで、学校という内外環境を確かなものとしていくのですから、「旧い」「新しい」という感覚で片づけられるものではありません。ましてや、部落問題について、在日外国人問題について、人権学習として学ぶことが「旧い」という見解を表したり、被差別の背景に生きる人々や生徒たちと関わることを「まだそんなことをしているのか」「いつまでそんなことをしているのか」と評論したりすることは、差別が社会問題として存在し、様々な現象として現れていることに対する認識が甘いか、差別の現実から学ぼうとせず、避けて通ろうとしている態度なのだろうと思います。一方で、このような同和教育の前夜と同和教育の実践の歴史から学ばない態度と認識不足は、学校教育の中で人権教育、同和教育を教育的な実践として行わない、行わなくてもよいという大きな勘違いにすりかえられ、ていねいな教育活動の衰退と崩壊を暗示するものではないかと憂慮します。あらためて、法や特別施策があるから教育をするのではなく、法の理解と遵守に係る差別のない仲間づくり、人づくりという人権教育を根幹に据える教育活動を進めるために、具体的な行動方針を模索し実行するべき時だと考えています。

 

(6)同和教育と両輪をなす外国人教育の実践の現状から

京都市に目を向けると、昨年は、1992(平成4)年3月に、「京都市立学校外国人教育方針―主として在日韓国・朝鮮人に対する民族差別をなくす教育の推進について―」(※補足資料あり)が策定されて、25年という節目の年にあたります。しかし、「方針」から20年が経過したあたりから、時代や社会情勢の変化に伴って、「外国人」という言葉のもつ範囲は在日韓国朝鮮人にとどまらなくなってきました。その状況を反映して、2009(平成21)年3月に「外国人教育の充実に向けた取組の推進について」という教育長の補足通知が出されました。かつては、「主として在日韓国・朝鮮人に対する」と括られていた外国人は多国籍化し、中国ルーツの子どもやフィリピンルーツの子どもがクラスに在籍しているという様子は珍しくなくなってきています。補足通知の中で、それら多様なルーツの子どもたちに対して、取組対象の拡大が確認されています。

新たな課題として見えてきている新渡日の児童・生徒たちに対しては、集中的に在住している地域を含む学校では、組織的・体制的な取組をしている様子が見受けられますが、少数点在の学校ではなかなか体制が整っている状況ではありません。「補足通知」の文言にある「個々の子どものアイデンティティを大切にする」視点や、京都市の人権教育の伝統の中にある「子ども一人ひとりを徹底的に大切にする」という視点が、1992(平成4)年の「京都市立学校外国人教育方針」で確認されたはずです。そこに括られている「外国人」の様子が変化してきていても、四半世紀を経た今だからこそ、「方針」に書かれている言葉の一文字一文字を噛みしめながら、今目の前にいる外国につながりをもつ生徒に対して、取組を進めていく必要性を感じます。

 

(7)同和教育の理念に学び、今、学校教育で実践するために

 中人研では、同和教育の精神につながる本市の教育理念である「目の前の生徒を徹底的に大切にする教育」とは何か。そしてその教育の中で今も大切にされ継承されていくべきことは何かを検証しました。教育の現場において「目の前の生徒を徹底的に大切にする」のは、当然のことであります。しかし、部落に対する差別意識によってもたらされる家庭の困難な事情などで学校に来ることができない子どもが存在したという歴史がありました。「今日も机にあの子がいない」というアピールが、1950年代半ばごろから、全国の学校のあちこちから聞こえてきました。その状況を改善すべく、親の願いを受け止めた教員たちの取組が始まりました。さらに、さまざまな施策が実施され、京都市では長い歴史の中で、不就学の解消や、高校進学率の大幅な向上など、ある程度の成果を上げたといえます。そしてそういった同和教育の取組の中から現在の教育理念につながる言葉が生まれました。

今、教育現場で本当にひとりひとりの生徒と向き合い、徹底的に大切にするということが出来ているのでしょうか。先に小同研から歴史的経緯と現状が詳細に提起されました。それらを背景として、学校教育の場がどうあるべきなのか、どう行動するべきなのか、次の四つの側面から考えます。

一つ目が「教員と生徒の関わり」、二つ目が「生徒同士の関わり」、三つ目が「教員間の関わり」、そして四つ目がこれらを土台とした「学力向上と学力保障」です。

はじめに、一つ目の「教員と生徒の関わり」について、家庭訪問などから考えていきます。

教育現場では “足並みを揃える”“学年で合わせる”といった言葉がよく聞かれます。もちろん教員が学年経営や学級経営をやりやすくしていく上で全員が足並みを揃えることは大切です。しかし、本当にそれだけでよいのでしょうか。クラスの生徒全員に一律に接するのがはたして平等と言えるのでしょうか。

それぞれの個性や課題の大きさ、置かれている環境に応じて取組が変わることは必然です。家庭に課題があったり、それにより学校に登校できなかったり、子どもたちの課題の大きさや現れ方には違いがあったりします。したがって、より多くの課題がある子どもに対して他の生徒よりも多く家庭訪問をすることや、その子たちに特別に放課後学習やテスト前学習をすることで教育の機会を保障することこそが、実は平等なのではないのでしょうか。

昨年、あるクラスに、家庭の事情で本人の意思が尊重されないままに本校に転入してくる男子生徒がいました。転入前から登校を渋っていたので、担任は家庭訪問をすることにしました。最初は、何とか登校をしましたが、徐々に学校から足が遠のくようになりました。その後も家庭訪問を続け、世間話やサッカーやゲームなどを一緒にしたり、その合間に勉強を教えたりするという事を繰り返しました。最終的に1年間不登校の状態は続きましたが、受験前は夜の教室で学習し、昼には担任の空き時間に登校して勉強するまでになりました。第二部としての卒業式で流した涙やその後の高校生活での活躍を聞くにつけ、家庭訪問のあり方や焦点を当てた生徒への指導の重要性を強く感じます。

この例のように課題に応じた関わり方が実質的な平等なのです。近頃、気持ちを表に現すことができず、エネルギーを内在させてしまっている子どもが増えています。そのまま放置しておく訳にはいかないことは明らかです。もしも、学年で足並みをそろえることで、だれも動かず、この子どもに対しての特別の関わり方がなければ、彼の変容はなかったのかもしれません。

 二つ目は「生徒同士の関わり」です。学校は、勉強する場所です。もちろん、教科の勉強をする場所です。ただ、子どもたちにとって学校は、まず現実の交流の場です。子どもたちは仲間や友達に会えることを楽しみに学校に来ます。しかしながら、思春期まっただ中の子どもたちが交流していく中で、衝突が生じることもあります。昨今SNSによるトラブルも各学校で頻発しています。そのなかでも、様々な課題を克服し成長する場が学校です。生徒が互いに仲間のことを正しく理解し、相手の立場に立って行動することが出来る集団を作り、そしてその集団の中で安心して自分の思いが語れるようになれば、その中では差別やいじめは起こらないはずです。これが、私たちの人権教育が目指すべき姿だと考えます。

私たちのクラスを思い起こしてみましょう。学級経営は順調でしょうか。学年は落ち着いているでしょうか。表面的に何も問題が起きないクラスや学年がはたしてよいのでしょうか。課題のある、いわゆる‘しんどい子’を中心に据えた学級づくり、学年づくりができているでしょうか。どんな学級にも、学年にも、学校にも、課題のある生徒はいます。そういった子どもたちがいかにクラスや学年の子どもたちと関係を作っていけるかが鍵です。自分のことを振り返り、語り合える仲間、それを受け入れてくれる集団、そのような本当の意味での仲間や集団づくりを進めることこそ人権教育の実践ということができます。

三つ目が、「教員間の関わり」です。多くの人権教育主任は、人権教育の意識をより一層高めることに関して、年度当初からずっと悩み続けます。その悩みを、自校の人権教育委員会や人権校内研修そして各区の支部研修会でも打ち明けることがあります。そこで感じることは、人権教育主任としての自分の悩みは自分だけの悩みではないということです。同じようなことで悩んでいる仲間がいると知ることができます。仲間がいることほど心強いことはありません。この点は、子どもも大人も同じです。「学校教育の根幹に人権教育を据え直す」という中人研のテーマを強く意識するためには、ひとりでも多くの教員間の仲間を作ることが大切です。仲間は簡単にできるものではありません。時には意見がぶつかることもあるかもしれません。しかし、まずは、動き出さないと何も始まりません。賛同してくれる仲間が出来るかもしれません。ここで出会った仲間を基盤として、各職場で「学校教育の根幹に人権教育を据え直す」ことを目指した仲間づくりの大切さを伝え、その仲間の輪を広めていただきたいと思います。

四つ目が「学力向上と学力保障」です。中人研では学力向上を大切にしながら、本当にひとりひとりに身につけさせたい学力とは何かを議論しました。

その議論をまとめるにあたり、ある教員が語る自分史を聴くことができました。その教員は、自身が被差別部落出身であること、生い立ちや今の自分があることへの思いを語ります。その一部を紹介します。

私たちは、中学校の時に、先生や地域の人に「勉強しろ、勉強しろ」って言われました。高校生ぐらいからその言葉の意味が少しずつ分かるようになってきました。他の中学校の生徒との学力差や住んでいる地域の生活環境の違いに戸惑いを感じました。その違いを高校生学習会で「‘どうせ’わたしら在所やし」と先生に言ったことがありました。その時、返してくれた先生の言葉が、「‘どうせ’という言葉で努力をすることから逃げていたらあかん。」でした。今でも私の心に残っています。負けるのが嫌で勉強して大学まで卒業しました。けど、私たちに足りなかったものに気づきました。それは教養と外でねばる力でした。

 

その教員は、高校生になってはじめて、自分たちがいかに小さな世界に住んでいたかということに気づいたと言います。そこから学問の大切さを痛感します。学問は解放ともおっしゃっていました。‘どうせ’という言葉で自分を卑下している。自分自身が思い込まされていることもある。それを変えていくためにも、その教員は今も学び続けています。学び続けることによって、働く道をはじめいろいろな道が開けて可能性が広がります。それが、自分の幸せにつながり家族や地域にもつながります。中人研において、子どもたちに保障をしていきたい学力とは、まさにこのような力なのだと確かめることができました。

 

(8)同和教育の精神を根幹に据えた人権教育の普遍化とその不変性に気づくことから

“人権教育”とは何でしょうか。ある教員の実践から、あえて再考してみたいと思います。彼が初めて赴任した東山区にあった中学校では、同和地区生徒・保護者・児童養護施設から通う生徒と関わる中でこの問いかけを深く考えさせられる毎日だったと言います。そして、彼はその中学校の統廃合と同時にインド・ムンバイの日本人学校に異動しました。ムンバイで出会った人権侵害の現場では、インドの現状と向き合う中で、自分にはどうすることもできないという思いとの葛藤の3年間だったのです。

確かにムンバイ日本人学校の子どもたちは、富裕層が住む安全な地域で生活しています。しかし、彼にはもっと深くムンバイを知ってほしいという強い思いが常にありました。そこで、世界最大のスラム街へ行き現地で学ぶことを計画します。もちろんすべてが計画通りに進んだわけではありません。管理職や保護者の反対もありました。しかし、彼は自分自身で何度も現地に足を運び、他の教員にも現地研修をしました。そして、保護者会を開き、安全性を伝えるとともに、これから世界で活躍するであろう生徒にインドの現状を知ることの大切さを熱く語りました。保護者も巻き込んで参加してもらうことを提案し、保護者たちの中でリーダーを作ってスラムツアーを実行することになりました。彼の思いは伝わり、全生徒保護者が参加してツアーは実現します。普段は、車の窓越しにしか見たことがない場所に足を踏み入れ、数えきれないほどのホームレスの人たちや自分たちと同じぐらいの年の子どもが学校に行かず働いている現場をみることやインフラが整備されておらず異臭が漂う中で生活している現場を間近に見ました。自分たちが生活している富裕層のインドの生活とは違い、インドのスラムに住む庶民の生活を目の当たりにしたことは、子どもたちの心に深く刻まれました。文化祭の場で、生徒一人一人が、人権の大切さ・家族への感謝・平等とは何か・真実を知ることの大切さについて自らの言葉で語る行動につながっていったのです。言葉だけでは、表現しきれない人権侵害の状況が世界ではいまだに蔓延っています。いつの日か、彼らが世界の人権侵害の現場に目を向け活躍する姿を夢見ることができているとこの教員は語りました。 

ムンバイ日本人学校で発表した一人の生徒の言葉を紹介します。

今、ムンバイにいることお父さんお母さんに感謝します。ムンバイに来たとき、毎日が日本に帰りたい思いでした。「暑い・くさい・汚い」なぜ、こんなところにずっといないといけないの。学校で友だちが出来始めて少しずつ生活が楽しくなってきました。けど、この2年間で一番、私の心を動かしたのはみんなで参加したスラムツアーでした。あの衝撃は忘れません。想像を絶する景色が私の目の前に広がっていました。私たちの普通が普通じゃない。現状を知った今、わたしに何が出来るのか?これから私は何をしていくべきなのか?何も出来ないかもしれません。けど、何かをしたいと思える自分に出会えたことはムンバイに来た大きな収穫だと思います。

 

学習すること・知ることの大切さ、そして教育の大切さ、これは世界共通です。そして、差別は正しく詳しく知らないことから生じるということも、私たちがもう一度確認する必要があると強く感じます。同和教育の実践の中から私たちが学んできた、差別の現実を知り、そこから学ぶ姿勢と実践は、地球規模で考えるときにも、地球のどこにあっても共通です。まさに「地球規模で考え、身近に実践する(Think globally act locally)」ということの体現なのです。私たちに今問われ求められている緊急の課題は、部落差別や多様な人権課題を私たち自身が自らの課題としてとらえ、いかに語り行動していくのかということです。おそらく事は急を要します。児童・生徒たちを取り巻く世界は情報という刺激に満ち溢れ、彼らにそれらを正しく解釈する力がなければ、予断と偏見におぼれ、人権問題として差別性を見抜くどころか、過激な思想のもつ独特な誘惑に負けて、固定観念を強くしてしまうことなど簡単なことです。パソコンを開きネット上でたった二語を検索したとしたら、ただちに、超過激で差別性の高い、いや差別そのものの情報が目の前に現れ、私たちの好奇心を刺激します。いかに機械的に保護をかけ、有害情報から未成年者を隔離しようとしても限界はすぐにやってきます。このような剥き出しの差別社会に対して、教育が何もできないだろうと無気力と無関心を決め込み行動しないことは重大な罪悪でしょう。人権教育・同和教育を進める教員たちを守旧派だ、保守的だと批判する人たちが自らの保身に終始し、教育活動を何もしないと逃避している実態と重なります。もちろん教育は無力ではありません。私たちは、児童・生徒たちが人権学習を通して様々な人権課題について自らの課題として出会い、感じ、考え、差別の実態の理不尽さ、不当性に対して憤り、自らの行動の方向性を示すことができるという多くの現実を知り体験しています。そしてこのような積極的な活動が可能になる場合は、必ず学び合う集団が確かな関係性を築き上げているか、築こうという方向性をもっています。人権問題を共有して学ぶ仲間であり、仲間づくりの過程でもあるわけです。まさに過激すぎる差別社会のエネルギーに対して、ひとりで立ち向かうことは不可能なことでしょうが、仲間が共に行動している実感があり、互いが赦し合い、互いに語り合うことができる集団を形成して行動することが肝要だということです。人権教育を学校教育の根幹に据えるということは、学校教育が現実的な集団として効果的な活動ができる仲間を基盤としてあらゆる教育活動が実践できる状況を求めています。ある町の中学校でいじめの問題があり、その説明の中で「学力向上を優先しており、いじめの問題だという認識にまで至りませんでした」と釈明する姿がありましたが、言語道断です。学校教育、とりわけ公教育は、各教育分野の分業ではないということはもちろん、児童・生徒の生身の息遣いのエネルギーを結集してこそ人権教育がなせる肯定的効果を得ることができる、学力保障とその向上も然り、とあらためて私たちは自覚するときなのです。

 

【参考補足資料】

「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」   

(いわゆる「障害者差別解消法」)

2013年(平成25年)6月制定、2016年(平成284月)施行

「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」

(いわゆる「ヘイトスピーチ解消法」)

2016年(平成28年) 6月公布・施行

「部落差別の解消の推進に関する法律」        

(いわゆる「部落差別解消推進法」)

2016年(平成28年)12月公布・施行

 

「京都市立学校外国人教育方針 ― 主として在日韓国・朝鮮人に対する民族差別をなくす教育の推進について―」(1992

1981年に試案作成、1992年に策定、2009年に補足通知がなされた。)

◎策定の経緯とその後

京都市立学校において、外国人教育の萌芽が見られるようになるのは、実は1981(昭和56)年まで遡ります。1973(昭和48)年に浮上した「京都韓国学園(現・京都国際学園)」の移転問題について、公教育の中であってはいけない差別事象が起きたケースを受けて、その5年後の1978(昭和53)年に「外国人教育推進委員会」が発足しました。この推進委員会の調査により、在日韓国・朝鮮人生徒の長欠率・問題行動率・高校進学率・就援受給率が日本人生徒と比べて高いことが歴然としました。「子ども一人ひとりを徹底的に大切にする」という視点が、在日韓国・朝鮮人(以降「在日コリアン」)の子どもたちに対しては欠落していたことが、推進委員会の調査で明らかになり、外国人教育を推進していくことが、急務となりました。そこで、1981(昭和56)年に推進委員会は「外国人教育の基本方針(試案)」を作成しました。この「試案」以降、各校で外国人教育の校務分掌が設置されることになり、京都市の外国人教育は着実に前進するに至りました。しかし、日本の社会情勢の変化(具体的には、国旗国歌法案の審議)という強風にあおられ、そこから更に10年という年月を経て、方針は策定されました。当初に掲げられた目標は、次の3点です。

@  すべての児童・生徒に、民族や国籍の違いを認め、相互の主体性を尊重し、共に生きる国際協調の精神を養う。

A  日本人児童・生徒の民族的偏見を払拭する。

B  在日韓国・朝鮮人児童・生徒の学力向上を図り、進路展望を高め、民族的自覚の基礎を培う。

この目標の下、在日コリアンの子どもたちに対する取組が推進されました。教員に向けては、「教職員ハングル講座」や外国人教育研究会との共催による研修会をする等、教職員の資質向上を目指した取組がたくさん設定されました。児童・生徒に向けても、諸帳簿や卒業証書の元号表記が西暦表記も認められるようになるなど、些細なことと捉えられるかもしれませんが、着実な歩みも見受けられるようになりました。日本社会の変化も手伝って、在日コリアンの児童・生徒たちへの民族差別の払拭については、一定の成果が現れてきています。これからも、これらの成果を踏まえた上で、在日コリアンの児童・生徒に対してこれまでの取組をたゆみなく進めていくと共に、多様化している外国籍児童・生徒並びに外国につながりをもつ児童・生徒に対しても、「子ども一人一人を徹底的に大切にする」取組をますます拡充していく必要があります。

 

 

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