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基調

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第50回人権交流京都市研究集会

  第 50回人権交流京都市研究集会基調

はじめに

 

.私たちを取り巻く情勢と課題

(1)天皇の代替わりと私たちの「時代」

(2)皇室典範の「民主化」と人権

 

.福祉で人権のまちづくり

(1)教育・保育の課題と人権条例に向けて

(2)人権のまちづくりと地域共生社会の課題

(3)「同和」奨学金返還問題について

(4)事前登録型本人通知制度について

 

.多文化共生社会を目指して

(1) 多文化共生の現状

(2) 多文化共生社会実現のために

 

.人権確立に向けたこれからの運動展開

(1)東アジアの現状

(2)民衆の連帯と平和への志向

 

5.教育をめぐる状況

(1)京都市小学校同和教育研究会より

(2)京都市立中学校教育研究会人権教育部会より

(3)京都市立高等学校人権教育研究会より

 

はじめに

私たちの人権交流京都市研究集会は、今年で50回を数えました。

1回の部落解放研究京都市集会は、19702月に開催されました。メインスローガンは「部落問題をみんなのものに」であり、部落差別の解決のためには、市民一人ひとりが自分の問題として取り組むことが大切であることが、当初から自覚されていました。第10回までは同スローガンで開催され、市民、行政、教育現場へと大きな広がりをつくっていきました。第11回から19回は、「部落問題の解決をみんなの力で」のスローガンの下、それぞれの現場での具体的な実践が図られました。

20回からは、「差別を許さない行動の輪から、人権の町づくりを」というスローガンが掲げられ、「まちづくり」を主眼とする中で、さらに広範な市民と共に具体的な取り組みが目指されました。

そして、2008年の第39回目からは、これまでの研究集会の成果・実績を受け継ぎながら、より幅広く、さまざまな人権課題に取り組む人々との交流・相互理解・連帯を深め、共生・協働の社会創造をめざす市民集会として、名称を「人権交流京都市研究集会」へと改め、さらに11回を重ね今回に至りました。

1回集会の背景には、前年にあたる1969年の「同和対策事業特別措置法」制定と、その具体化を求める運動と社会の状況があり、期しくもこの度、50回を迎える私たちにとっても、201612月に制定された「部落差別解消推進法」の具体化がテーマとして存在することは、この人権課題の解決が容易ではないことの証左として表れています。また、そのことは、「事業法」として制定された「特別法」が、地域の住宅や施設の建設等へ予算化され、一定の改善をみたものの、社会の側の意識を大きく変えるには至っていないことも示しています。部落差別解消推進法は、期限の定められていない理念法でありますが、だからこそ教育、啓発の分野における息の長い取り組みが求められています。まさに、部落問題、そしてマイノリティの人権問題とは、被差別当事者だけの問題ではなく、「みんなのもの」であるというスローガンは、今日的に意義を持った主張だと言えるでしょう。私たちはこれからも、諸先輩たちが積み上げてきた運動と研究の遺産を引き継ぎ、様々な人権課題を抱えている人々と連帯し、交流を続けていきたいと思います。

1.私たちを取り巻く情勢と課題

 

(1)天皇の代替わりと私たちの「時代」

 年末年始にかけ、この春に予定されている天皇の代替わりにともない「平成最後の〇〇」という言葉が、報道その他、多くの場で飛び交いました。201688日、現在の天皇はビデオメッセージにより広く国民に向け退位を表明しました。皇室典範に「天皇退位」の規定はないものの、国民世論の広範な支持をもとに特例法が定められ、今年430日の退位が決定したのです。そのことにより「元号」も改定されるわけで、新しい「元号」への興味もまた掻き立てられています。しかし、元号の変化がすなわち時代の変化であるということができるのでしょうか。時間を「天皇の世」で恣意的に区切ることは、日本の国だけに通用する観念であり、決して根拠のある時代把握とは言えません。

 昨年の、第49回人権交流京都市研究集会では、「日本国憲法と部落差別」というタイトルで、元大阪市立大学教授の上杉聡さんにご講演をいただき、「法の下の平等」をうたった憲法14条の成立過程を1946年当時の帝国議会議事録等を通して追うことで、だれひとりとして「差別されない」とする規定が、決してGHQに押し付けられただけの条文ではないことを学びました。では一方で、「皇室典範」の成立とは、どのようなものだったのか、今回の基調で振り返ってみましょう。

 憲法が第二次世界大戦終結以前の「大日本帝国憲法」とそれ以降の「日本国憲法」と新旧あるように、皇室典範もまた旧「皇室典範」と現「皇室典範」があります。大きな違いは、旧典範は、天皇が制定した欽定憲法として扱われていたのに対し、現典範は「日本国憲法」の下位にある通常法であり、国会によって制定されたということです。また皇位継承の規定および皇族の範囲を、「庶子(側室による婚外子)」を排除した嫡男系嫡出の子孫に限定したことと、親王・内親王の範囲が狭められましたが、その他は旧「皇室典範」の規定を概ね踏襲しています。

 江戸幕府を倒した明治新政府は、明治維新により、天皇中心の中央集権国家で、祭政一致・天皇親政の太政官制という政治機構をこの国の形としました。江戸末期に欧米諸国と結んだ不平等条約を改正すべく、明治政府は積極的に文明開化をとなえ、資本主義の発展をめざしますが、その前提となるキリスト教的「平等」を、天皇のもとでの「一君万民」に求めたといわれます。

  1889年(明治22年)の大日本帝国憲法および皇室典範発布に至るまでに1875年以来、4つの草案が作成されています。驚くべきことにそのうち3つの草案において、「女性天皇」が認められています。当時、おそらく参考にしたであろう「オランダ王国憲法」の条文に、「王の男統なきときは、王位その長女統に伝ふ」とあることが指摘されています。この第一次草案の起草中心者は元老院議長有栖川宮家熾仁親王という皇族であり、その中から、女性天皇容認の案が出されていたことは、記憶されて良いでしょう。むしろ旧士族で構成されていた政府の中に、女性蔑視の考え方が幅を利かせていたのでしょう。最終的には、井上毅という司法省ブレーンの意見が取り入れられ、男性・男系の世襲に限られることとなりました。そのかわり、世襲の安定性を担保するためには「庶子」の世襲が認められました。実際、「皇后」が男子を確実に出産するとは到底言えず、明治、大正の天皇も、「側室」の子どもでした。女性天皇と側室制度を否定してはこれまでの天皇制の存続はあり得なかったことでしょう。(参考文献:「天皇家の掟『皇室典範』を読む(祥伝社出版)」鈴木邦男、佐藤由樹著)

  皇室典範は長い系譜の中で明治政府により初めて、その引き継ぎが明文化されたものでした。だからこそ、当時、むしろ今よりももっと自由な論議が交わされたということが重要です。女性天皇を認めないとする論拠も、「女性天皇はあっても女系天皇はない」「配偶者たる男性の野心を危惧する」等々、現在の議論とほぼ変わるところはありません。そうすると、大きな戦争を挟み、天皇の世代が変わり、時代が変わったという私達の認識についても、本当に民主化が進んだのかと、疑問が生じてしまいます。

  しかし、だからこそ、天皇自らが退位を希望し、それが皇室典範の規定を超えて叶ったということの意味は、功罪取りまとめて画期的だと言えるでしょう。「功」とは、天皇が人である限りその地位(職務)について選択(退職)の自由を行使できるはずという、当たり前のことが実現したこと。「罪」は、主権であるところの国民の(国会による)議決に天皇の意思が先行したことは、立憲主義の現行法に照らして適法だったかどうかが曖昧な点です。

(2)皇室典範の「民主化」と人権

  一方で、現在の「日本国憲法」を敗戦によって押し付けられたものだとして改憲をもくろみ、「帝国憲法」の規範を復活させたいとする保守勢力が、天皇家の存在を利用する態度は批判されなければなりません。むしろ現行憲法に記された人権規定がもっと私たちの生活に生かされなければならないのであり、そのためには、皇族の生活があまりに「憲法の人権規定」からかけ離れていることは、問題です。自由な外出が許されないばかりか、皇太子妃には男子の出産が強制されるなど、理念と現実に過剰な矛盾を担わせているがんじがらめの現状は、放置すべきではありません。同時に、彼らの存在が総意としての象徴とされている以上、国民の側も、その規範に引きずられる傾向が否めないのです。ある職務からの女性の排除。長子相続という兄弟姉妹間の序列。さらには皇室典範に規定されている、天皇に障害があると判断されたときに摂政を置くという規定は障害者差別であるし、嫡出規定は婚外子差別であり、血筋の尊重は優生思想につながります。「時と場合によって」はそうした人権侵害が容認されるという事実が、この国の人権基準が一定以上進まないこととつながっています。そうだとすると、皇族に関わる規則である「典範」の民主化は「国民」の側にとっても無縁ではないということです。憲法で規定されている人権規定と現皇室典範との整合性をはかっていくことは、本来「皇室典範」が一般法となっている現在、立法府と私たち市民の責任だといえます。

これまで「天皇制の民主化」に関しては、リベラルな層は、女性天皇に関しても、「天皇制の継続に寄与するだけだ」と歯牙にもかけず、保守的な層は、戦前の「男系男子にこだわり変わることを望まない」という現状があります。しかし、欧州での王室制度がある国々、イギリス、スペイン、スウェーデン、オランダなどは、国連女性差別撤廃条約を機に女性の王を容認する改正が、1980年代以降次々に実現しています。世界における人権基準に抵触することは、王室の「平和への志向」にも逆行し、「伝統の維持」にも不都合であると判断されたからでしょう。

  究極的に言えば、部落解放運動は、「貴あれば賎あり」とする松本治一郎の言葉通り、その権威の「世襲」を否定する立場にあります。しかし、天皇制の廃止が、憲法改正をともない、一朝一夕には進まないとすれば、逆に私たちに適用される民法、刑法などの一般法を改正し、人権状況を高めていかなければなりません。個人の尊重という憲法の人権規定を遵守し、例えば、戸籍制度における「家族登録」や男性を「主人」と思わせる筆頭者の制度を廃止すること。婚姻制度を軸とした硬直した「嫡出規定」などの民法を改正するなど、国際的なスタンダードに合わせていくことが重要となってきます。また、人権侵害救済法や人権委員会の設置等、国連から何度も勧告されている人権に関する法律を早期に制定することも忘れてはなりません。

諸外国との交流を制限されていた一般民衆が黒船と不平等条約に狼狽したところから、中央集権的な天皇像を作り出し、その像に依拠せざるを得なかった時代と、今現在は違うのだということを、政治家も市民もごく当たり前に認識し、自分たちが時代を作って行くのだとの気概を取り戻さなければなりません。天皇の代替わりというこの時期において、自由で闊達な議論の下に、天皇制の在り方を考えることに意義があります。

 

2.福祉で人権のまちづくり

(1)教育・保育の課題と人権条例に向けて

 京都市では昨年71日から「ヘイトスピーチ解消法をふまえた京都市の公の施設等の使用手続きに関するガイドライン」が施行されました。これはヘイトスピーチ解消法を踏まえて、差別的言動が行われるおそれがある場合に、管理者が使用制限をする規定です。先行して京都府が同様の「ガイドライン」を策定していることもあり、同一対応を図ることで効果を高める狙いがありました。部落解放同盟は、ヘイトスピーチ等を許さない団体と共闘して、さらに実効性を高めるため府内の全ての自治体に同ガイドラインの策定を求めてきました。その結果、首長からは住民への周知期間を経て新年度、もしくは今夏から施行すると表明されました。このように府市の取組が府内全体に広がっていくことは評価できます。

 また、昨年1210日、70年前に世界人権宣言が国連総会で採択された記念すべき日にあわせて、京都市は、1982年水平社創立60年を記念して建てられた「全国水平社創立の地」記念碑に、あらたにステンレス製の説明板を設置しました。岡崎公園ロームシアター敷地内にあるこの記念碑は、京都市立芸術大学の佐野賢さんが、新しい歴史のページを開く姿を具象化し制作されたもので、全国から修学旅行生も見学に来て記念撮影をするなど、人権研修に役立てられています。

 このように人権に関する状況が、少しずつ好転したものの、「部落差別解消推進法」に関わる条例制定には、なかなか結び付きません。全国では大分、高知、東京等で「差別解消」や「人権擁護」の条例制定があいついでおり、国の「人権救済法」が進展しない現状で、地方自治体からの具体的な取り組みが一層求められています。

「部落差別解消推進法」「障害者差別解消法」「ヘイトスピーチ解消法」の人権三法は「被差別当事者」への施策や対策を行うものでなく、当事者ではない一般市民への対策を目的とした法律です。たとえば、「障害者差別解消法」は、健常者中心の社会において、健常者が「障害者」を見つめる眼差しが障害者の生きづらさを感じさせていることを踏まえ、障害者は特別の者とする社会の有り様を本気で変えようとする法律です。「部落差別解消推進法」も同様に、部落出身者が出自をカミングアウトしても生きづらさのない社会や市民意識を醸成することが求められている法律なのです。

 これらの法律は罰則規定や財政的規定のない法律であっても、自治体の首長の姿勢が市民意識を変えることができます。たとえば、京都市では2000年に「循環型社会形成推進基本法」が制定されたのを契機に、ゴミの再資源化にむけてゴミの有料化と分別ゴミの協力を全学区・全市民へ説明会を行いました。当初「有料化反対」「分別は手間がかかる」などの一部反対の意見があったものの、今では、市民のゴミ分別化や有料化は定着しています。厳しい罰則規定がある法律ではありませんが、首長の信念が市民の心や態度を動かし社会に秩序をつくってきた実践例であります。人権三法についても先の実践から「法律は人の心を動かし」「法律は人の態度を変え」「法律は社会に秩序をつくる」ことを証明したものであり、私たちは、今後も訴え続けていきます。

さらに、国会に上程されている「LGBT法案」「手話言語法案」等は差別意識と社会を変革させる法律であり、制定を実現させる取り組みは重要です。そして、人権侵害を救済する「人権侵害救済法」や「差別禁止法」などの包括的な法整備も進めていかねばなりません。

他方、学校では、子どもたちだけでなく保護者を対象にした取り組みも重要ですが、「人権教育の授業を参観してその後、懇談会」という形式を採用する学校が多いということで、もともと意識が高く教育熱心な保護者に、知識や情報が偏ってしまうという難点があります。教師への人権研修や人権教育の授業に関しても、特定職業従事者という自覚が不十分なまま、それぞれの学校まかせではなく、京都市教育委員会として、積極的に状況を把握する必要があります。

 保育に関しては、昨年7月、部落解放同盟京都市協議会の部会で論議がされました。市営保育所の在り方として、1行政区に1つの公営保育所という方針を運動の側が認識していたところ、崇仁保育所の移転にともない、下京区の保育所がなくなるという現状です。移転先が元六条院小学校の一部跡地であり、保育所の名称からも「崇仁」が消えてしまうことは、地域が否定され故郷が失われるような思いがあるとの表明もありました。

 そもそも京都市営保育所は隣保館よりも早く、1919年(大正8年)に全国に先駆けて被差別部落の幼児教育や父母の教育を目的として開設されました。1936年に託児所と家事見習所を統合して隣保館が設置されたのです。その隣保館も、2002年に名称をコミュニティセンターと変え、現在は、いきいき市民活動センターとなって民間委託で運営されています。保育所は、地域の母親がかつて通った場所でもあるため、子育てや様々な生活の悩みなどを保護者が相談する場ともなっていただけに、地区から離れ、なくなってしまうことに不安を抱える人も多くいます。京都市の保育行政における人権保育において、利用する保護者等に対し、こうした地域の歴史を伝えることも大切です。

 

(2)人権のまちづくりと地域共生社会の課題

1969年(昭和44年)「同和対策事業特別措置法」が公布・施行されて50年を迎えました。当時、市内の同和地区は共同水道、共同便所、雨漏りのする不良住宅、生活困窮世帯、高校進学率の低さ、多くの不安定就労者などの厳しい生活実態がありました。法的根拠により各地では改良住宅の建設が始まり、次々と整備される住宅にトイレや台所が設置されていることへの喜びの声が、あちこちの住戸から聞こえてきました。

環境改善事業は、「同対法」施行10年後の1979年には、「各地区総合計画案」を勝ち取ることによって、各地区に隣保館、市立浴場、体育館、保育所、保健所分室、診療所、児童館、学習センター、福祉センターなどの地区施設が整備され、住環境は大きく改善されました。しかし50年が経過した今日では、その多くが老朽化と狭隘化が著しく、京都市の管理戸数の半分程度の世帯しか入居しておらず、地区施設の用途変更や閉鎖などにより閑散としたまちに変貌しています。地区の改善はされたものの差別の解消までには至らず、今日においては新たなスラム化が進み、同時に部落差別は根強く残り、インターネット上や部落問合せ、土地差別事件などが後を絶たず、社会が私たちを見る眼差しが生きづらさを感じさせる現実があります。京都市が2014年に実施した「人権に関する市民意識調査報告書」でも、約半数の市民が自宅を購入する場合、同和地区や生活困窮者、外国人が住んでいる地域や障害者施設があるところが気になるという忌避意識結果が出ています。

市協まちづくり部会では、自分たちの地域は自分たちの創意と住民の結集による「ムラ自慢、支部自慢」の運動の展開を考えています。そのなかに、障がいのある人や高齢者、ひとり親家庭、生活困窮者などの立場の弱い人に寄り添った福祉施策を活用し人権を視座とした「地域共生社会の実現」と人権三法の理念を据えたものをつくりあげたいと考えています。

 2011年に策定された「京都市市営住宅ストック活用計画」は、2020年にピリオドを打つことになりますが、京都市住宅室は、今の京都市の財政事情で予算の確保は難しいと表明し、その計画を断念して、すでに2021年度に向けた新たなストック計画を準備しているといいます。当初からの計画で、継続活用棟では、国の基準である耐震化率をあげ、エレベーターの設置、住戸内バリアフリー、浴室設置をすすめてきましたが、昨年8月末の達成率は以下の通りです。

市営住宅全体 2011年から2018年現在 ( )内は、改良住宅

耐震化率       5676%(2936%)

EV設置率      5159%(5968%)

住戸内バリアフリー化 4145%(4873%)

浴室設置率      7174%(1825%)

 これから予想される災害や地震などの被害に対して、あまりにも低い達成率であり、障害者差別解消法に示された合理的配慮の不提供が差別であるという考えからすると、エレベーター設置やバリアフリー化の遅れも看過できません。改良住宅においては、浴室設置率がいまだ、非常に低くなっています。

 どれほど切実な要望があったとしても、財政上不可能ということであれば、実現することはありません。そこで、被差別部落の各地域では、自分たちの地区をどうしていくのか、民間を活用した手法も含め、自前で考えていく必要が生じています。

  そこで論議されたのが、公共施設の建設、運営を民間活用するPFI方式の採用や、市営住宅を建設する際に京都市に対して国の補助金が見込まれるBOT方式と呼ばれる手法です。ビルド、オペレーター、トランスファーの略語で、建てて、完備をして、引き継ぐという意味ですが、具体的には、民間の建設会社が市営住宅を建設し、その戸数分の家賃を京都市がリースとして借りる。リース分の家賃は10年間支払うが、そこに国からの補助金が出ます。10年が終了した時点で京都市に建物ごと返してもらうというしくみです。入居者の家賃設定、入居の基準は従来通りで、差額を京都市が支払います。住宅管理は、民間会社が行い、固定資産税も負担するなど、自治体としての京都市の負担を減らしつつ、公営住宅の建て替えを実現するという手法です。すでに八条団地がモデルケースとなっています。

 また、住宅というハード面についてのまちづくりだけでなく、共生社会の実現に関しては、福祉分野での課題にも向き合わなければなりません。昨年41日に施行された「改正社会福祉法」にもとづき、京都市では現在「京(みやこ)・地域福祉推進指針2014」の改訂作業を進めています。国の福祉法改正の背景には、市民がかかえる最近の課題が複合的となり、制度のはざまで社会的孤立を生んでいる状況があります。例えば、介護が必要な高齢者と同居する息子の「8050問題」。子育てと介護の「ダブルケア」。支援拒否「セルフネグレクト」によるごみ屋敷の問題等、家族形態の変化、雇用形態の変化、地域住民同士の人間関係の希薄化などの要因により、適切な支援につながらないケースが増えてきているのです。そこで、これまで高齢、児童、障害等、分野別に推進してきた「縦糸」の体制に、分野を横断した「横糸」をとおすことで、「全世代全対象型」の地域包括支援体制の構築が求められることとなりました。そのキャッチフレーズとしては「我が事・丸ごと」の地域共生社会という言葉が使われています。実現の方策としては、1つには、地域住民の主体的な課題解決力の強化をおこない、地域での見守りの仕組みをつくるといいます。2つめは、地域で解決できない課題は、関係機関が包括的に受け止める仕組みをつくるとされました。以上を踏まえ、京都市は@早期発見・予防的視点 A関係機関の協働 B支援体制の充実という3つの方向性で、骨子案を作成し、今年3月に最終案をかためていくということです。

 地域住民のこれまでの主体的な「助け合い」を尊重しつつ、改正「社会福祉法」は地域共生社会の実現を可能にする主要な柱として、これまでの個人が「支えられる側」「支える側」といった垣根を越えて、地域全体で支える、誰もが当事者として参加・参画できる「場づくり」「人づくり」に重点をおき、その基幹となるのが「ネットワーク」の活性化であります。ただしその場合に、障壁となるのが、心のバリアとも言うべき住民間の「差別意識」や「忌避意識」です。京都市の姿勢は「社会福祉には基本的人権という理念が盛り込まれているはず」ということで、人権が根付くための現場での研修、住民への啓発などの取り組みを、特には設定していません。理念を具体化させる取り組みが皆無であれば社会的マイノリティの人々の生きづらさや住みづらさを解消し、地域共生社会の実現することはほど遠いものになってしまいます。めまぐるしく変化する福祉分野をはじめ部落問題、外国人問題、障害者問題、そこに関わる女性、子ども、高齢者等々複合的な問題や様々な課題における、当事者の深い部分の困りごとを共有するためには、現場の民生児童委員、社協、ボランティア、市職員、市民に対する地道な研修、啓発は不可欠です。

 

(3)「同和」奨学金返還問題について 

  2002年事業法としての同和対策特別法が失効し、部落差別の解決は一般法で目指されることとなりました。京都市では特別であると目される予算の執行はことごとく許されないとされ、2008年の「総点検委員会」では、小委員会が持たれました。背景には、地区の子どもたちの学力向上のため、積極的に活用が促された奨学金の返還に関して、実質給付を保障する「補助金」の支給が違法であると、期間を区切り何度も裁判が提起されたことがありました。33年間にわたる同対法の施行において、被差別部落の親たちの願いは何よりも子どもたちへの教育支援であり、給付としての奨学金制度が1960年代に確立しましたが、国の制度が1982年から貸与となった時点で、多くの自治体が、目の前に見えている子どもたちの学力実態が、そこまで追いついていないとの実感があり、政策として「返還」についての補助を決定していました。京都市も例外ではなく、後の返還に関して「自立促進援助金」制度を確立したのです。しかし、2006年大阪高裁の判決により、2001年以降の借受者に対する援助金の支給が違法であると判断され、制度は廃止。返還が求められるようになりました。その後も借受者の一部からは、返還請求は違法であると今度は逆の立場から裁判が提起されましたが、これも、20154月、京都市側の請求には理由があると判断されました。しかし判決文の最後、裁判長は「借受者」に落ち度はなく、京都市行政に対し「より誠実かつ真摯な対応を一層尽くすべき」との付言をつけました。そして現在では返還請求はされるものの、生活保護の1.5倍以下の収入の人は、申請することで免除されるという制度となったのです。その審査は5年おきとされ返還機関は20年ですから、生涯において4回「同和」奨学金借受者としての通知が届き、収入判定などの手続きがせまられます。今年がちょうど、その第3回目となり、期限である9月までに人権文化推進課の担当が対応します。

 そもそも、親が子どもに部落問題を伝えきれず、自覚がないままに成長した人もいます。また、当事者としてカミングアウトするかどうかは、微妙な課題であり、少なくとも、アウティングという他者からの「暴き」はそれ自体差別であるとされますが、この「免除申請」がそうしたことを誘発しないように、細心の配慮が必要となります。おそらく「自立促進援助金制度」は、そうした危険を回避する意図もあり設計された制度だったのだろうし、実際、京都府においては「償還資金」の名で現在もその奨学金借受者と面談することなく手続きは継続しているのです。同じ京都でありながら、市内の人々にだけ与えられた試練です。20年という長い期間には、これまで対応してきた親が高齢化し、直接本人との面談が求められることもあり得ます。行政には今年の申請手続きにおいてもより一層丁寧な対応が求められます。

 

(4)事前登録型本人通知制度について

 今なお、結婚差別や土地差別に関わって、身元調査や戸籍の不正取得が後を絶たない現状と、それを防ぐための有効な手段として「事前登録型本人通知制度」があることを、前回の基調報告でも述べましたが、昨年12月の登録数は、市内人口140万人中2,845人であり、その比率は0.177%にとどまっています。一昨年の報告で同12月に2,290人、0.162%であったことに比較して、人数にして555人、比率にして0.015%の増加です。京都府内全26市町村においても、11市町村では1%以下とはなっていますが、その中でもダントツに低い割合となっています。一方で、目を引くのが宇治田原町の10.65%という数値です。これは、窓口職員がこの制度について熟知したうえで、住民に対して登録を促す丁寧な説明をおこなった結果といわれています。

 戸籍謄抄本・住民票に記載される個人情報が、第三者に渡ったことを通知されるこの制度は、不正な身元調査の防止だけではなく、個人情報の自己コントロール権としても、プライバシーの保護として、あらゆる市民にとって人権上必要なことであり、京都市は周知に関してもっと工夫をすべきでしょう。3月には自治会の回覧板に情報をのせるとされています。市民の側も一人一人が若干の時間を割いて、登録に足を運んでほしいものです。

3.多文化共生社会を目指して

(1)多文化共生の現状

20181127日「外国人材の受入れ」 に向けて「『出入国管理及び難民認定法』 及び『法務省設置法』の一部を改正する法律案」がほとんど議論もないまま強行採決され、入国管理局から出入国在留管理庁への格上げと外国人労働者を受け入れるための新しい在留資格の創設が決まりました。

この間様々なメディアを通じて、外国人技能実習生の過酷な労働実態に注目が集まりました。周知のように、技能等の移転を通じた国際貢献を目的とする外国人技能実習制度は、実際には安価な労働力を受け入れる経路として利用されてきました。この制度は技能実習生に家族の帯同や転職の自由を認めず、寮という名の居住制限を課し、低賃金・長時間労働・暴行(パワハラ)・セクハラ、制度構造から生じる中間搾取等々、今明るみになっている技能実習生への人権侵害の数々は、労働者としての権利を制限し、生活のあらゆる部分を管理下に置いた上に、病気や事故で働けなくなった者や、抵抗する者に在留資格更新を行わない事による強制追放の暴力的圧力によって維持されています。「人間」を「安い労働力」としてしか見ないこの制度は、「人間」としての暮らしを制限することによってしか成り立ち得ず、「人間」としての移民を「安い労働力」としてしか扱ってこなかったのが、日本の過去 30 年間の「移民政策といえない移民政策」でした。今日本政府は、外国人労働者を正面から迎え入れる施策をとるように見せかけていますが、しかしその中身はまたもや移民(外国人労働者)を「安い労働力」としてしか見ていないものです。

 議論すべきことはたくさんあります。まず第1に、多くの人権侵害を生み出して来た外国人技能実習制度が新たな在留資格受け入れ制度への入り口として維持され続けるのではないかと懸念されています。技能実習制度は直ちに廃止すべきです。第2に「特定技能1号」「特定技能2号」の区別をやめ、就労可能な他の在留資格と同じように始めから家族帯同を認め、永住権申請が可能となる在留資格にすべきです。他の就労ビザの場合5年間就労在留すれば永住権申請資格を得られますが、この制度の場合、永住権申請資格を得るのに技能実習3年+「特定技能1号」5年+「特定技能2号」5年=13年の長期間が想定されています。第3に技能研修生への搾取構造に酷似した受入れ機関や登録支援機関などの仕組みを排除し、新しい在留資格による受け入れを、公正な機関の受け入れのプロセスと企業マッチングによる直接雇用によるものとすべきです。第4に外国人労働者に日本人と同一の賃金と待遇を実質的に保障するためには、労働基準法や最低賃金法の遵守はもとより社会保障の適正運用も民間任せにするのではなく、公正な機関が管理できる態勢を整備するべきです。第5に「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」は、新たな特定技能資格の受け入れのためだけでなく、既に日本社会で就労・居住している外国人労働者や家族も対象にしているものと思われます。この検討と実施にあたっては、在留管理を旨とする法務省入国管理局を格上げさせた出入国在留管理庁に司令塔的役割を与えて、各省庁との連携を図り推進する計画のようですが、実施すべき内容からしてその実効性が疑われます。内閣府もしくは「専門的省庁」を創設してその役割を担う必要があります。第6に外国人労働者が社会の一員として暮らすための体制を整備するためには、家族帯同や日本人と平等の社会保障(健康保険、年金等)等の社会統合(包摂)政策がなければなりません。国籍差別や人種差別の実態を踏まえ、移民基本法・差別禁止法等を制定し、移民の権利保障の体制を整えなければなりません。全国100カ所に多国籍の外国人から生活相談などを一括して受ける「ワンストップセンター」の設置や、124の施策からなる「総合的対応策」案を提示しても、実施に当たる人材やシステム、予算や体制などが圧倒的に不足している状態では「絵に描いた餅」でしかありません。

今までになく移民を受け入れるか否かというと議論が多方面でなされていますが、ある意味不毛な議論だと思われます。何故なら、政府がいくら「移民政策はとらない」と強弁しようとも既に300万人近くの外国人労働者・移民、外国にルーツをもつ人々が居住している現実があります。私たちの社会が直面している岐路とは、過去の在日外国人にたいする差別・排外政策という「過ち」を再び繰り返すのか、それとも現実を直視し、在日外国人が「人間」として暮らすことのできる社会をともにつくる方向に踏み出すのかという点ではないでしょうか。グローバル化が一段と進んだ現代の世界状況下、日本の外国人労働者への人権侵害は、発展途上国労働者の間では悪評判が高く、良質な労働者・人材は、日本以外の先進工業国へ流出している傾向にあります。また、日本への悪感情を抱いたまま帰国した労働者の中から、その国の政治経済の中心的役割を担っている人たちが登場してきていますが、このようなことが進めば進むほど、日本の国際的に占める位置は、低くなってしまうでしょう。

 

(2)多文化共生社会実現のために

 今政府がなさねばならないことは、外国人の処遇に関する基本法の制定です。現在の日本には出入国管理及び難民認定法はあるものの、社会統合の文脈では各地方自治体における多文化共生施策に関わるガイドライン「地域における多文化共生推進プラン」(総務省2006年)の策定・通知による地方自治体・民間団体任せとなっていました。各自治体とも施策の中に「多文化共生」の文言が踊るようになりましたが、一部の外国人多住地域を除いて社会統合政策は進展を見せていないのが現状です。

 比較的日本と似た状況にあった韓国の例を見てみると、在韓外国人の処遇に関する基本法(2007年在韓外国人処遇基本法)や国際結婚家庭への支援策の基盤となる法律(2008年多文化家族支援法)を制定し、さらに出入国管理法内にも社会統合に関する条文が追加される(2012年)など、社会統合政策の展開に向けて法律的根拠を整えてきています。これらの根拠法にもとづいて韓国では、全国200箇所以上に公営の「多文化家族支援センター」を設置(201710月末時点で218箇所:行政から委託)し、また、5年毎の「外国人政策基本計画」策定につなげています。

日本では、2016年に外国人に対する不当な差別的言動のない社会の実現を基本理念とした、いわゆるヘイトスピーチ解消法が成立しました。しかし今後も増加が見込まれる外国人を対象とする諸政策を行うためには、これでは何もできません。根拠法となりうる基本法を制定し入管法に一つの独立した章として社会統合に関する規定を盛り込み、政府として諸政策を統合的に立案・実行できる体制を整えることが必要です。条文中には、外国人に関する政策を専門に扱う協議体や機関の設置、日本語支援や子どもの教育、医療や福祉支援、差別防止や人権擁護に関する規定等が盛り込まれなければなりません。

一般市民としては、外国人の社会統合を進める上で発生する社会的費用負担に関する合意形成が必要になります。たとえばドイツでは、今後1年以上の滞在許可を有する外国人、またはすでに18ヵ月以上の滞在許可を有する外国人に対して、ドイツ語(600時間)とドイツの法律・歴史・文化等(60時間)を学ぶ「統合講習」(計660時間)の受講を法律で定めています。これら統合講習の運用にあたっての教育機関・教師・教材などは、ドイツ政府が規定・監督することで質的保証を図っており公費で運用されています。日本でも日本語習得を外国人の自助努力とせず、その教育費用等の負担の在り方について検討すべきです。日本語ができない外国人に対する社会統合(包摂)政策を行うことが無ければ、社会的コストを結果的に肥大化させる要因にもなるからです。中長期的視点に立ち、現時点から一定の公費(税金)を投入しなければなりません。日本語習得にとどまらず、外国人の社会統合を目的とした公費の使い方について、国や地方自治体(行政)任せではなく、受け入れ側住民となる、私たち一般市民一人ひとりが考えなければならないことです。外国人に関わる政策(とくに社会統合政策)は、各種政策(教育、医療・福祉、産業、雇用・労働、防災等々)にわたる社会全般を横断するテーマです。今までになく外国人労働者の移住が議論されている今こそ、社会に変革を起こすべき時ではないでしょうか。

さらには我々の日常生活に存在する「差別・排外主義」を克服してゆかねばなりません。国連・人種差別撤廃委員会は 2018 8月、人種差別撤廃条約の実施状況に関する日本報告審査を行い、審査結果を発表しましたが、その中ではオールドカマーに対する@永住権者の参政権問題、A公務員差別問題、B無年金差別問題、C朝鮮学校差別問題、Dみなし再入国許可問題(特別永住者は出国の際に,出国後2年以内に再入国する意図を表明する場合は,原則として再入国許可を受ける必要がないが、朝鮮籍者には適応されない)などが指摘されています。またニューカマーに対しては@移住女性に対する暴力、A外国人技能実習制度、B難民および庇護希望者、C移住者の状況、Dムスリムに対する警察の監視と情報収集、E人身取引、F未批准の人権条約(「移住労働者権利条約」「雇用及び職業についての差別待遇に関する条約」(ILO111号)の批准、などが指摘されています。これら国連・人種差別撤廃委員会が指摘している諸問題を早急に解決し、日本社会全体の問題として外国人や外国にルーツを持つ人々に対する差別・排外主義を克服する努力と施策がない限り、多文化共生社会の実現は困難と言わざるを得ません。近年差別と排外主義に晒され貧困と苦難の生活を強いられてきた外国人労働者の中から、自分の負ってきた経験を活かし自ら労働組合の幹部となり外国人労働者を支援する活動をしている人や、日本語教育をはじめ保護者と学校や社会の橋渡しをしている外国人の当事者たちがいます。彼らを孤立させず連帯の輪を広げ、日本社会が他者の違いを認め尊重する真に開かれた多文化共生社会を築かねばなりません。私たちは、政府や地方自治体に対してはもちろん、日本社会の構成員一人一人に日常的にこれらのことを訴える努力をしていきたいと思います。

4.人権確立に向けたこれからの運動展開

(1)東アジアの現状

 昨年の東アジア情勢は、まず朝鮮半島において427日に歴史的な南北首脳会談が板門店で行われ、親子ほども年の離れた文在寅大統領と、金正恩委員長のにこやかな会談風景は一昨年には緊張状態にあった朝鮮半島が雪解けムードに包まれたことを世界に発信しました。その後も2回の会談がおこなわれ、現在、南北を分断する38度線に、韓国、北朝鮮双方が設置した兵器や詰所、壁などが取り払われています。韓国政府は今年1月に発表した国防白書で、北朝鮮を敵とみなすことを24年ぶりにやめるとしました。

また、昨年617日には金正恩委員長と米トランプ大統領との会談が実現し、米韓合同軍事演習も最小限に抑えられています。ただし、その後は非核化や経済制裁解除をめぐり膠着状況が続き、次回首脳会談に向けた協議が進められています。また、そうしたアメリカと北朝鮮との攻防をめぐり、中国と北朝鮮との和解も進み、国連の経済制裁決議の履行により、両国の貿易額は減少しているものの金委員長はたびたび訪中して、アメリカとの関係で中国を頼っています。今後も南北朝鮮と米中による平和プロセスへの努力が求められ、最終的には朝鮮半島の終戦宣言がめざされています。日本もまた、東アジアの一員としての責任において、柔軟な態度で役割を果たしていかなければなりません。沖縄辺野古の米軍基地建設は、海底の土壌が液状化している事実が発覚し、本来であれば計画の見直しが必要で、環境保全も進んでいません。しかし、政府は反対の民意にも一切耳を傾けず、強行する姿勢を崩しません。また、米軍機が搭載可能で、集団的自衛権行使に抵触する護衛艦をアメリカから購入し、今後5年間の中期防衛力整備計画では27億円もの予算を計上するなど、アジアの国々にとっても、日本の民衆にとっても、不安を引き起こす原因となっています。

世界経済第2位の大国となった中国では「中華民族の偉大なる復興」「強国、強軍の夢」をスローガンに習近平総書記の権限を強めています。2021年の中国共産党創建100周年を前に、本格的に台湾問題の解決に挑んでいるといわれています。しかし、昨年7月からアメリカの対中輸入関税引き上げを皮切りに、激しい貿易摩擦が生じています。中国も一歩も引かず、互いに第2弾、第3弾と追加関税をかけあい、エスカレートしています。世界は「米中新冷戦」に突入するのかとの危機感を強めています。

(2)民衆の連帯と平和への志向

「平成」が30年で終わりを告げるという時代認識でいうと、30年前の1989年はドイツを東西に分けていた、冷戦の象徴である「ベルリンの壁」が市民の手によって倒された記念すべき年でした。その後、1991年にソ連が崩壊し東西冷戦は終結したのです。世界が真の平和に向けてスタートを切ったかに思われました。しかし、時代は一巡し、グローバリゼーションの影響で、人、モノ、情報の流通はかつてないほどの勢いとなる一方で、格差や社会的排除も進行し、保護主義や、一国主義、国粋的な勢力も台頭しています。

しかし、国境などは容易に超えて進出する企業群は、例えば一つの製品に関して、原料の調達、部品製造、組立、販売が別々の国であったりします。それぞれの国の利益は、一国だけに集約できるものではなくなっています。米中の関税の掛け合いも、それぞれの国の企業の業績を悪化させるだけでしょう。

また、環境問題一つをとっても、例えば海中に漂うマイクロプラスチック問題などは、地球規模での対策がどうしても必要となっています。空気中の二酸化炭素の増加による温暖化、それによってもたらされる災害もしかりです。そうした世界の現状を解決するために、国連が主導しているのがSDGsの取り組みです。これは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称で20159月の国連サミットで採択され、国連加盟193か国が2016年〜2030年の15年間で達成するために掲げた目標です。

貧困や飢餓、社会的不平等や教育、エネルギー、経済成長、平和と公正などについて、包括的に取り組みを進めようと呼びかけているのです。2030年という時期を区切って目標を設定するということは、逆に世界の状況がこのまま放置すれば、取り返しのつかない状態に陥るだろうということに、国連として相当の危機感を持っている証だと言えます。実際、国のレベルでも、地域のレベルでも、そして個人の暮らし方のレベルに関しても、互いが互いに対して無関係ではいられず、互いが互いへの責任を負っているのだということがますます明らかになっています。そのことを自覚することが、人権尊重の大切な意味合いなのだと考えます。

本年の第50回集会での全体会では、「水平運動と朝鮮衡平運動〜東アジアの交流と連帯そして今〜」と題してのシンポジウムを開催します。100年近く前に、多くの困難を抱えつつ、連帯の模索があった民衆の生き生きとした姿を共に学ぶことで、未来への展望を切り開いていきたいものです。

5.教育をめぐる状況

本集会は50回目を迎えますが,ここ数年「いじめ」「子どもの貧困」「性的マイノリティの理解」など,人権について考える内容は,多様化しています。また若手教職員が増加する中で,これまで人権教育が培ってきた「差別の現実に深く学び,生活を高め,未来を保障する」という考えをどのように継承していくのか,10年後・20年後を見据えた人権教育の必要性がますます高まっています。

20年後,30年後には消えていく職業が多いといわれている時代,教師はその中には入っていません。仮に教師の仕事が教科を教えることだけであれば,消えていく職業の1つになっているかもしれません。だからこそ,心を耕したり鍛えたりしながら,仲間作りを重視しながら行ってきた人権教育が重要だといえます。

1964年「教育の全分野において,それぞれの公務員がその主体性と責任で同和地区児童生徒の学力向上を至上目標とした実践活動を推進する」といった京都市同和教育方針が策定され,洛東中・近衛中の2会場で,学力補充を目的に,中学校3年生を対象に「進学促進ホール」が開設されました。また1971年には各地区で,学習の拠点としての学習センターが建設されました。さらに,家庭訪問を通して同和地区児童・生徒の家庭における学習点検を進める家庭学習の習慣化を目指した取り組みや,学習センターでの体験的な学習を通して幅広い学力の定着・向上を目指した取り組みも積極的に行われました。

この結果,1973年には,高等学校進学率が京都市平均93%に対し同和地区生徒は92%とほぼ肩を並べるまで上昇しました。

このように,同和関係校を中心に,「学力向上を至上目標とする」同和教育方針の理念のもと,「自立の促進」と「格差の是正」を期して,同和地区児童・生徒の学力保障・学力向上の取り組みが進められました。

小学校では,「研修室」または「教科別プロジェクト」といわれた同和関係校の教科主任が集まり,学力実態調査の結果をもとに授業改善の活動,34年生を学力格差の拡がる起点と捉えた「中学年対策」や学力的に最も焦点をあてるべき同和地区児童に,年間を通じて個別の取り組みを計画的・継続的に行う「基礎学力定着対策」等も実践された。その他,家庭訪問を通して同和地区児童の家庭における学習点検を進める家庭学習の習慣化を目指した取り組みが行われた。

同和教育施策の取り組みは,法律があるから,施策として教育委員会から指示・指定があるから取り組んだということも確かにありました。しかし,その実践は,目の前の子どもたちの実態から始めるという,子ども主体の取り組みであり,具体的に同和地区児童・生徒が変容し,成長を遂げ,確かな成果を生み出した時に,当時の教員には,決して「やらされ」感はなく,施策という枠組みの中なりに,各自が創意工夫して,先進的な取り組みを積極的に進めていたのです。

そして,法の時代が終わり,同和教育施策が様々な一般施策に移行していく中で,学校教育の中に,同和教育で行ってきた実践を継承していくことが大切であると考えました。それが「一人一人を徹底的に大切にする教育」として京都市の教育の根幹をなす理念へと継承されてきました。これからも「同和教育の成果を基盤として,すべての児童・生徒にあらゆる人権問題解決への基礎を培う教育」を行っていく必要があると思います。

 

(1)京都市小学校同和教育研究会より

 ここからは小学校の取り組みについてみていきます。同和関係校としての取り組みは法期限後の経過措置の間に終息していきます。また法期限後は「同和関係校」という枠組みがなくなり、2003(平成15)年,同和地区を含む小学校が初めて閉校し統合されたことに続き,様々な地域で閉校,統合は進みました。そして,今年度末,北区の楽只小学校が閉校します。

戦後の京都市同和教育の取り組みを振り返る時,1951(昭和26)年のオールロマンス事件,1964(昭和39)年の同和教育方針等の事象や同和関係校の実践から学んできた経緯がありましたが,「同和教育における生きた教材とその足跡」が次々と消失してきているのです。

小同研では,楽只小学校が閉校するこの年度当初の総会・研修会で,8年前に閉校した崇仁小学校の最後の校長.走井徳彦先生をお招きし,「同和教育の伝統を次代へつなぐ〜崇仁小学校の閉校と統合の取り組みから〜」と題した講演を行い,同和教育の取り組みが全面展開していた頃の学校や地域の様子,閉校と近隣の小学校との統合に向けた取り組み及びその中での苦労について学びました。その中で「崇仁小学校と楽只小学校には,共通点がある。」と述べられました。崇仁小学校の創立に関しては,1873(明治6)年9月に開校した柳原小学校の学校創設・教育の振興に,地元の名士として,桜田儀兵衛の功績を挙げられました。儀兵衛は地元の貧民救済に家宝を売却して給付金を出し,倉庫を開放して救助を行い,柳原小学校の建設に土地を提供しました。楽只小学校の創立に関しても同じ1873(明治6)年4月,地元の名士,益井茂平が父,元右衛門(がんえもん)の開いていた私塾を発展させ,私財を投じて校舎を建て書物を集めて教育に取り組み,楽只小学校の前身である蓮台野小学校の初代校長となりました。そして,両校とも創立は,被差別部落の中で開校し,同和教育の取り組みを地元と連携協働して,京都市の先頭に立って推進した学校であることを強調されました。

 そんな楽只小学校が,145年の歴史に終止符を打ち,来春3月に,その伝統ある教育の営みに幕を閉じます。明治時代,学制が発布される前に,部落の名士が,自らの私財を投じ私塾を開き,次世代がそれを拡充発展させて,番組小学校とは別に部落の中に校舎を建設し,その後,蓮台野小学校として創立開校した楽只小学校。大正期から戦前にかけては,水平社創立時の初代委員長が誕生した地元でもあり,全国的にも同和教育を先頭に立って進める学校として存在しました。そして,「同和教育方針」「同和問題対策審議会答申」「同和対策特別措置法」等の市・国レベルの行政的な大きな動きの中で,楽只小学校は,同和地区児童生徒の学力保障・進路保障の取り組みを精力的に進め,「反差別の連帯」の考えのもと,「あらゆる差別の解消と人権の確保」をめざした先進的な人権教育の取り組みを実践してきました。一定の成果を見た時期に,「施策の選択」「同和教育施設の共同利用」「同和教育施策の一般化」等を全市の先頭に立って進め,「同和教育の普遍化」に果敢に取り組んだ楽只小学校の功績は,一言で評価できるものではありません。

 

 その楽只小学校をはじめ「同和関係校」の長きに渡る歴史と伝統を,これからの教育に確かに位置づけていくことが重要です。新学習指導要領完全実施を目の前に控えた今,これまで連綿と続けてきた同和教育・人権教育の理念と実践に基づく学校文化を再確認し,従来から育まれてきた歴史・伝統と融合させ,新たな次代につないでいくことができる人権文化を構築していくことが望まれます。 

 


※学習指導要領とは …  学習指導要領は,学校教育法第1条に規定する学校(いわゆる一条校)のうち,小学校,中学校,義務教育学校(前期課程・後期課程),高等学校,中等教育学校(前期課程・後期課程),特別支援学校(小学部・中学部・高等部)の各学校が各教科で教える内容を,学校教育法施行規則の規定を根拠に定めたもの。

1947年に作成されて以来,ほぼ 10年に1度の割合で見直しおよび改訂が行われている。

 

(2)京都市立中学校教育研究会人権教育部会より

 

さて中学校でも,同和教育を基盤にすえて人権教育を実践してきました。学力向上を至上目標として「学力保障・進路保障」に取り組んできました。その背景には,同和地区生徒に問題があったわけではなく,社会に,そして私たちの認識に問題があったのです。社会,そして私たちの認識を変えていくために,「同和教育」が実践されてきました。

同和地区生徒の生活環境が改善されず,教育を受けることが不十分であったことからおこった,「今日も机にあの子がいない」という状態から,学校へ行けるようにする取り組みが始まり,教科書の無償化運動や夜間の「補習学級」「進学促進ホール」が実現しました。その結果,同和地区生徒の高校進学率が上がるなど一定の成果は出ましたが,高校の中退率や非卒業率に関しては課題が残りました。さらに,就職や結婚の場面において差別に直面し,挫折することもありました。

そこで私たちは,子どもたちに社会の矛盾を読み取り,判断し,展望を持つ力を身に付けてほしいと願い,行動しました。その中で同和教育が大切にしてきたことは,読む・書く・話す力の向上が,思考し,創造し,表現する力へと発展していくのだということでした。これを「生き方にはたらく力」といってきました。この力は単なる学力向上だけでは身に付けることができないものです。中人研では,「学校教育の根幹に人権教育を据え直す」ことを考えています。その理由は,「生きる力」という言葉の中に「生き方にはたらく力」という意味が含まれているはずでしたが,その意味合いが薄れたのではないかという危機感があったからです。

今も同様の危機感があります。「主体的・対話的で深い学び」という言葉(以前はアクティブラーニングともいっていた)があります。「主体的・対話的で深い学び」の手法は,以前から,私たちが大切にしてきた人権教育の在り方です。自らの体験などを自分の思いとして相手に伝え,聞いた側も思いを伝える。その伝え合いを通して,自分のことにしていく。そうすることで,差別をしない,させない,見逃さない集団・仲間が作られます。もっといえば,「主体的・対話的で深い学び」を進めるためには,単なるグループ学習の集団・仲間ではなく,喜びや悲しみを共有でき,お互いを認め合える本当の意味での「仲間づくり」こそが,重要と言えます。「生きる力」や「主体的・対話的で深い学び」は大切です。しかし,これが単に狭義の学力を上げるだけのものになっていないでしょうか。子どもたちが,自らの豊かな生活を阻む壁に立ち向かい,それを打ち破り無くしていくことを目的とした学力が今こそ必要だと思います。だからこそ,「仲間づくり」をキーワードに,人権教育をより一層進めていきましょう。                     

                      

さて,昨年は世界人権宣言から70年の節目でした。中人研では今年度「平和教育」を人権課題の1つとして取り上げました。国際連合は,平和の実現のためには人権の保障が必要であり,平和の実現なくして人権も保障されないとの考えのもと,基本的人権尊重の原則を定めた「世界人権宣言」を19481210日に採択しました。第二次世界大戦では,多くの一般市民が戦争の巻き添えになりました。当時,多くの教師が「国のために命を投げ出すことが正しい」と教え,多くの若者が戦場で命を失いました。戦争のために命をささげるのはおかしいと意思表示をした人々もいましたが,そういった人々は徹底して弾圧されました。「戦争は最大の人権侵害である」。その人権侵害をなくすために何が大切か。沖縄をテーマに考えたいと思います。

沖縄には「差別」を受け続けてきた歴史があります。2016年,沖縄の人々に対して「土人」という差別発言がありました。あるジャーナリストは,「今でも歴史的に差別が続いており,これから沖縄は本土と対等に向き合い,差別する側の意識を変えることが問題解決につながる」と訴えています。沖縄の問題も,「自分とは関係ない・関わりたくないという」気持ちを周囲がもつことで,本人がどうしようもないことで不当な扱いを受けていること自体が差別だといえます。

現在,京都市の中学校で沖縄に修学旅行へ行く学校は増えてきています(以下のグラフ参照)。

何を目的に,沖縄に修学旅行へ行くのか

(沖縄修学旅行実施校にアンケートした結果から)

 

 1位 平和学習   2位 民泊   3位 自然  

 

 

 

 

 

 


修学旅行で沖縄に行くと,生徒たちは,基地やガマなどを見て戦争を身近に感じ,沖縄の人々と触れ合うことで,大きく変わります。特に民泊で出会ったおじぃ,おばぁとのふれあいは,素晴らしい体験です。別れの場面では,生徒たちもおじぃ,おばぁもお互い抱き合って泣いていることが多いです。見ず知らずの人間が,たった一晩,その温かさと触れ合うだけで家族となるのです。沖縄の人々の温かさが生徒の心を揺さぶったのです。

これほどの温かさが沖縄の人々にあるのは,戦争の体験があるからです。恐怖心の中,真っ暗なガマで身をひそめて過ごした日々。仲間と協力しないと生きていけない現実があったはずです。一方で,ひめゆりの塔に代表されるような学徒出陣の現実,ガマでの集団自決などは,これが正しいと押し付けられた仲間意識,それを信じざるを得なかったことで起きた悲劇ではないでしょうか。沖縄の人々はその反省に立って,素晴らしい仲間づくりが大切だと感じたのだと思います。沖縄の人々は,「ともに過ごし,心を通わせることを通じて,つらい思いや差別され続けている現状を変えてきた歴史があります。

生徒たちは,ガマで戦争の恐怖心を学び,民泊で人の温かさを感じ,仲間の大切さを学ぶのです。このように現実から学ぶ平和学習は,まさに人権教育を基軸とした教育活動に他なりません。人権教育は,自分のくらしをみつめ,思いや願いを綴り,語りあうことを通して豊かな自主活動・確かな学力保障を目的としています。これからも「仲間づくり」をキーワードに人権教育を進めていきましょう。

 

 

(3)京都市立高等学校人権教育研究会より

 

高等学校では,小学校・中学校の取り組みをふまえて,これまでの同和教育や外国人教育における研究・実践を活かして,新しい人権問題にかかわる諸課題に積極的に取り組み,学校現場における人権学習や人権啓発のさらなる充実と推進を図っていくという基本方針のもと,活動を展開してきました。しかし現実の社会に目を向けると,基本的人権の享有・永久不可侵の理念の発展継承を目指して活動の源泉としてきた日本国憲法や教育基本法をめぐる情勢にも昨今大きな変化が生じています。自民党総裁選挙を経て現政権による憲法改正がいよいよ現実化しつつあり,その論議をしっかりと注視しなくてはなりません。またその一方で,いわゆる主権者教育の重要性は言うまでもありませんが,同時に選挙権を有さない外国籍生徒がともに学ぶ教室での主権者教育の在り方に関する議論は十分であるとは決して言えない現状があります。

 

また現在,国内では従来からの人権問題に加え,いじめ問題・DVや様々なハラスメント,ブラックバイト・過労自殺などの労働問題,社会的弱者や少数者に対する排外主義の動き,さらには90歳以上の人口が200万人を突破し一段と高齢化が進むなかで,障がい者介護と並んで高齢者介護の問題など,さまざまな局面でさまざまな人権問題が生じています。またSNSによる人権侵害問題が深刻化しつつありますが,今年8月末に厚生労働省より,ネット依存とみられる中高生は93万人との報告があり,この問題への取り組みが急務とされています。また,台風・地震などの災害の際におこる災害弱者の問題も重要です。

 

一方,国外でも人権に関する新たな問題が発生しています。アメリカ・トランプ政権の発足以来「自国第一主義」「自民族至上主義」的な傾向が世界各地で顕著になっています。民族問題・反政府運動などにより発生する大量の難民の受け入れが世界的な問題となる一方,難民の流入がテロと連動するなどの困難な状況は,難民問題の解決を一層難しくしています。私たちは一刻も早く,民族対立・宗教対立の桎梏から人類が解放される世界を創造していかねばならないと思います。

 

また,日本も東アジア諸国との間の領土や歴史認識をめぐる意見・立場の対立から,互いにネガティブな感情を増幅させ,ヘイトスピーチに見られるような人種差別の感情が再生産される事態になっています。さらに北朝鮮をめぐる情勢は,米朝会談・南北会談を通しての融和ムードが進む一方,朝鮮半島の真の非核化,もちろんその先には全世界の完全な非核化,という人類の悲願が本当に達成されるだろうかという悲観的な見方も消えていません。また最近の米中間で見られるように貿易や経済に関する国家間の対立が激化する例もあります。一方で昨年行われた沖縄県知事選挙で示された沖縄県民の民意からは真の平和を求める人々の意思を強く感じます。沖縄の歴史を直視する姿勢が必要です。基地問題を含めてこうした現在進行中の様々な問題を平和裏に解決できない限り,戦争の火種は消えることがありません。そしていうまでもなく,過去においても,現在および将来においても「戦争は最大の人権侵害」です。私たちは,「戦争の世紀」とまで言われた20世紀の悲劇を,人々の生存権を脅かし踏みにじってしまう戦争の危機を,なんとしても乗り越えるべきだと考えます。

 

このような社会の変動に対応して,人権学習の在り方も変化してきました。今年8月の京都市高人権夏期学習会では人権学習や教員研修のテーマとして従来のテーマとともに,高校生に身近な問題である「ネット社会における人権問題」や,「デートDV防止講座」「LGBT」などの恋愛や性にかかわるテーマについて学んだことが紹介されました。また2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催を機に障がい者スポーツに対する関心も高まる中で,「車いすバスケットボール」の選手による講演・実技・生徒自身の体験を中心とした障がい者問題に関する人権学習も増えてきました。生徒たちは「車いすバスケット」の選手たちの生き生きとした姿に感動し,「中途半端な気持ちで勉強やスポーツをやっていた自分が恥ずかしくなった」「強い気持ちが伝わってきた」と勇気づけられ,さらに身の回りに目を向けたときに「今までなんともなかったちょっとした階段や足場の悪い場所などが大きな障害になる」ことに気づいたりしています。このようにさまざまな視点で人権をとらえなおし,より豊かで質の高い人権教育活動実践の試みが広がっています。

 

私たちは,今日まで同和問題をはじめ,国内外のさまざまな人権問題に目を向け,研鑽と実践交流を積んできました。今後もすべての生徒の進路保障を実現する観点から,各高校での生徒の実態に即した取り組みと実践を交流していきます。そして,あらゆる教育活動を通じて新たな人権学習の創造と研究を推進し,京都市立高校の人権教育の深化に努めるとともに,すべての生徒に対して人権問題への正しい理解と認識を培い,あらゆる差別を許さない人権意識を育成し,多文化共生の視座と寛容の精神の涵養のために,次の五点を重要な課題と位置付けて継続した活動を行っています。

 

 

@ 「日本国憲法」に保障された基本的人権がどのように実現されていくかを学校教育全体の中で明らかにし,「世界人権宣言」・「国際人権規約」に基づく人権の国際的保障が,今なお人類の最も重要な課題であることを理解させること。

A 「子どもの権利条約」の学習を進め,その精神をあらゆる教育活動の中で具体化して

  いくこと。

B 同和問題をはじめとするあらゆる人権学習の指導展開において,近年の研究成果を活かして,これを日本の歴史全体の中に位置づけ,社会の仕組みや発展の仕方を正しく認識させるように指導すること。

C 日常的に身近な人権問題を学ぶことを通して,民主主義や基本的人権の大切さを身につけさせること。特にホームルーム活動・部活動・生徒会活動などの自主活動を積極的に援助して,民主的な組織運営の手法を体験することにより,生きた人権意識を身につけさせること。

D 生徒の人権に対する意識をより高めるために,保護者の様々な人権問題への認識が深まるよう,PTAなどと共同で研修会・広報活動など,啓発をおこなうこと。

 

 そうしてあらゆる人権問題の克服へ向けて,生徒一人一人の人間形成の論理に主眼を置いた活動をさらに進めていきます。そのうえで,積極的に学校内外での教職員研修会の充実を図り,教職員が教育集団として課題解決に取り組めるよう,市高人研代表委員会・学習会などを通じて,各校の交流を深め,創意工夫を重ねた教育実践を展開していきたいと考えています。

 

 このように私たちは,様々な職種において,あらゆる差別を許さないために,過去を振り返り,現実をみつめ,未来を見据えた教育活動を続けています。同和教育から培われたその精神を忘れずにいきたいと思います。

 

 

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