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第44回人権交流京都市研究集会

  第4 4回人権交流京都市研究集会基調

 

はじめに

 

1 私たちを取り巻く情勢と課題

 

2 福祉で人権のまちづくり

 

3 人権確立に向けたこれからの運動展開

 

4 多文化共生のまちづくり

 

5 教育をめぐるこの一年の状況

(1)              小学校の取組

(2)              中学校の取組

 

 

第44回人権交流京都市研究集会基調提案

 

はじめに

 

 昨年は、全国水平社結成から90年という節目の年にあたり、全体集会では「水平社会へ〜わたしたちの到達点と展望」というタイトルで谷元昭信さんにご講演をいただきました。この中で、谷元さんは生前の部落解放同盟元委員長、朝田善之助さんから「時間を単純に積み重ねたからといって歴史と伝統と言うのではない。それらを胸をはって言うには、闘いの中身をしっかりと総括し、そして、その中身を理論化して、後生に受け継ぐことができるものが歴史と伝統というのだ」と伝えられたことを述べました。そのような意味で、私たちの人権交流京都市研究集会も44回を積み重ねつつ、時間の経過だけではない総括の上に立ち、新たな展開を模索していかなければなりません。

 1970年に開催された第1回部落解放研究京都市集会は、日米安保条約の改定をめぐり、世間が騒然としている最中、部落問題を全ての人々の課題であると訴え「部落問題をみんなのものに」というメインスローガンにして開催されました。11回から19回は、具体的な行動実践を念頭に「部落問題の解決をみんなの力で」のスローガンのもと、運動・行政・教育それぞれの分野での実践を深化させるべく分科会が構成されました。また20回からは「差別を許さない行動の輪から、人権のまちづくりを」というスローガンが打ち出され、反差別の取り組みを「人権のまちづくり」として打ち出し、周辺住民を含めた、広範な市民と共に行動することが提起されました。

 そして2009年の第39回目からは、「人権交流京都市研究集会」へと名称を変えて、この度6年目となります。メインスローガンを「めざそう!共生・協働の社会創造」と定め、様々な課題を負うマイノリティ当事者との交流・連帯を通じ、また、互いへの想像力を駆使することで「水平社会」の実現をめざしています。

 固定されたあるべき社会をめざすのではなく、あくまでも社会創造の過程において、共生・協働をめざそうというこのスローガンには、トップダウンではなく、互いに尊重し、信頼しあえる関係性を紡ぐことで、創造していく社会をめざすという、二重の意味の志向性が込められているのです。多種多様な人々よるそうした連帯運動は、現在、様々な場所で始められています。本日、ここで、私たちが、自分たちの足下をしっかりと見据えた上で議論される事柄を、広く世界に開かれた取り組みとして、その意義を確認していきましょう。

 第42回、43回の第2分科会に関わり多文化共生とまちづくりをテーマに、第2分科会の運営を担当した『京都・東九条CANフォーラム』が、本集会から実行委員会に加盟してくれました。在日コリアン社会の京都における現状を、基調の後段でも受け持ってくれています。このような出会いを豊かな関係性としてこれからも継続していきたいと考えています。

 

 

1 私たちを取り巻く情勢と課題

 

人も物も情報も頻繁に行き交い、出会い、流通し、行き渡るグローバル社会といわれるこの世界では、経済状況も社会状況も互いに影響を与えあい、不況による雇用の不安定化や、格差社会の進行は、もはや一国にとどまらない、世界的な傾向となっています。市場原理主義や新自由主義は、容赦のない弱肉強食の競争社会をもたらしつつ、非正規労働者や失業者が置かれている状況について「自己責任」と切り捨てます。そのような行き過ぎた競争社会がもたらす貧困は、殺伐とした社会的風潮をつくり出し、インターネット上の差別言動は、もはや見過ごすことができないほど、国民全体の言論誘導に力を持っています。教育現場における暴力・いじめ、家庭内暴力(DV)など、身近な生活での人権侵害も、社会問題として解決していかなければなりません。こうした状況がもはや他人事ではないと、3年半前に民主党への政権交代がはたされたはずでした。実際、多くの富が1%にしか行き渡らないというこの世界は、いびつであり限界にきています。しかし、政権の交代が即、夢の実現であるはずもなく、マニフェストの不履行、党内の不一致、そして、2011年3月の東日本大震災をめぐる処理について、人々の失望を生みました。

地震の被害と同時に、福島第一原子力発電所の事故は、メルトダウンから水素爆発を生じ、放射能を拡散させました。もはや、エネルギー政策としての原子力と人類の共存は、核廃棄物の処理問題だけをとりあげても、不可能であることが明白になりました。しかし、昨年の総選挙では、乱立した各政党の原発政策は思想性に基づくことなく、安易に利用されるだけで、真の意味での争点になることはありませんでした。ひたすら、景気高揚をかかげた自民党が圧勝したものの、獲得票数からすると有権者が積極的に選んだ結果とは言えません。ただし、私たちの国の進路は現在、人権尊重へとシフトしかけた道筋からまた、大きく逸れていこうとしているのも事実です。尖閣諸島の国有化をめぐる隣国中国との軋轢を利用し、排外主義をあおる事で国家統合をもくろむ発想は、大きな危険性をはらんでします。

札束をちらつかせ、人を思うままに操ろうとする手段は、原子力発電所の立地経過を見ても明らかなことでした。その危険性を充分に知っているからこそ、敢えて「過疎地」を抽出して電力供給を担わせてきた、その結果として福島原子力発電所の事故だったのです。そのような手法は、沖縄に米軍基地を押しつけるための常套手段でもありました。それは政治による差別政策ではありますが、それに対して無関心でいることにより、結果的に容認に荷担してきた私たち市民社会の責任もあります。だからこそ私たちは、目先の利益誘導に惑わされることなく、互いに支え合い尊重し会える社会を、引き続き求めていく必要があります。

 

 

2 福祉で人権のまちづくり

 

 私たちは、これまで何年かにわたり、「人権のまちづくり」を集会のテーマとし、分科会での討論も積み重ねてきました。そのことは、日々の暮らしにおいて遭遇する差別は、生活圏域として周辺に暮らす人々との関わりにおいて生じるものだからです。そこで、被差別部落のみならず、周辺地域を巻き込んだまちづくりが、「まつり」などのイベントを通じて地道に積み重ねられてきた実践があるのです。

 市民意識調査の結果を見ても、結婚や住宅購入に際する設問で、具体的に「同和」地域の人を知っているかどうかで、知っている人の方に忌避する意識が少ないという結果も出ています。同じ目的に向かって共に汗をかくということは、互いを理解し合うときに最も有効だということです。そうした位置づけで、昨年も市内の各所でイベントが繰り広げられました。京都市いきいき市民活動センターの指定管理を委託された団体が、市民活性化事業の一環としての取り組みと連動させて行っている場合もあります。

 解放新聞京都市版では、昨年3月から北いきいき市民活動センターを皮切りとして各センター長に運営の現状や、活性化事業の進捗などについて、毎月インタビュー記事を掲載してきました。現在までに、8カ所の訪問を終えたところです。交通の便などの地理的条件や、受託した団体の性格などもあり、それぞれに特色がありますが、地元住民の声をよく聞き、なおかつ地域にあるセンターとして情報を発信し、周辺地区とも連携を取りながら活性化事業に取り組んでいる施設には、可能性を感じます。多くのインタビューでは、今のところ問題なく運営しているという回答が得られましたが、時には失敗し、多少の摩擦を経験しつつもそこに学び、乗り越えていくということもまた必要なことではないでしょうか。

 さて、いきセンの展開からは、一般の市民が貸館利用という理由であったとしても、被差別地区に足を運ぶ機会が増えたということは、若干のにぎわいに繋がったとも言えます。しかし一方で、地元住民の生活実態はというと、少子高齢化が一般地区よりも数段高い傾向として続いているという現状は、歴史的・構造的な要因としてあることから、容易に逆行させることはできません。昨年の基調で詳しく述べた、「京都市市営住宅ストック総合活用計画」も、改良住宅の集約などの対応は、どの地区についても始まっていません。

 私たちは、人権のまちづくり運動の展開において、周りの地区との垣根を少しずつ取り除き、少しずつ低くしてきました。その垣根は、完全に取り払われたわけではありません。しかし、人の行き来や、様々な人々の協力の輪が形成されているという現実をつくりあげてきたのであり、その実績を今こそ「福祉で人権のまちづくり」として具体化していく時期です。すなわち、超高齢化の現実を、ただ否定するのではなく、地域の高齢者が安心して暮らせるように、運動が「訪問看護ステーション」を開設する。「デイサービス事業」を展開する。特別養護老人ホームを設立するなど、目に見えるプランを提示し、多くの人々との協働の作業でプランを実現するということです。それはまた、若者の雇用を生むことにもつながります。地区から出て周辺に住みつつ、職を求めている若者は少なくありません。福祉施設での就業は生やさしいものではありませんが、何よりも、解放保育、解放教育で培われた人権感覚が生かされる場所でもあるはずです。

 また、地区の周辺に障害者施設がある地域では、地域内でグループホームを運営するということも考えられます。空き部屋が増えている改良住宅の活用ともなり、多様な人々との共生が、地区の活性化につながることが期待されます。

それは、あらゆる差別をなくすというテーマをかけ声に終わらせず、具体的実践として取り組むことです。障害を持つお子さんを抱える親が、ある時言われたことがあります。「自分より先に亡くなってほしい…」。健常者の子どもであれば、そのような言葉は出てきません。ただ 障害があるという理由で意識が真逆になるということは、親の意識が問題であるだけでなく、社会的サポートが不十分なことが主な要因です。

人権や差別について痛みを分かっている私たちだからこそ、障害のある人を同和地区内の施設に受け入れることも可能となります。そして、そのことが、私たち自身の意識変革と、私たちの運動の質的転換を図ることにもなるのです。

 

 

3 人権確立に向けたこれからの運動展開

 

 愛知県プライム社を通じての大量戸籍等不正取得事件では、1万件もの不正取得が発覚しました。しかし、その捜査の過程では人々の個人情報が、携帯電話会社、ハローワーク、車両情報など、多岐に渡るルートからさらに大量に売買されていることが明らかになっています。また、プライム社とは別に、群馬ルートと呼ばれるベル・リサーチ社を通じての取引は、プライムを超える2万件と言われ、昨年末、京都市協もそのルートでのT行政書士名での戸籍等の請求について、情報公開請求を行いました。その結果、年明けに明らかになった件数は市内で209件もあります。

 戸籍をとられた被害者は、自分の戸籍を見ず知らずの人物が取得したという事実について知ることもなく過ごしています。少なくとも、その被害については本人に通知するべきではないかという訴えから「本人通知制度」が全国の自治体で導入されています。京都市でも201010月に条例ができました。ただし、通知するタイミングについて、不正取得した人物の罰金刑等の確定が条件となっていたため、この度のような刑事罰については当てはめることができません。京都市は、この2月にも条例を一部改正し、初めての本人通知に踏み切るとしています。

 それにしても、不正取得防止に向けては、これまでからも、司法書士会、行政書士会、行政、運動など、さまざまな立場から取り組みが行われているにも関わらず、なぜ、こうした事件があとをたたないのでしょうか。それは、探偵社などに対し、実際に調査を依頼する人々が存在するからに他なりません。逮捕された調査会社社長も、「依頼の8割から9割は、結婚に関わる身元調査であった」と証言しています。それではなぜ私たちが暮らすこの社会で、依頼をする人々が変わらずに存在するのでしょうか。その疑問を解くために「戸籍制度」のそもそもの成り立ちから考えてみましょう。

 1996年に早稲田大学出版部から発行された「戸籍と身分登録」に収録された、法学者である二宮周平さんの論文「近代戸籍制度の確立と家族の統制」を参照とします。

 

 『全国民を対象とした近代的な戸籍制度は1871(明治4)年の戸籍法にはじまります。当初は、明治政府が徴兵・徴税制度の確立と治安維持を目的とし、現況主義に立った戸口調査でした。したがって、現実の生活単位としての家族、つまり「戸」を代表する者として戸主を置き、戸主に、戸内の総人員の姓名・年齢・続柄・職業・寺・氏神などを書き出し戸長に申告させるものとしたのです。ただし、現況主義であったため戸籍は、戸主が変わるたびに改制され、脱漏を防ぐため6年ごとに改制されることになっていました。原簿に張り紙をして行うことも多く「殆ど反故紙の如し」という状態になってしまいます。

 そこで1886(明治19)年、実務的改革が成され、除籍簿と身分事項欄を創設しました。除籍簿とは家族全員が他府県に転居したり、戸主の交代があったりして、新たに戸籍を編成する場合に、元の戸籍の用紙をつづることにした帳簿です。身分事項欄とは、登録の事由、年月日を順次記載する欄です。これにより、除籍簿と現在の戸籍との連結を可能にし、戸籍に記載された家族全員の一生の身分行為を追跡する機能が誕生しました。そして、1898(明治31)年の戸籍法によって、戸籍の所在地として「本籍地」という考え方が導入され、現況主義が完全に放棄されます。こうして、戸籍は「家」を表示し、身分関係の厳正さを保障する、身分登録制度に転換していくと同時に、戸籍の観念化の現象をもたらしていきました。

 世界中に類を見ない「戸籍」は、第一に親族団体を単位として編成、第二に、届出義務者を決め、その届出に基づいて身分関係の変動を記録、第三に、戸籍に記載される者を、「戸籍同戸列次の順」により尊属・卑属・直径・傍系・男・女という序列で記載し、それを戸主との続柄として表記しました。そのことで、純粋な人の身分関係の登録だけではなく、人を戸=家を単位として登録し、戸籍に現れる家族のあり方=家制度を確立することが期待されていたのです。

 ただし、この時期戸籍を身分証書に変えていこうという動きと、戸籍を前提として民法を編纂しようとする動きが同時にあり、1898(明治31)年からの16年間は身分登記簿と戸籍簿の二重登録が行われていました。しかし、1914(大正3)年、衆議院特別委員会で議論の末、身分登記簿という近代的な個人主義の芽は完全に絶たれ、以後、戸籍は戸を確定し、個人を戸における身分的地位で確定するものであると同時に、その身分的事実、身分行為を公証するものとなりました。

 こうして戸籍は「家」を表し、かつ各人がその「家」でどのような地位にあるかを示すものになりました。家制度の下では、家族の権利義務が「家」に属すること、つまりその「家」の戸籍に記載されることと直結していたことから、国民は戸籍記載に単なる登録・公証という技術的な意味以上のものを感じ、戸籍記載を必要以上に重視する意識、家名意識、「戸籍が汚れる」といった戸籍感情などを生むことになりました。また家族関係と一生の身分行為が一覧的に把握できる戸籍が公開され、誰でも手数料さえ払えば、閲覧や謄本・抄本の請求ができたことから、差別に悪用されたばかりか、正当な家族意識とそこからはずれないような規制効果を生み、体制に順応する心証を育てることにもなりました。

 戸籍が以上のような機能をもったがゆえに、第二次大戦後の民法の改正と家制度の廃止に伴い、戸籍制度を改革する必要に迫られました。GHQは司法省との会談の中で、何度か戸籍を「個人個人について作成してはどうか」と質していました。しかし、司法省は、「紙や手数がかかる」「経済力が回復すれば一人戸籍にしたい」のだが、現在ではむずかしいと言い訳をし、「夫婦と子供を一つのグループにしたまでで『家』の温存など考えていない」として、GHQの了解をとりつけました。他方で、個人単位で一人一用紙主義の身分登録制度の採用を提案し「市民名簿」と名称することを「民法改正案研究会」は主張しましたが受け入れられず、現行の夫婦及びこれと氏を同じくする子を単位として戸籍は編成されることになりました。 

 しかし、戸籍の編成替えは、新たな身分行為がある度に現行制度で改正するという漸次的移行方式をとり、実際には1958年から1966年にかけてようやく完了することができました。施工後10年間は、戸籍簿上「家」が温存されたわけであり、個人主義の理念は後退してしまいました。

 他方1967年に住民基本台帳制度が完備しました。これは個人を単位とする住民票を世帯単位で編成するもので、世帯員は世帯主との続柄を表記され、現実の家族関係を把握する制度として機能しますが、ここでも個人主義は家族主義に道を譲ってしまいました。

 戸籍の編成基準を歴史的にたどると、そこには単なる法技術以上の意味が含められ、まさにそれが国民の家族生活を規制し、管理していたことがわかります。それゆえ、戸籍が実体的権利義務とは関連しない今日なお、戸籍の記載の形式が家族共同生活に対して重要な意味を持ち続けているのです。制度が人々の意識を規定することを思うとき、制度の構築は、便利性ではなく、原理原則の問題として捉えなければなりません。すなわち、戸籍制度もまた指導理念として、憲法の個人の尊厳、男女の本質的平等に基づくべきことが要求されます。すでに民法改正案研究会が1947年に主張していたように、戸籍筆頭者との身分関係と氏の異同で入籍・除籍を繰り返す制度は、明白にこの理念に反するものです。個人ひとり一人を主体として編成する個人別の身分登録制度に改めなければ、憲法の理念を貫徹することはできません。

 他方で、多様な家庭生活・私生活が共存している現在においては、夫婦と子どもという特定の家族像をモデルにすることは現状に合いません。戸籍事務のコンピュータ化が進められている現在、個人情報の保護を図りつつ、個人別の登録制度に切り替えていくことが可能な状況が生まれています。この機会に戸籍編成の原理を抜本的に検討し、個人の尊重と両性の平等にかなった制度に改めるべきだと思います。』

 

 以上、要約させていただいた二宮教授の主張は、2013年の現在にも全く色あせることなく当てはまるものでありますが、すでに17年前に記されたものです。1995年は、法制審議会答申に基づき、民法改正による「選択的夫婦別姓論議」が高まっている最中でした。振り返ればこの長きにわたる法的不作為について、2009年の政権交代は解消する最大の機会と思われましたが、結局頓挫することになりました。

 それは、人権侵害救済法の制定についても当てはまることですが、政権内外の根強い抵抗と同時に、国民ひとり一人が自らにとって、決して無関係ではない切実な課題として捉えられていなかった結果なのかもしれません。

 少なくとも、戸籍という登録の在り方が、@世界的にも特異な制度であること、A一生に渡る団体管理は、民主主義とは矛盾すること、B日本においても戸籍が創設された当初は、政権内にも反対意見があり、家制度の構築とセットとなるこの制度が、今後個人が重視される社会になれば廃止されることが視野に入っていたこと、C戸籍制度は決して普遍的固定的なものではないということ。この4点について押さえておくことが必要だと思います。そうして、ひとり一人の人権が大切にされ、個人の尊厳に立脚する以上、戸籍に表されている序列を正当化するメッセージに対し、批判する力を持ちたいものです。

 

 以上、戸籍の「記載」について述べてきましたが、一方で、「戸籍に記載されない」ということへの問題性についても考えておく必要があります。

 戦時中、朝鮮半島を植民地化していた日本は、韓国・朝鮮の人々に創氏改名を強要しつつ戸籍登録を義務づけ、一方で日本国内の戸籍を「内地籍」、植民地を「外地籍」と分けて差別的な管理を行っていました。敗戦による戦後処理の過程で「外地籍」は処分され、それと同時に国籍も剥奪されることになりました。同じ「日本人」という認識で「外地籍」の男性と結婚した「内地籍」の女性も「外地籍」となっていたため、無国籍となる状況も生じました。戦後責任ということでいえば、本来その当時、国籍を選択してもらうべきところ、一方的に剥奪するということは人権侵害以外の何ものでもありませんでした。

 そのような経過から日本で暮らさざるを得なくなった在日コリアンに対して、日本政府はかろうじて「永住権」を付与し、外国人登録法によって管理しましたが、その事実を指し「在日特権」と言い、それを「許さない会」を名乗る、通称「在特会」という勢力が台頭しています。彼らは、インターネット上での差別扇情にとどまらず、昨年は、奈良県の水平社博物館での展示をめぐり、自らの差別的歴史観が受け入れられないと、博物館に向かって「エッタ、ドエッタ、穢多」「非人」「北チョンコの国」などの蔑称を用いて街宣を行いました。水平社博物館は名誉毀損で提訴し、昨年6月に勝訴しましたが、こうしたあからさまなヘイトクライムにさえも、裁判という非常にハードルの高い手段に訴えるしかないというのも、私たちの社会の現状です。

 また、氏という系譜によって管理する戸籍にとって、嫡出推定に基づく氏の決定は、事実を曲げてでも貫徹されるべき原則であり、「無戸籍」の子どもを出現させる原因となっています。命にさえかかわる凄惨なDV被害にあった女性が、夫の元からやっとの思いで逃げ、離婚の話し合いや調停に及ばず、必死で息を潜め何年も暮らすというケースは、今日では決して珍しいことではありません。そのような時期に別の男性と出会い、新たな人生をスタートさせ、出産に至る場合もあります。そうしたケースでは、事実としての父を記載し、父が届け出を行っても、その出生届は受理されません。顔を合わせることを最も恐れ、居所を知られないように住民票も異動できずにいる女性にとっては、DVという傷害行為の加害者を「父」としてしか届けられない、あるいはあらかじめ裁判により「前夫」の証言を「お願い」しなければなりません。民法772条をめぐるこの問題は、2007年、ある女子高生により多くの人々に知られることになりました。

 また、本日の全体集会は、38年にわたって、女性同士のパートナーシップを築いてこられた二人の女性のお話です。戸籍は、同性カップルや、トランスジェンダーの存在を想定していません。男性であるところの夫を戸主(現行では戸籍筆頭者)として、その下に妻・子を記載する形式をスタンダードとする戸籍の観念は、日本における性的マイノリティにとって、その重圧を「家族問題」として発生させます。

けれども関係性とは本来、1枚の紙の上に展開されるものではなく、現実の日常生活において造りあげていくものです。性のあり様というのは、実は、男性と女性という二種類だけではありません。私たちひとり一人に性はあり、まさに個性という言葉と同義であるという考え方もあります。そうした意味で、「性」とはとても大切な人権そのものといえるでしょう。

 私たちは、スタンダードなイメージにとらわれず、多様な性、多様な愛、多様な家族のかたちがこの社会にあることを知ることで、他者の暮らしへの想像力をめぐらせ、理解していくことが大切です。それは管理的規範から外れてしまうことの恐怖心を克服する方向性であり、そうした「恐れ」から生じる偏見や差別から、私たち自身が自由になることです。そのことが、他者の尊厳を損なう、身元調査の「依頼」など、思いもよらない愚かな行為であるという、もう一つの規範が行き渡った社会を創造することにつながるでしょう。

 

 

4 多文化共生のまちづくり                                       

京都市内には41,200人の外国籍住民が暮らしており、その国籍は133カ国にのぼります(201112月末)。近年は、従来の韓国・朝鮮籍者中心のオールドカマーに加え、韓国、中国、東南アジア、南米などから多くのニューカマーが生活するようになりました。京都市においても2008年に『京都市国際化推進プラン』がまとめられ、一昨年度より「多文化施策懇話会」が発足し、外国籍住民が暮らしやすく、活躍できるようなまちづくりが目指されています。しかし、実際のところ「多文化共生のまち」にまだまだ近づけていないのが現状です。 

一方、京都では外国籍住民をサポートする様々なNPO法人や、市民団体が活動をしていますが、そのネットワークや連携はまだまだ不十分であり、何よりも活動資金や活動拠点施設の不十分さ、多文化共生推進に寄与する人材(多文化社会コーディネーター等)不足が見受けられます。私たちはこのような状況に鑑み、一昨年9月京都市に対し「多文化共生推進センター(仮称)」の設立と「多文化共生推進室(仮称)」の設置を提言しましたが現在まで進展が見られません。

 

(1)多文化共生のまち〜東九条〜                                      

JR京都駅の南側に位置する東九条地域は、京都で最も在日コリアンが多く住む地域です。特に、鴨川に近い東側は在日コリアンの割合が高く、日本籍者を加えると現在も約3割の在日コリアンが生活しています。

1960年代から1980年代まで、劣悪な住環境のために大火災にたびたび見舞われ、多くの犠牲者が出ました。とりわけ、当時、鴨川の河川敷(通称松ノ木町40番地)にバラックを建てて住んでいた多くの在日コリアンは水道や電気もなく悲惨な状態でした。このような劣悪な環境から逃れるように東九条の人口は減少を続け、1965年当時の人口から比べると現在では山王学区では約66.2%、陶化学区では43.6%、山王学区の東側4ケ町では実に85%の人口減少になっています(2010年国勢調査)。人口減少、少子高齢化により昨年度から東九条の公立3小学校1中学校は「凌風学園」という小・中一貫校に統廃合されました。

1990年代半ばより市営住宅が建設され住環境は改善された反面、まちの活気はなくなりつつあります。行政中心のまちづくりは住環境改善が中心であり、多文化共生地域コミュニティ形成など、ソフト面の課題に対応ができていないのが実情です。

京都では外国籍住民の生活を支援し、サポートする様々な団体がありますが、とりわけ東九条には長年地域に根を下ろした様々なNPO団体や市民団体などがあり、地域のまちづくりに貢献しています。その一つである東九条マダン実行委員会は、1993年から毎年11月初旬に多民族共生・交流のまつり「東九条マダン」を盛大に行い、昨年の第20回では地域内外から約6000人の参加がありました。しかし、このまつりの成功を支えている日常活動の実態には大変に厳しいものいがあり、民族楽器や、歌・踊り・芝居等の練習場や、美術制作、会議や学習などの適当な場所が無く、増えてゆく一方の機材・楽器・衣装など様々な物品の保管場所は東九条ではなく、北隣の元・崇仁小学校の教室を借りている(有料)のが現状です。

北河原市営住宅建て替え移転事業の一環として建設された東岩本市営住宅の1階部分に、昨年7月より「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」(ネットワークサロンと略)が開設され、42の市民団体が登録をし(20131月時点)活動していますが、多文化共生・交流という点や、ネットワーク事業としてはまだまだこれから作り上げていくと言う段階です。昨年の4月から「ネットワークサロン」が中心となって「春まつり」が開催されるようになり、これからは「秋のマダン」に加え、東九条の「春まつり」として市民に定着していこうとしています。ただ、この施設には吸音・防音設備が無いため、まつりに欠くことの出来ない民族楽器などの練習には不適切で、東九条マダンだけでなく、アジア諸外国、南米などの民族楽器や舞踊などの文化活動を行うスペースはなく、私たちが望んでいる「多文化共生・交流」には不十分です。また、近年ニューカマーの増加と伴に、外国人相談内容も、日本語習得、医療・福祉、教育・子育て、就業、DV問題など多岐に渡り、今までの民間によるボランティア活動では限界があります。これらの問題の多くは、かつてオールドカマーと呼ばれる在日12世たちが経験してきたことであり、オールドカマーの運動の蓄積や経験が(例えばオモニハッキョと言われる識字学級)、これからの多文化共生社会に生かせるシステム作りが必要です。

京都市が進めてきた東九条の住環境整備事業もほぼ終了段階を迎え、地域の至る所に青いフエンスで囲われた空き地が目立つようになりました。また、河原町通りに面した市営住宅の店舗は、その半数以上がオープンの時からシャッターが閉められたままであり、地域の活性化には何の役にも立っていないのが現状です。これらの空き地や空き店舗、また、学校統廃合によって使われなくなった学校施設等の活用を進めるため、一昨年秋より地域住民と行政が一体となって「東九条エリアマネージメント準備委員会」を起ち上げ、「多文化共生のまち・東九条」のまちづくりが歩み出しています。

「多文化の息づくまち・京都」の実現こそ、これからの京都を展望するキーワードになることでしょう。

 

 

 

 

5.教育をめぐるこの一年の状況

 

では,ここからは教育を取り巻く状況について述べていきたいと思います。

 昨年の集会では教育に関わる基調の冒頭で,

「東北地方太平洋沿岸を襲った大震災と,その直後に襲った津波による大被害,さらには人災と呼ぶべき福島第一原子力発電所の事故による広範囲にわたる放射能汚染,また,台風による大規模な土砂崩れ等の豪雨による自然災害によって多くの人命が失われました。震災から11カ月が過ぎた今もなお被災地では避難生活を余儀なくされた方々が多くおられます。ようやく復興への道のりがスタートしましたが,被災地の完全な復旧,復興は遠い彼方にかすんでいるかのように見えます。」と述べました。

 また,「『教育を受けることが保障されている』という当たり前に思われていることがいかに大切なものであったかということを痛切に感じざるを得ません。被災地での教育,とりわけ学校教育が一日も早く以前の姿に戻ることを願いつつ,わたしたちは目の前にいる一人一人の子どもの教育に全力を傾けていかなければなりません。」と決意を新たにしました。 

 間もなく,震災から2年が過ぎようとしている今,なお32万人を超える方々が仮設住宅での暮らしを強いられています。また,ニュースの映像で見る被災地の状況は復興というにはほど遠いものがあります。

 わたしたちは震災の記憶を風化させてしまうのではなく,今こそ復興,そして生活再建にむけての継続的な支援が必要なのだということを肝に銘じておきたいと思います。

 

 さて,この1年間の学校教育を取り巻く課題を見てみると,何といっても大津市の中学校で起こったいじめを苦にした生徒の自殺の問題を挙げなければならないと思います。このことに関しては学校,教育委員会の対応,あるいは警察の対応をめぐってマスコミも大きく取り上げました。また,大津に端を発して全国各地で「いじめ」の問題が注目されるようになりました。「いじめ」に関するアンケートの実施や教育相談などの中での聞き取りなどで次々と「いじめ」の実態が明らかになりました。その中には生徒が自ら命を絶った事例もあり「いじめ」との因果関係が取り上げられるという事態になっています。こういった危機感の中で,全国各地で生徒自身が立ち上がり,自分たちの声で「いじめは絶対に許さない」という声を上げ始めています。

 京都市でも8月下旬に中学生生徒会サミットが開かれ全市から生徒会の代表が集い「いじめはしない,させない,許さない」という宣言を行っています。もちろん「いじめ」は決して許されてはならないし,学校という場で子どもたちの中で起こっていることで済まされる問題ではありません。通常,社会で起こっていれば暴言や暴行,傷害といった行為は処罰されてしかるべき問題です。従って校内で起こっていることであっても「社会で許されないことは学校でも許されない」のは当然のことです。そういう意味では「いじめ」の防止に向けて条例の制定や「いじめ」の検証に関わる第三者委員会を設けるなどの動きが出てくるのは当然のことだと思います。また,国のレベルでも「文部科学相がいじめの予防、早期発見、解決に向けて国が取り組むべき対策を示す基本計画を策定することを明記した」法制化を検討していると報じられています。

 このように,子どもたちの世界で起こっている「いじめ」の問題が継続して大きく取り上げられている中,年が明けてからは大阪の市立高校での部活動顧問による体罰を苦にした自殺が明らかになり,顧問教諭の指導方法だけでなく,「体罰に関する通報」があったにもかかわらず,体罰を根絶できなかった学校,教育委員会のこれまでの体制やその後の対応に対して大きな批判の声が起きています。

体罰は言うまでもなく,「学校教育法第11条」に「校長及び教員は,教育上必要があると認めるときは,文部大臣の定めるところにより,学生,生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし体罰を加えることはできない。」とあるように法令上も認められていないのは当然です。また,傷害・暴行に当たり犯罪行為であることは分かり切ったことです。しかし,今回も聞こえてくるのは学校や教育委員会の隠ぺい体質に対する批判,体罰を含む指導は絶対に行ってはならないし,許してはならないという多くの声です。これはこれで正論であり,当然のことだと考えています。

ただ,「いじめ」や体罰についての多くの報道や教育評論家,専門家といわれる人たちの発言の中に,「これらの行為の主体者が子どもであるか大人(教職員)であるかの違いはあっても,一人の人間としての尊厳,人格を傷つける許されない行為である」という視点があまり語られていないような気がしてなりません。

繰り返しになりますが,自分自身の命を懸けて訴えた子どもの思い,許されない行為を行った側が取るべき責任は,それぞれがそれぞれの立場で背負わなければなりません。「いじめ」や「体罰」によって自殺にまで追い込まれたという悲しい,そして許せない出来事が起こった理由の解明や再発防止に向けての第三者機関も含めた取組,さらには「条例」や「法」の整備といった様々な条件整備は当然のこととしてなされるべきです。

その上で,「人権教育」を教育の基盤に置いてきたわたしたちは,今こそ「いじめ」や「体罰」が絶対に許されないのは何故なのか,一人の人間としてその尊厳を認めるということ,すべての人の人権を守っていくということはどういうことなのかを子どもたち一人一人に,また教育者であるわたしたちの仲間に伝えていかなければなりません。

プロ野球で活躍し,メジャーへも挑戦したある投手が今回のことを受けて,次のように述べています。

「小学生の時,グラウンドで監督やコーチから殴られない日はなかった。連帯責任が当たり前で,チームメートがミスをしても『キャプテン、来い』と呼ばれ平手打ちされたり、お尻をバットでたたかれたりした。殴られて愛情を感じたことは一度もない。『なぜだろう』『おかしい』と思ってきた。体罰が嫌でグラウンドに行きたくなかった。体罰で力のある選手が野球嫌いになり,やめるのを見てきた。子供は絶対服従だと思っているから体罰をする。一番ひきょうなやり方で,スポーツをする資格はないと思う。」

ここで彼が言いたかったのは「殴られて愛情を感じたことは一度もない」という言葉に集約されているのではないでしょうか。一人のスポーツ選手として,何よりも人として認められていないという思いであり尊厳を傷つけられたとの思いです。つまり,指導する側に大きく欠けていたものを指摘したものだと言えます。

これは「いじめ」を行っていた加害者の子どもたちにも言えることです。確かに,「禁止」や「処罰」は抑止力になるかもしれませんが,本質的な問題の解決に繋げていくには十分とは言えないのではないかと思うのです。そこに「人権」というキーワードが結び付いてこそ,同じようなことが二度と起こらない社会が生み出せるのだと思います。

同じように差別問題の解決は「禁止」ではなく「共に認めあい,共に生きる」という視点に立った具体的な行動から見えてくるものだと考えています。これまで数多くの先輩が大切にし,全ての教育活動の根幹に置いてきた「同和教育」や「外国人教育」,「総合育成支援教育」,「男女平等教育」をはじめとする「人権教育」の理念や実践を,あらためて「いじめ」や「体罰」の問題を考える基盤に置くことが大切だと考えています。

 昨年の基調提案でも述べましたが,小学校,中学校共に教職員の大量退職の時代を迎え,急激なスピードで学校現場での世代交代が進んでいます。「一人一人を徹底的に大切にする教育」という言葉を耳にすることが少なくなったようにすら感じる今だからこそ,伝えるべきことは「してはいけない」「許されない」ということを前提にしながらも,何故「してはいけない」のか,何故「許されない」のかを「人権」をキーワードにしながら具体的に,実践を伴って語り継いでいくことが大切だと思います。

 

(1)                         小学校の取組

 

 小学校同和教育研究会では,人権が守られていない児童が少なからずいる現状をしっかりと捉えると共に,その育ちと学びを保障する立場にある教職員や保護者の,人権意識の高揚と実践力の向上を目指して,学校における人権教育の具体的な実践を研究・交流してきました。特に8月に開催する人権教育研究集会は,「学力保障」「人権学習」など4つの分科会で構成し,学力保障と人権感覚の育成を両輪とした小学校教育の在り方を具体的な実践報告をもとに協議したり交流したりしています。今年度の報告でいえば,気にかかる児童を中心とした学力向上に向けて学校組織全体で関わっている事例や新たな人権教育の推進に向けて「子どもの人権が保障された学校とは何か」を問い直した上で,今までの取組をより一層発展させて取り組んでいる事例などが報告されました。確かにこれらの実践を行うには多くのエネルギーを必要とします。しかし,目の前にいる児童が自分の可能性に気付き,自己の将来を切り拓いていこうとする意志を育てるために流す教師の汗は,それこそ教育そのものだと言えます。学校によって取組内容に当然違いはありますが,「一人一人の子どもを大切にする」という理念に基づいた人権教育は,すべての学校のすべての教育活動の中で実践されなければなりません。そこで,わたしたちは以下の4つの側面に注目して自らの実践を見直してきました。

 まず,「人権としての教育」,つまり教育を受けること自体が人権保障であるという側面です。これはまさに,児童本人の責任ではない理由によって,教育機会が奪われていないか,教育の機会は平等か,すべての児童に結果の平等が保障されているかを問い続けてきた,同和教育の考え方と軌を一にするものです。

 今更言うまでもなく,学校教育は学力保障をしっかりと行っていくことが最重要課題です。日々の授業において,様々な要因から,授業内容がもっとも届きにくい児童に届く授業を展開しようとする,焦点化指導という手法を大切にしてきました。徹底した児童理解に基づいた教材作成や授業展開の工夫を行うと共に,めあてを明示し,指導と評価の一体化を図ってきました。朝の時間・帯時間・放課後など授業時間外も含めて,指導し切るという熱意とシステムが必要です。また,知識・技能の習得に偏ることなく,言語活動の充実を図り,思考力・判断力・表現力もバランスよく育てていくことが,今求められています。

 次に,「人権についての教育」,つまり,人権に直接かかわる内容を学習する人権学習という側面です。各校で人権教育の全体計画に基づき,6年間を見通して進められています。特に,同和問題に関わる指導は,社会科の教科書に系統的に記載されていることを受け,教員の授業研修も兼ねて,指導の充実が図られています。総合育成支援教育や外国人教育についても,各校で独自の年間カリキュラムが作成され,授業として実施されています。合わせて,道徳教育の充実が不可欠です。「(略)道徳的な心情,判断力,実践意欲と態度などの道徳性を養う」とする道徳教育の目標は,人権教育を進めていくうえで基盤となるものです。道徳の時間が,道徳教育の重要な柱であることは間違いありませんが,道徳教育の全体計画をもとに,すべての教育活動において道徳教育のねらいを明らかにして,相互につながりのある実践を積み重ねていかなければなりません。

 三番目は「人権を通しての教育」,つまり,人権が大切にされた風土・雰囲気・環境の中で子どもが育っているか,すべての教育活動が,人権の視点をもって実施されているかという側面です。人権が大切にされた風土・雰囲気・環境を作るためには,すべての学校教育活動の中で人権教育が実施されなければなりません。各校で作成されている人権教育の全体計画の中には,教科ばかりでなく,児童会や学校行事における人権教育のねらいも明示されています。あいさつを互いに交わし合い,学習場面では規律をまもり,相互の考えを尊重し合った話し合い活動が行われているか,それに見合う言語力が身についているのかなどといったことが問われています。つまり,学校や学級が,子どもにとって居心地のよい居場所となっているのかということです。

 また,わたしたち教職員一人一人が,児童に大きな影響を与える人的環境の一部であることも自覚しなければなりません。自らの指導法や言葉掛けが,児童の人権を尊重するものとなっているのかといった点についても,自己研鑽・研修に励み,確かで鋭い人権感覚と豊かな人権意識をもった,人権という普遍的文化の担い手に自らがなっているかということを問い続けていかなければなりません。

今,採用五年目以下の若年教員が,全教員の三分の一以上を占める時代となりました。様々な人権課題について,基本的な知識・理解を図ることが急務と言えます。また,家庭との連携を構築していく上で欠かせない家庭訪問についても,保護者への効果的な対応の仕方など,仕事をしながら現場で研修を深めるOJTOn the Job Training)が重要で,ここでは,ベテラン・中堅教員の役割が大切になります。

 ところで,人権教育を進める上で,家庭の教育力が大きな影響を与えることは改めて確認するまでもありません。学校教育と目指すところを共有しつつも,家庭としての役割を十分に果たせるよう連携していかなければなりません。意識の共有と共同の学びの場として,人権啓発の場は重要です。教え,教えられるという一方通行の関係ではなく,あくまでも双方向に学び合う場として対等の立場で臨むことが大切です。

 学校は,様々な場で家庭や地域と手を携えながら教育を進めています。児童対象の地域行事を通して,地域力を受けるという側面ばかりでなく,児童がボランティア活動をして,一地域住民としてその役割を果たし,参画・発信する側になることでも大きな成長が期待できます。

 人権教育においてめざす子ども像を「自分の大切さとともに他の人の大切さを認め,行動できる子」と考えるならば,先に述べた三つの側面に加え,「人権のための教育」という側面も忘れてはなりません。つまり,児童の日常の些細な行動の背景に,人権の考え方がきちんと根付いているか,自分の役割が果たせる場があるか,自己有用感を感じられているかという側面が必要だということです。言いかえれば,人権文化を育む知識・技能・態度が身についているのか,「人権を守り,他者の人権を守るための実践行動」ができているのかということです。この視点を大切にすることで,「人権という普遍的文化が確立した社会」の基盤が作られるのです。

 

(2)                         中学校の取組

 

 中学校では,これまで京都市の人権教育推進のために,外国人問題の解決を目指して活動してきた「中外研」,同和問題の解決を目指して活動してきた「中同研」の流れを汲み,あらゆる人権問題の解決を目指してきた「中人研」を統合し,新たに再編した『新生:中人研』が,今年度より発足いたしました。後でも述べますが,これは言うまでもなく世代交代を見据えて次代に人権教育を引き継いでいくという目的で行ったものです。

『新生:中人研』の中に,「外国人教育専門部会」,「同和教育専門部会」,「総合育成支援教育専門部会」,「男女平等教育専門部会」の4部会を設置しています。あらゆる人権問題の解決を目指した教育のあり様,また教育活動のすべての場面で行う人権教育について各校の実践交流や個別的な人権課題に関する学習会の実施,さらには中人研研究集会,京都市人権教育研究集会などをより発展的に企画・運営する研究会として,新たにスタートしたところです。

 今回の統合に至る最も大きな理由は,これまで多くの先輩が築いてこられた本市の人権教育をより確かなものとし,次の世代に繋いでいくことです。

 それでは,『新生:中人研』の4つの専門部会において,「個別的な人権課題の現状の認識」,「専門部会の方針および活動内容」について紹介したいと思います。

 まず,「外国人教育専門部会」についてです。

京都市立学校における外国人教育は,これまで,数多くの実践がなされてきました。1981(昭和56)年,京都市の外国人教育研究推進委員会が示した「外国人教育方針(試案)」によって組織的にはじめられたと言えます。その後1992(平成4)年には「京都市立学校外国人教育方針―主として在日韓国・朝鮮人に対する民族差別をなくす教育の推進について―」が策定されました。

 この方針策定後,韓国・朝鮮の文化に対する正しい認識を児童生徒や教職員,市民に培うため,「民族の文化にふれる集い」や「教職員ハングル講座」等が実施され,「中外研」も積極的にこれらの事業に協力してきました。

 このような経過で外国人教育は着実な成果を上げてきましたが,試案策定から31年,方針策定から20年を経た現在,日本社会での在日韓国・朝鮮人の状況も大きく変化してきています。

試案が示された1981年当時と比較すると,韓国・朝鮮人生徒数は激減しています。具体的には,1981年,京都市立中学校に在籍する韓国・朝鮮人は1477名(全生徒に占める割合は2.7%)でしたが,2011年には285名(同0.9%)となっています。

世代が在日韓国・朝鮮人1世から2世,3世へと変わるにつれ,日本国籍を取得する人が増加したことが挙げられます。さらに国籍法の改定により,これまでの父系制から父母両系制へと変更された結果,日本国籍を選択する保護者が多くなっています。

このことから外国にルーツをもつ生徒を国籍で判断することは,もはや不可能になってきています。生徒の背景をしっかり理解し,取組を進める時期となってきています。

 また,2009年3月に示された「外国人教育の充実に向けた取組の推進について」という京都市教育委員会教育長からの通知にもが示されているように、外国から渡日した生徒への日本語指導や適応指導,進路保障もまた大きな課題と言えます。日本語教室や教育委員会からの日本語指導ボランティアの派遣など,いろいろな支援を有効に活用したいものです。京都市の外国人教育は,ちがいをちがいとして認められる社会,差別や偏見,排除のない多文化社会の実現を目指した教育を実践してきました。本専門部会では,これまでの京都市の外国人教育を振り返り,何を達成し,何が道半ばであるのか,今の課題は何なのかを問い,議論を深めたいと考えています。

 

次に,「同和教育専門部会」についてです。

「同和教育専門部会」は,同和行政・同和教育に係る特別施策が終結されたあとの教育の場における現状を具体的に分析し,「すべての教育活動の再構成・実践・共有・発信」を目的として,研究活動を推進します。

現状分析については,次の三つの視点をもとに展開したいと考えています。

@      部落問題をはじめとする人権問題を解決するために,どのような視点で取組を行い,どのような効果が挙がっているのか。

A      部落問題をはじめとする人権問題をどのように認識しているのか。

B      あらゆる人権問題への啓発活動がどのように行われているのか。

「すべての教育活動の再構成・実践」については,同和教育の普遍化という名のもとに,実践手法だけが踏襲されてしまい,現実的な実態把握がなされないまま行われることで,形骸化が進んでしまっている状況が多く見られます。そこで,各校において目の前にいる子どもたちの実態やニーズについてさまざまな角度から確かな分析を行ったうえで,より有意義で確かな効果をもたらすための実践を再構成する必要があると考えます。

「すべての教育活動の共有・発信」については,多様な子どもたちの実態に対して,各校において実践されていることを広く共有することで,行動の本質に気づき,自校の取組みに照合したり,再考したりすることが可能となります。また,それぞれの実践を発信することは,自らの取組みへの認識の深化を進め,確かな自信の構築を促します。

わたしたちがかつて被差別部落に生まれ育った子どもたちに,教育の機会を保障し,学力や進路を保障することを目的として活動してきたことは,特別施策を遂行するために実践していた訳ではありません。部落差別が存在する限り,被差別部落に生まれ育った子どもたちへの「学力保障と進路保障」が必要であることは,変わりありません。さらに現在では,社会構造の複雑化と多様さが生む格差の実状によって,「学力保障と進路保障」は,以前にも増して,中学校に通うすべての子どもたちに不可欠な視点であり,より多様で広範な,しかもきめ細かな実践が必要となっています。「一人ひとりを徹底的に大切にする」ことは,同和教育が育み,大切にしてきた信念ですが,現在にこそ,単なるスローガンに終わらせず,真に一人ひとりの子どもたちの背景に迫る関わりを持ち,効果的に,積極的に取組むという姿勢で臨む必要があります。

また,学校教育においては,部落問題に対する認識や人権意識が高まることを基盤とした学習の場を保障することが求められます。人権学習,道徳,学活,すべての授業の場面において,自由に意見交換がなされ,一人ひとりの考えや価値観を認め合う集団を育むことです。これらの考えを基盤とした実践の積み重ねにより,一人ひとりの人権が大切にされる教育の場を保障しなければなりません。

同時に,人権課題に対する啓発活動の場を確保するということも求められています。学校教育のすべての場面が,地域や保護者にとって啓発の場となります。研究公開授業や,参観懇談の機会,またさまざまな学習会・講演会など,手段は各校の状況に応じて,積極的に実践されるべきです。以上のような現状認識のもと,同和教育専門部会は,公教育の責務を再考し,再認識して,教育保障すべき家庭や子どもたちに,どのように関わっていくべきなのかを検討し,議論していきます。

 次に,「総合育成支援教育専門部会」についてです。

「総合育成支援教育専門部会」は,今回の組織統合により新たに発足した専門部会です。

この部会では,総合育成支援教育,主として,普通学級に在籍するLD,ADHD等の支援を要する生徒に対する取組や,クラスの生徒への啓発に関する実践など,試行錯誤しながら行っている支援のあり様を集約し,情報発信を行っていきたいと考えています。また,市立中学校8校に設置されている「LD等通級指導教室」での実践についても,この専門部会で情報を集めていくとともに各校でも実践可能な手立て等について発信していきたいと思います。

さらには,普通学級に在籍する発達障害のある子どもたちに対する理解をクラスの子どもや保護者にどのように深めていけばよいのかについても研究を進めていかなければなりません。ここにも,この専門部会の果たすべき大きな役割があります。

また,週20時間を上限に配置されている総合育成支援員に関しても,教育委員会主催の研修会は何度か行われているものの,実際の運用や取組については各学校に任されているというのが実態ではないでしょうか。全ての中学校に「支援を必要とする子ども」が在籍しており,各学校で総合育成支援教育主任の先生方を中心として校内委員会などでの検討を元にした支援の取組が行われ,それぞれの学校が創意工夫を凝らして実践を行っています。今後は,学校指導課や校長会人権教育部会のみならず,総合育成支援課や校長会総合育成支援委員会とも連携を進めながら,より有効な手立てを多くの学校が取れるように専門部会としての活動を充実させていきたいと思っています。

 最後に,「男女平等教育専門部会」についてです。

これまで,各学校においては,学校の教育活動全般を通して,生徒の発達段階に応じて男女平等教育が行われてきたところです。男女混合名簿はもちろんのこと,技術家庭科や保健体育科で男女共修を実施し,学校生活において,性別による役割の固定的意識などがなくなりつつあるなど,学校教育における男女平等教育の果たしている役割は認められると考えます。

 しかしながら,実際に社会に目を向けますと,「男女共同参画」の理念は広がりを見せてはいるものの,男女間の固定的役割分担意識などが依然として残っていることは否めません。学校生活の様々な場面において「男女共同参画」という視点で学習指導に取り組んでいく必要がまだまだあります。このような考え方のもと,男女共同参画の視点に立った学校の教育活動はどうあるべきかについて,議論を深めていきます。

以上,紹介しましたように,『新生:中人研』は,4つの「個別的な人権課題」を中心に活動を進めています。しかしながら,現存する人権問題は,解決の方向に向かっているというよりも,より弱い立場の人々にしわ寄せがいき,むしろ新しく生まれてくる人権侵害の問題も含めて課題の方が多いと言わざるを得ないと思います。一人一人が幸せに生きることが,十分に保障されていない社会に巣立っていくすべての生徒に,部落問題をはじめとするあらゆる人権問題解決への実践的態度の基礎を培うために,「個が輝く人権教育の創造」を目指して活動していこうと決意しています。

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