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 第35回部落解放研究京都市集会

第8分科会  「わたし自身と差別問題」 

〜自由な対話が成り立つ人々との交流の場を求めて〜

進行:松田 國広(京都市職員部落問題研究会)

話題提供:廣瀬光太郎(京都市交通局部落問題研究会)

 京都会館第1会議室  ☆ 参加者数=38人

■ 提  起

 同和対策事業特別措置により部落のハード面は大きく変化しました。一方で部落差別に関する意識調査から見えてくるソフト面はどうなったのでしょうか。市民意識から見えてくるもの、部落の側から見えてくるものについて考えたいと思います。

 市民意識調査からは、「差別を経験したり見聞きしたことがありますか」の設問に対して、「少ない」という回答が多くありました。一方部落を対象とした調査からは、「差別的体験をされたことがありますか」の問いに対して、「多い」という回答が多くありました。この差は何でしょうか。 

 日常の中で差別的なものの見方、考え方が形成されているのではないでしょうか。多くの市民が差別を日常生活の中で意識していないことが、前者の調査結果に現れているのではないでしょうか。

 差別発言には、差別と気付かず「ついうっかりと」という内容のものが多くあります。被差別の側の人々は、日常性の中で差別を受けている状況に置かれているのではないでしょうか。そのことが後者の調査結果の現れではないでしょうか。

 部落と部落外のこのような意識状況を乗り越えることが部落差別を解決するための第一歩と考えます。

 多数の市民が、差別についてどのようにして学ぶことで、差別に対する怒りや悔しさを共有することができるのでしょうか。

 「踏まれた足の痛さは、わからない」という事実から、差別する側にいかにして「足を踏んでいる」ことを理解させるのかが重要な課題であると考えます。

 こうした課題を共有し、「差別と闘う立場に自分自身が立てるか」が部落問題解決につながるものと考えます。 

■ 主な意見

1 女性 他府県出身 PTA関係者

 今日はまだ差別があるのか、無くなっているのかが知りたくて来た。京都へ出てきてから運動に出会った。差別問題にかかわったとき、母親から反対された。差別されている人達が優遇をされていることも聞かされたことがある。職場の会話の中で差別問題等もある。どうすれば差別がなくなるのかと考えている。差別と被差別の距離を埋められるにはどうすれば良いのか、自身がいまだに引きずっている課題である。学校の授業の中で子どもたちに共感させることが大切である。私自身は、「橋のない川」に共感した。

 男性

 以前から参加している。部落問題から去っていった人が今後何らかの差別問題から社会的に関わらないことはあり得ない。立場がどうであれ、必ずどこかで関わりが出てくる問題である。自分としてどういう説明ができて、どのように対処していくのかが根本的な問題である。

3 男性 企業関係者 3回目

 仕事上の立場で参加しているが、差別問題は人として関わる問題であり、仕事上の立場でも個人の立場でも関わる問題である。誰もが自分が幸せになりたいと願っている。「人の足を踏む」にも故意と不注意の二通りがある。しかし踏まれる側の痛みは同じである。痛み、苦しみを体験したことのない人にそれを知ってもらうのは難しい。会社の研修でも、どうして知ってもらうのか悩んでいるところである。

4 男性 行政

 人権問題に十数年から関わっている。当局においても、ついうっかりの差別発言があった。共有することは非常に難しいと思う。

5 男性 行政

 かつての交渉時代は終わった。共有しないと一緒に考えていけない時代になった。新しい時代の行政と運動との関係を築いていかないといけない。周りの状況を見ても、部落問題は解決されていない。

6 男性

 意識の共有はできないと思う。それぞれの立場でどのようにアプローチしていくのかということであると思う。

7 男性

 1回の研修で人権意識を向上させるのはむずかしい。痛みの共有は難しい。

8 男性

 自由な対話に惹かれて来た。人と人との対話においては、相手の立場、属性等を認識した上で話が始まると思う。本当に自由な対話をするためには…。

9 女性 2回目

 今日の話は難しい。歴史、真実を子どものころからしっかり教育することが大事だと感じている。誤解を払拭するのは教育の場である。部落出身者ということは一生背負っていくことである。共感することはあるが、共有することは無理である。しかし、共有できる世の中になれば良いという希望はある。

10 男性 教育関係

 はじめての勤務が同和校である。8年間勤務し他校に行った。その場にいれば同和問題に関心を持つが離れると関心が薄れる人間の弱さを感じている。身の周りの啓発、意図的に正していく、発言していくことが大切である。家庭における間違った教育が大きく影響を与えていると思う。

11 男性 高校教員

 指導する人とされる人、人権意識の高い人と低い人、できるだけそのような関係をなくしていくことだと思う。大学入試の問題に士農工商エタ非人に関するものが出た。これについて出題を避けるべきという意見と質問できないようなことなら最初から教科書に載せるべきでないという意見があった。どちらの人権意識が高く、どちらの人権意識が低いことにはならないと思う。ただ今実際の問題については共有はできないと思う。

12 男性

 地区出身者と以外の人で意見が分かれる単純なものではない。共有できるできないの問題ではない。リアルな問題をめぐって自分で考えてみることが大切。

13 男性 1回目

 テーマに関心があって参加した。役所に入ってから部落問題を勉強した。身のある研修にするには、自分自身の経験や体験をできるだけ取り上げ、研修に取り入れている。身近にいる人に啓発活動していきたい。

14 男性

 自分自身が真剣に考えてやることが大切。自分の目で見て対象者が理解できる問題に置き換えて研修をしている。

15 女性

 部落差別に関する行動の広がりは、ここ20年くらい見えていないと思う。部落問題がタブー視されているのではないか。共有できないのは理解が進んでいないからである。

16 男性

 先ほどの共有は無理という発言にショックを受けた。しかし、共有できたらいいなという発言に救われた。普段の会話の中でなぜ人権問題、特に部落問題がでないのか。出身者が多いということも関係があるのか。そのこと抜きにして共有はできないと思う。

17 男性

 立場の関係が出てくると身構えてしまい、話し合いができない。発言に対し指摘されるのではということもあるのでは。

18 男性

 誰もが話のできるレベルの内容にしないと話し合いはしにくい。限られた人だけの議論の場になってしまう。

19 女性

 補助金問題、特別施策のハード面、ソフト面に対する市民意識について聞きたい。

20 男性

 補助金問題はたまたま運動体から出た問題である。運動体のみならず、行政等の問題でもある。特別な問題ではない。

 

 「わたし自身」からはじめて議論をする「場」を求めた分科会は、少人数の参加者ではありました が多くの方が発言されました。発言された意見に、提起者が一つひとつ回答や助言するのでなく、参加者同士の意見のキャッチボールができたと思います。

 一方で、意見集約や方向性を示さない分科会だと否定的な意見もあります。分科会を運営するもの として、その意見は参加者それぞれが集約や方向性を考えれば良いと思っています。分科会で意見を 言えない話せないことが大きな問題であると考えています。

  部落問題や差別問題が絶対的で排他的であったことを否定して、「普通」に話せる場を大事にしていきたい。そうすることによって、歴史ある部落解放研究京都市集会の存在意義があると考えます。                                                         (文責:松田國広)

 

 

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