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第57回人権交流京都市研究集会
基調講演
坂田 良久 (世界人権問題研究センター登録研究員)
分科会責任者 川島 浩明 (京都市立中学校教育研究会人権教育部会)
分科会庶務 弓削 雅哉 (京都市立中学校教育研究会人権教育部会)
まず、講演者の坂田良久さんは、本日の演題と共に人権学習のめあてとして「何が正しいのか自分で判断し、自分はどう生きるのかを考えよう。」と提示され、この講演では「誰でも出来る人権学習」の提案を行うことを提示されました。部落差別解消推進法(2016年)が制定され、その目的に『情報化の進展ともなう社会状況の変化を踏まえて、部落差別を解消する法律を制定する』と明記されたように、情報化という社会の変化の中差別事象も変化し、この変化に応じた人権教育が必要であることが確認されました。
講演はまず、「現在の部落差別は、結婚や交際といった場面で出あうことが多い」との実態から、法務省大臣官房秘書課広報室が制作した人権啓発動画「『誰か』のことじゃない。」部落差別(同和問題)編を視聴しました。この動画では、孫が祖母の受けた部落を理由とした結婚差別を知り、驚きと共に自ら部落差別とは何かを学ぶ内容でした。このような、啓発を目的とした法務省の動画は、学校教育においても自由に使用が可能であると紹介されました。坂田さんの人権学習の視点として、「未来を生きる子どもたちに社会を託すための授業づくり」が重要であり「部落差別の実態に係る調査」結果報告書(法務省人権擁護局、令和2年6月)を取り上げ、「交際相手や結婚相手」(問13)について、年齢別では30歳代以下では「気にならない」の割合が70%以上であるのに対し、70歳以上では「気になる」割合が50%を超えることを指摘され、年代によって部落差別の認識に相当の差異が見られることをデータで示されました。しかし、部落差別を「気にしない」若年層であっても、交際や結婚において高齢者から部落差別を受ける可能性の高さこそが、今も部落差別問題の学習が学校教育で特に必要である理由であると示されました。
講演では次に、京都で見いだされた1次資料に基づいた部落差別の通史について説明されました。部落差別とは、「生まれた場所や住んでいる場所を理由に今も差別する人がいる問題」であると捉え、なぜ未だにこだわる人がいるのかを理解するために、歴史を知る学習が必要であると提案されました。えた村とは中世から皮革を扱った村であり、「草場権」という全国ネットワークを持った職能集団であったことが示されました。今も昔も皮革は希少価値を持つ高価な素材であり、これを独占するえた村は武家政権によりその権益が保護され、武具となる皮革の上納と引き換えに様々な特権を持っていた。たとえば牛一頭の皮革が、米一石(大人の男性が1年間で食べる米の量)に相当することを例に挙げて皮革が莫大な利益を生み出す仕事であることを説明された。このようなえた村を江戸幕府は、百姓・町人身分とは切り離し、えた・ひにん身分として管理した。中世において賤民とされた人々の中で、草場権を持ち皮革を扱ったえた村だけを「えた」とし、それ以外の賤民を「ひにん」と位置づけた。また江戸幕府は、百姓・町人身分とえた・ひにん身分との間に『火を同ぜず・血を同ぜず』とするご法度を定め、百姓・町人身分の者は決してえた・ひにん身分とは日常の生活において関わることがないという社会制度が作り出されたことを説明された。このような社会制度のもとでは、あたりまえに百姓・町人はえた・ひにん身分とは隔絶した生活を行いあたりまえに差別をして、おそらく同じ人間とは認識できない時代であったことを、生徒にも理解させる必要があるのではないかとの提言がなされた。また、えた村は現在の公務(警察、法務、清掃、土木、文化、等)にあたる仕事に従事し、皮革の独占とあいまって経済力と力を持った村であったことが説明された。
しかし、明治の新政府による『解放令』は、法制化された制度としての百姓・町人とえた・ひにんとの身分の差別を撤廃したが、同時に皮革産業の独占権が剥奪され、役人村としての権益も廃止された。これにより、部落内の富裕層が流失し部落の貧困化が始まる。明治期より居住・移転・職業選択は自由化され、すべての特権を失い周辺地域より差別される部落から経済的な自立した層が失われていくことは自然である。また他地域から貧困層の流入も始まり部落の目に見える貧困化がすすんでいく。また、「解放令」によって百姓・町人・えた・ひにんはすべて同じ「平民」となり、同じ人間であることが示された。このことが、これまで制度としてあたりまえにあった差別の正当性を奪い、差別の理由付けが始まったという視点が説明された。「人の嫌がる仕事をしていたから」や「死にかかわるから」、さらに「けがれの意識があったから」などの今日に見られる部落差別の理由付けは、合理的に考えれば成立しえない理由であり、差別の正当性を担保するために、明治以降の人々の間で広められたものであることが指摘された。むしろ、明治期以降の目に見える貧困が他の地域からの差異と異質性を助長し、それに江戸期からの賤視感があいまって、いっそう厳しい差別が明治・大正・昭和と生み出されていった。そのような中、西光万吉は水平社創立の宣言の中で、「人間は尊敬するものである」と、解放令で同じ人間であると制度化されたにも変わらず続く差別を否定したのである。しかし、目に見える貧困を根拠とする差別は就職・教育・結婚と部落の生活を圧迫し続け、高度経済成長からも取り残されていく。この差別の実態を解消しようという取り組みの高まりの中、同対審答申、1969(昭和44)年「同和対策特別措置法」が制定され法の時代が始まることになる。30年に及ぶ法制度のもとでの改良事業の結果、目に見える貧困の実態はおおよそ解消された。しかし、目に見える貧困が解消に向かうにつれ「逆差別」等のあらたな批判も生み出されることになった。時限立法は2002(平成14)年3月に終了し部落問題は新しいステージに立つこととなった。そして、2016年新たな視点で法律が立ち上げられた。だからこそ、新たな法律の理念のもと教育と啓発による部落差別の解決が必要であると訴えられた。
最後に、人権啓発ビデオ人権アーカイブシリーズ「同和問題 未来に向けて」(約19分)を視聴した。この動画では、娘の結婚に反対した両親が同和問題について学び直す姿を通して「今学ぶ子どもたちに伝えたい」明るい未来が提示された。坂田さんは「もう、今の子どもたちに部落差別はその存在自体が理屈で理解できない。」だからこそ、「なぜ今もこのようなことにこだわる人がいるのかを理解するための知識」が必要であり、「子どもたちがその知識を基に自分で考え自分で判断していく」ことが必要であると講演を締めくくられた。
講演終了後、10分間の休憩をとり、後半はフロア参加者同士が数人のグループディスカッションを実施した。小学校や中学校に所属する教職員が多く参加されており、様々な立場から参加された方も発言しやすい雰囲気が生まれることを想定したことから実施することとした。簡単な自己紹介と講演の感想から順番に話し、その後は自由な意見や自分自身の経験、取り組み、部落差別に関する思い、実態などそれぞれの立場からの活発な話し合いが展開された。話しが尽きない中、各グループでの話し合いの内容を代表者に発表していただいた。講演者の坂田さんに対して、「同和問題に関する参考文献やおすすめの読まれた書籍などを教えていただきたい。」とのリクエストがあげられた。坂田さんは、「部落差別を扱った書籍などを今は読んでいない。むしろ、歴史の一次資料を重視している。」と話された。その理由としては、「二次・三次資料は、作られた物語であり、その時代に正しいとされた歴史が入り込むことが多い。一次資料の中から事実を見つけ出していくことが大切でだと考えている。」と、話された。
また、別のグループからは「同和教育施策が実施されているときの同和問題の扱いは、どのようにされていたのか。」という質問が出され、坂田さんは「かつては同和教育施策を生徒に理解させる学習ではなかったかという反省がある。現在は差別の痛みや苦しみを知る世代と、部落問題を知らない生徒が共に生きる社会の状況だからこそ、「自分はどう生きるか」を考えられる人権学習を心がけており、今必要な啓発と教育の在り方をあらゆる忖度をなしに模索し続けていると応答された。
グループディスカッションの締めくくり(まとめ)として、責任者の川島さんから本日の講演で改めて、気づかされた人権学習の手法や組み立て方について学校現場に持ち帰ってもらい、教職員と共有してもらいながらも、自ら学ぶ姿勢や児童や生徒と共に「自分なら、どうするのか」という視点を大切にして人権学習を構築してもらいたいと訴えられた。
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