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第57回人権交流京都市研究集会
報告 木下 松二(部落解放同盟京都市協議会議長)
木下 本分科会は部落問題について質問や意見を出しあって互いにそれを深めあうことを目的にした分科会です。午前中の全体会でご講演をいただいた森口先生にも参加していただいております。森口先生へのご質問も受けていただきます。よろしくお願いします。
小学校:校長 心に響く講演ありがとうございました。
教師としての語りが、子どもたちからの語りにつながることや、弥栄中学校の取り組みに森口先生とつながっていたことは本当に感動しました。徳島の同和教育の現状を教えてください。
森口 私が中学生の頃に仙台で開催された柔道の全国大会にいく途中、東京見物をさせていただきました。引率してもらった地域出身の役場の職員だった人から「いつかお前が先生になって後輩を全国大会に連れていってやれ」と言われた時と同じ村の同級生から「先生にならんか」と言われたことが教師を目指すことにつながりました。
一緒に全国大会にいった仲間の一人が商売をしているが部落出身を言えなかったが、私の「人権ラジオ」を聞いて出身を語るようになったと同窓会で言っていました。67歳の今でも部落差別と闘っています。また、市町村合併の時に私の出身の町と隣の町が合併するときに相当もめました。また、教師になった後輩が同和地区を含む町名なので「同和地区の出身じゃないですよね」と聞かれて出身ですと答えると残念そうな顔をされたそうです。高校へ行ったときに自分が同和地区と言えないのですよ。校長先生が強いリーダーシップを発揮していかれたら学校は変わると思います。まず部落差別の現実を知ることからはじまると思います。
小学校:教諭 同和地区を含む学校に勤務しているが働き方改革などで後輩の先生にいろいろなことを伝えていきたいがうまくいきません。どうすれば良いのでしょうか。
森口 まずマイクを握ってしゃべることです。できていなくても伝えなければわからないわけです。伝えたら共感が生まれるのです。午前中の講演で「平行線で手をつなぐ」といいました。いろんな意見があって良いのです。わかってないことでも言うのです。できてないことやむつかしいということも言うのです。ひたむきに語る。いろんな意見、いろんな立場の子がいます。まったく部落問題がイメージできない子もいます。でもそれを聞いて考えてつながっていくしかないのです。そうすればどこかで響きあうのです。部落問題に限らず自分を語ることは人生を豊かにします。語ることは学ぶ喜びにつながるわけです。共感的なつながりの中で部落問題を安心して語れるという繋がりができる。そんな取り組みになっていくのです。
中学校:教諭 部落問題に取り組む意味があるのという考えを持っている方がおられますが、私は取り組むことは大切だと思います。しかし、現実は部落問題学習をどのように取り組んでいけばよいのかわからない状態です。
森口 まったくわかってないことを子どもにさらけだすしかない。現実に部落問題があるというのに先生は何もわかっていないその現実は想像できるじゃないですか。どうしたらそうした問題と向き合えることができるか。部落差別の現実を出会いがないから、つながりがないから知らないからとあきらめるのではなく語ることです。そうすれば人間として自分が誇らしいものになっていく。
大学時代自分は部落問題を隠し続けていくものだと思っていました。時間が経過して親や周りの人間との関係性が変わっていく教師もそういう風に成長していくのだと思います。自分と向き合い続けるしかないのです。いい先生といい仲間と1年1年すばらしい教師集団をつくっていくしかないですね。
小学校:教頭 子どもの頃親から「あそこの子と遊んだらあかんで」と言われて育ってきました。そして自分は「いじめられっ子」だったのでいじめをなくすために教師を目指しました。先日、中学年の子どもたちの間で嫌がらせをしていることがわかった。人権学習で「人が嫌がることをしてはならない」と答えられる子どもなのに注意ができなかった。注意ができなかった理由を尋ねたところ「お前あの子のことが好きなんやろう」と冷やかされたために注意できなったということでした。子どもたちに十分な力がつけられていなかったことを感じました。表面的な取り組みであったなと思います。もっと本気で取り組んでいかなければならないなと思いました。
森口 みんなわかってほしいわけでよ。でもね言うと茶化されるし馬鹿にされ孤立する。安心や信頼がないのですよ。その関係性をつくるのは教師の仕事ですよ。学級開きからいやな気持になることがおこらない。馬鹿にされることがない。教師の中でもいろんなことを安心して言える関係が大切だと思います。本音で語った教師のことを子どもたちは忘れません。尊敬と信頼はずっと残ります。すてきな20歳の同窓会ができる。そういう絆をつくり続けていくことです。教師が解放されていないのに子どもが解放されるわけはない。先生方自身が教材なのです。
市役所勤務:人権主任 34年前は同和問題の研修が盛んにおこなわれていたが法律の期限切れ以降あまり取り組まれていないように感じる。さまざまな人権課題を研修することはよいことだと思うが部落問題をこの先どのように継承していけばよいのかお伺いしたい。もう一つは少子高齢化など社会の状況が変わってきて人口が減少しているが世帯数は増えている血縁関係が薄くなってきている。高齢者で入院されている方が病院でお亡くなりになったときに埋火葬をどこがするのかという問題が増えている。親族に連絡しても「そちらで処分してほしい」という返事が多い。今後ますます家族や地域のつながりが薄くなる中で部落問題を将来どう言うふうに継承していくか。お考えを聞かせてください。
森口 自分の言葉で自分を語り合う。その中に部落問題もあるLGBTQの問題もある。安心してモノが言える教師や地域社会・助け合える、守ってくれる深いふかい絆で結ばれていく、部落問題学習が築き上げてきたものは強烈な信頼関係です。それで学力がついて自分に自信をもつようになります。差別の現実から学ぶことは人を大事にするようになりますよ。今も地元の子どもたちの学力は高くないですよ、部落にはまだまだ課題が多くあります。だから絆が問われていく。「わがこととして」みんなが支えあっていく。これは部落問題に限らずさまざまな問題を解決することにつながっていく研修としてこうした場を大切にしていかなければと思う。
そのベースに職場で体験されておる理不尽なことや切ないことを出しあってともに考えていくことが大事だと思う。やはり行政職員が変わることは住民が変わることにつながっていくことになり子どもたちも変わることになるだろう。誰かがしてくれるのではなくて私に何ができるかと問うた時に行政職員になった喜びが生まれていくと思うのです。仕事でやるのではなく人間として、営みが広がっていくと思うのです。行政の立場なのになんでここまで部落問題にかかわるのかと思う人はおられます。そういう人と連帯しながらこういう集会を大事にしていくこと大切だと思う。
森口 鳴門市人権地域フォーラムの活動を紹介します。教え子の娘さんが「人権こども塾」に入ってきてくれました。その娘さんは学校ではしゃべれなかったけど「人権子ども塾」の閉校式で「母が部落出身だということを中学生になって知ったこと。父方の祖父から結婚に反対されたが父は自分の親と縁を切ってまで母と結婚した。父の生き方は素晴らしいと思う。」こんな子と巡り会えて幸せだと思います。
また、長嶋愛生園に1泊で研修にいった時その子のお母さんが自分の体験を話すのです。「自分が中学生の頃は人前で話すことは苦手でした。全体学習の体験ができたことは自分に自信を持たせてくれた。高校の時に今の夫と出会って結婚ことになりました。自分が部落出身であることを伝えたところ、驚いた様子だったが自分の父に話しました。すると父親は「結婚するなら縁を切る」といわれたそうです。夫はすごく悩んだようですが私と結婚することを選んでくれました。夫の親戚の人は祝福してくれたけれども父親は認めてもらえなかったことがとても残念です。でも絶対に幸せになろうと思いました。私の両親には娘を連れて会いに行っていますが。夫の方はお母さんとは会わせられましたがお父さんには会えていません。でもあきらめずに努力をしていきたい。」
中学校:教諭 在日の問題について学習した後感想を話す時間を設けました。一人の生徒が自分は韓国にルーツがあることを話してくれました。しかし、両親から授業をする前に事前に相談してもらいたかったと連絡がありました。子どもは重大さを理解せずに話したと思うのですけれども学校としては、保護者と相談するべきだったのでしょうか。
森口 今回のように子どもが自分の立場を明らかにして保護者から相談して欲しかったということがあった。そういうことはよくありますよね。しかし、これをチャンスと思って生涯の関係をつくっていくべきだと思う。1990年代まだまだ部落差別が厳しい時代でした。でも自分も保護者も涙を流しながら部落差別の厳しい現実を語り合いました。その場には子どももいますが前向きに取り組んでいる姿をみせてきました。日常的に取り組んでいくことが大切だと思う。そのことで強い絆が生まれ何でも相談できる関係が生まれるのです。また、全同教で公開授業しました。そのときに地域出身の女子生徒が1年生の時に両親に部落問題の話をしたらとても悲しそうな顔をしていた。でも3年生になって話ができるようになったことが嬉しいと自分のことを語りました。相談してほしかったというマイナスをプラスに変えていくことが大切で何もしないのは一番あかんことです。
小学校:教諭 現在同和地域を含む学校に勤務して3年目になります。現任校は児童数が少ないため単級で中学校に進学しても不登校になってしまったり、高校にも登校できていない話を聞ききます。大きな集団に入ってもしっかりやっていけるためにどうすればよいのか日々考えています。小学1年生の子どもたちの将来につながる取り組みを教えてください。
森口 自分の言葉で自分のことが語れること。感謝の言葉を表現できるところからたぶん始まっていくと思う。友達への感謝、先生への感謝は美しいですね。その子にとって美しいものにしていくことが大切です。やっぱり学力のために文章は書かさなきゃいかんですよ。タブレットではなくしっかり文章を書かせることが喋れることになる。書いたことを表現する。語るのが授業や。話を聞いて自分の文章を書いて人に語るのが人権学習です。本当の気持ちを話す。本当の気持ちを聞く、これが人権学習です。語り合いが人権学習。語ることが喜びになる。
徳島では高校入試に面接があるのです。その面接をワクワクしながら生き生きと語っていくようになります。将来どんな仕事についてもプレゼンしなあかん、人前でモノ言わなあかん、そう言う力になりますよね。表現する力が中学校で豊かな人間関係をつくり高校でも関係をつくり、たった一人の仲間に救われるんですよね。仲間をつくり力になっていくのだと思います。とにかく小学校の1年ぐらいから自分と向き合う表現をする感謝を伝える。ありがとうが言えるそんなやり取りが大切だと思います。
筒井 私は京都市内の被差別部落に生まれました。年齢は53歳です。大半を改良住宅で過ごしてきました。おそらく同和事業・同和教育のど真ん中の世代だと思います。自分は露骨な差別は受けた覚えはないなと思っていますが、家は裕福ではなかったし周りの人も同じような暮らしだったように思います。そのため子どもの頃は将来展望が持てなかったと思います。今の子どもたちが将来どんな職業を希望し、そのためにどんな努力が必要なのかを教えていただきたいと思います。現実はなかなか理解できないものだと思いますが粘り強く指導していただけるようにお願いしたいと思います。
森口 今の子はとても素直です。44年前に故郷に帰ってきて教員になった1年目「なんでこの子らこんなに勉強せんのか」学力が低いですね。でも本当に素直なのですよ。大事にされてきていますから卑屈でないんですよ。だからこそ教育が必要だと思うんです。だからこそ語り合いが必要だと思います。そのためにもいろんな体験をさせる、するということなんです。
私のクラスの子どもたちを弥栄中学校へ連れていく、とんでもない経験ですよ。弥栄の子どもたちにとっても大きなことですけど、徳島から泊をしてよその学校に行って体育館に入場してマイク握って語り放題ですよ。言いたい放題ですよ。言いたい放題言うたら弥栄の子がまた言いたい放題言うてくれるわけです。そういう関係がたった2時間ですけどその関係がずっと生涯の絆をつくって行くわけです。野球している子が将来甲子園で会おうなんて夢を語るんですよ。実現はむつかしいかもしれないが語り合うことは大きなことですよね。学びの場にどんどん出ていくことが、体験的に出会いがあって繋がりがある場をつくっていくということが子どもたちの世界を広げていく、自らが自らの足で歩いていく。誇りをもって学ぶ。「勉強やれ」といわれて勉強するのはしんどいけど自分から勉強しだしたら、わかりだしたらうれしい。こんなに伸びるかていうくらい伸びる子がいっぱいいますよ。いろんな夢を実現していきますよ。そんな夢を語っていく人権教育・人権学習というのを積み上げていきたい。ここにいる先生方は絶対にやってくれると思います。
安田 弥栄中学校に森田先生がこられ自分も解放運動の専従職員として活動していく時代が偶然重なりました。当時は部落問題を学校でも教えない。同和対策審議会答申特別措置法があった時代でも地域の「寝た子起こすな」という勢力が非常に強くって、学校で同和教育なんてやれなかった地域でした。そういう時代に子どもたちと向き合って同和教育・部落問題を教えようということがはじまるのが1990年代なんですよね。地域でも「部落問題を考える集い」という集会を取り組みだしました。はじめはまったく協力してもらえなかったのですが3年目から行政や学校、保育所と一緒に実行委員会を組織して東山区に東三条の地域から部落問題を考えようと発信していくことができました。この活動が弥栄中学校や有済小学校・粟田小学校で同和教育を推進する原動力となり、森口先生との出会いがあってそこから弥栄中学校が変わっていく。正直それまでの学校とは同和教育なんてやらないだろうと思っていた。それが実行委員会を通じて活動することで信頼が生まれ支えあう関係が生まれてきたわけです。中でも人権劇をいっしょに演じたことがさらに強力な関係を築いていくことになったと思います。当時は毎日のように家庭訪問をして保護者や地域ともつながり町全体で子どもたちを育てているような関係が生まれていました。20年間取り組んできましたが2008年同和事業の打ち切りが同和教育を行わない方向に京都市が進んだために今日の状況につながっているわけです。同和行政の停滞が同和教育を形骸化させた原因だということです。
森口先生が先ほどから子どもたちをどう育てていったらいいのかを伝えようとしていただいている。教育の一番大切な点を話していただいていると思います。当時、弥栄でやれたことがほかの学校に広げられなかったのが残念に思う。今日森口先生のお話を聞いていて体験学習ができていないことがわかりました。やはり広島へいって平和学習を行うとか長嶋愛生園にいって話を聞くということを行うことが本当の意味での育ちにつながっていくと思います。ぜひ各学校でも取り組んでみてはどうかと思います。私たちの地元では「京・あまべの歴史を語る」という部落の歴について取り組んでいます。私たちの地元が中心ですけれども部落のはじまりから部落差別についての歴史を現場で学んでいただければいいと思います。今日の出会いを次につないでいくことが大切だろうと思います。
弥栄ははじめからできたのではありません。いろいろな人との出会があってできてきたのです。これからもよろしくお願いします。
松井 1958年頃、養正小学校と高野中学校で「勤務評定反対」の同盟休校が行われました。そのころは子どもだけで京都府や京都市と交渉をしてきました。当時大学生でした私は若く見えたので子どもの中に入って一緒に交渉せいと言われて子どもに混ざって交渉に参加していました。教科書の無償問題なんかを交渉した。その時に養正小学校に同盟休校の申し入れに子ども会を指導していたのでついていった。校長先生からお菓子とお茶をいただいて話を聞いていただきました。その様子を朝田委員長に報告したところ「お前らは『餓しても敵の水を飲まず』という諺を知らんのか」と怒られました。つまり敵に申し入れをしにいってお菓子をよばれたなんてそんな馬鹿なことがあるかと怒られました。そんな事があったなと養正小学校の先生の話を聞いていて思い出しました。
また、今鷹峯団地がなくなって楽只の小学校もなくなりました。これからどうしていくのか。こうした研究集会で議論をしてほしいなと思っています。長い間行政マンとして携わってきましたけれど今日の森口先生の話には敬服しました。私が小さい頃は部落のことはまったく知りませんでした。自分が部落出身だと知ったのは、小学校のころで担任の先生が「実は江戸時代にこういう身分差別があって差別に苦しんだ人がおり、そういう人たちの祖先に部落の人がいて、この学区の中にあそこがそういうところやで。」といわれてはじめてそう言う差別があるんやと、それまで部落というのは僕ら農村地帯やったから集落はありますよ田んぼがあって、それを部落て言うんやと思っていた。そうやないとはじめて部落差別があることを知った。そんなことを思いだしました。さきほど意見をいわれた安田茂樹君の話がありました。若いころ安田君が中学生やった。花見小路の市営住宅の安田君の親父のところへいろんな話を聞いていた、トイレ借りてトイレ入ったら勉強のための張り紙がしてあった。便所の中でも勉強しないかんと彼は勉強していた。そんなことを茂樹君の話を聞いていて思い出しました。あのころ弥栄中学校は地元の反対があって同和教育とか人権教育が取り組めなかった。そんなとき森田校長先生が来てやっと同和教育が取り組まれてきたと思うのです。私も米寿を迎えましたのでそんな昔話しかできませんけれどもそんなことを思い起こした次第です。ありがとうございました。
小学校:校長 前任校の養正小学校で地域の歴史について勉強したことを思い出しました。その養正地区も住宅の建て替えがおこなわれ住み替えがおこなわれています。今後のまちづくりについていろいろと意見がでていますが部落差別が現実にありながら部落のまちづくりがどういう方向に進んでいくのか関心があります。部落差別をなくす目的のまちを地域からどのように進めていくのか。また、昨年も話をしましたが部落の食文化をテーマにしてまちづくりできないかなと思っています。部落に対するマイナスのイメージがまだまだあるけれどもそれを克服するためのアピールが必要だと思う。そいうことに私たちも参加していきたい。部落で大切にしてきたことを残せていけたらいいなと思う。今も養正地区では公園でお祭りがされています。これなんかももっと広げていけてみんなが集えるまちになっていったらいいなと思っています。
森口 ぜひ語り合ってください。1分2分で自分の言葉で自分のことが言える。1990年全体学習が始まったころの感想です。
「中学2年の時に部落問題学習に出会いました。中学2年3年と板野中学校の仲間と部落問題について語り合った学習が、その後部落差別の現実を乗り越えていく力になってきました。この全体学習は一人の先生のきっかけで始まったかもしれませんが、当時の校長先生が生徒にかかわるすべての先生にいたるまでいろいろ試行錯誤の中でつくられてきたのではないでしょうか。先生がたも生徒から何かを感じ発信したからこそ他校からも多くの先生方が見学に来るようになって素晴らしいものなっていったように思います。その学年は卒業したり先生が他校に移っても新入生が入り新しい先生がはいって全体学習が続いていればそれはその学校の年輪となって続いていくような気がします。」
他にも、当時部落問題を全く知らない子が友達の家に誘いにいって待っていたらお婆さんが友達に「○○さんは部落の子やからあんまり遊んだらあかんよ」と言われたわけです。本人が玄関先に立っていることに気づかずに「おばあちゃんわかっとるで」と返事したそうです。その時○○さんは聞こえなかったふりをするわけです。正直力が抜けますよ。その子の家には行けなくなりますよ。実際もういかなくなった。これが現実ですよ。そんな現実からはじまったのが全体学習だったのです。そういったことがだんだん少なくなってきとるかもしれないけれど。自分も子どものころ部落外の友達の家に行ったことはあるけど座敷に上げてもうたことないなと思い出すわけですよね。彼らは自分の家に来たことないなと思い出すわけですね。板野では部落差別を思い知りましたね。差別の現実はなかなか気づかない部分あるんですね。でもそう言ったものと向き合うことによって見事にマイナスをプラスに変えるのがこの教育の世界です。誇りをもって部落差別にあらがう生きる生き方をしていく。部落の子でもそうでない子も含めてね。
ある教え子にフォーラムのパネリストを頼んだんです。この子は中2の時に自分が部落ということ知らないで部落差別はよくないと言っていたのですが、中3の家庭訪問で「お前も部落の人間ぞ」というたわけですよ。お母さんは涙がでてねこの子も涙流している。そこから変わっていくのですね。それがあったから結婚もできたていう話になっていくのですけれども、繊細な子なんですよね。そう言った子は打たれ弱い部分もあったけど仲間によって変わっていくのです。結局フォーラムにはコロナ禍で参加できなくて朝にメッセージを送ってきました。ちょっと長いですがその文章を聞いてもらって最後の〆とさせていただきます。
メッセージ
僕には子どもが3人います。一番上の子が今年9歳になりました。この子が生まれた9年前と比べて人権問題とくに部落問題について何が変わったのかよくわかっていません。昭和から平成、それから令和になってもこの問題は存在しています。僕の母親もこの問題に苦しめられ僕の父親はこのことについて何も話をしないまま亡くなってしまいました。僕は学習会に通っていましたが中学3年生まで自分が地区出身ということを知りませんでした。僕が中学2年生の時に全体学習がはじまりました。このフォーラムのチラシにある全体学習です。はじまったころは発表するクラスではなかったので、その周りといいますか外に席を置いてその様子を見ているクラスでした。中央のクラスの発表が終わるとそれに刺激され周りのクラスも意見を出していたように思います。もしこの中学2年生の状態で大人になっていたら今の自分があるかどうかわかりません。その頃の自分は同和問題というものがわかっていなかったし実際に親やその周りから何も聞いていませんでした。子どもから中学・高校へ進むにつれ自分の家と他の家ではなんとなく違うことを感じ取ります。それから大人になり現実にこの問題が自分に直接関係してくることが感じ取れました。まずは就職活動それから結婚の問題。結婚は直接自分に重くのしかかってきますし、相手の家族にもかかわってくるやっかいな問題です。ちょっと目をつむって想像してみてください。自分が20代や30代で結婚を意識し始めたころとします。彼女や彼の家で手をのばしたら相手に手が届きそうな距離で楽しい話をしていたとします。そこから自分にこう質問されます。「私のおじいちゃんはあっちの人とは絶対反対やけどあなたはあっちの人とちがうよね」て。僕は心臓がドキドキしました。あなたはどのように答えますでしょうか。自分は地区と関係ないから違うよと普通に言える。自分は地区出身だけれど別れたくないから違うという。それとも地区出身だと本当のことを話す。どうでしょうか。鳴門市人権地域フォーラムでお話を何度か聞かせていただく機会がありました。そこで僕たちが学んだ全体学習がおこなわれていて、絆が続いているんだな。すごいなと思いました。それとは逆にやりにくい環境になり途絶えてしまったなどのお話も聞きました。自分たちの意見をぶつけ合うことができ、この多感で成長期であるときに人権学習があることで大きく成長することができると思っています。今でも僕の中で残っている全体学習のイメージは自分の心の中の弱い部分が、伝えたくても声や身体が震えてしまい十分に言えない自分、しぼりだして思いを伝えた言葉。そんな全体学習であったように思います。一人ひとりの心の中にこれが差別なのかもしれない、これはおかしいと思えること、自分が言った言葉や家族が言った言葉は相手の心を傷つけたとわかることって大切なことではないでしょうか。その思ったことを相手に理解してもらう事はさらに大切なことです。
自分の話に戻りますが中学3年生になり家庭訪問で担任からお前も部落の出身なんぞと言われました。その時は涙がこぼれました。母も涙を流していました。その涙は、その部屋の緊張感からか母親の涙を見て涙が流れたのか自分が差別される側ということを突き付けられてショックだったのか、それとも自分の中に眠っていた差別意識だったのか今となってはこの経験がスタートとなりました。僕は中学3年生からスタートし先生、仲間、先輩たちのおかげでいろいろな体験をさせていただきました。僕が30代の時「あっちの人」と聞いたのは当時の彼女で今は妻となっています。僕は正直に答えました。全体学習や今までの体験から逃げないで真正面から取り組むことに決めました。彼女も僕を兄弟や親に合わせたり、大変な思いをしながら二人でおじいちゃんに会いに行きました。微力ながら農作業のお手伝いにもいきました。大変なことばかりで僕も彼女も悩み家族や先輩、先生などいろいろと相談をしました。一つひとつ峠が越えることができ結婚それから子どもも授かることもできました。物語ならここでハッピーエンド、メデタシメデタシで終わるところですが、ここで終わらないのが同和問題です。僕はこうして幸運にも結婚し子どもが生まれました。あわただしい毎日ですが幸せに暮らしています。ただ年を重ねるうちにうちの子どもも数年もすれば僕と同じつらい思いをしなければならないのかと思うと深いため息が出ます。僕が何か悪いことをしたわけでもなく、当然子どもも何もしていませんが、どちらかの親が地区出身者であるというだけでこの理不尽な差別を受けなくてはいけません。うちの子どもたちが事実を知り、これからの人生を幸せに送れるのだろうかと、差別に負けない心と冷静になって話し合える知識と経験を積んでいけるのだろうかと。家での話し合いや教育の大切さは知っていますがそれだけではどうにもなりません。差別する側と差別される側が純粋に意見を交換できる場が必要であるし、その意見交換があったあとにはフォローや心のケアも必要でしょう。この場が差別される側を見つけて差別させる場になってはいけないと感じます。僕もそうですが自分の心を強くする。経験を積むというのは積み重ねが必要で時間がかかります。この場にいらっしゃる先生方・職員のみなさまもそのように思っていてくださっていると思います。是非とも純粋に言い合える機会や仲間づくりを一つひとつ地道に継続いただけたらと思っています。また自分もどうしないといけないのかと自問自答しながら道を進んでいけたらと思っています。
森口 だから「人権子ども塾」なんです。だから本気の語り合いなんです。信頼と尊敬の絆なの中で共感と連帯の絆の中で互いへの感謝の思いがあふれる学級集団・学年集団・学校にしていくんです。語りが語りを生む本気で語った言葉はずっと残ります。20歳になっても30,40,50になっても残ります。そんな教育を実践していくわれわれにはチャンスがあります。そういう喜びに出会うチャンスがあります。いつも私自身が解放されながら子どもたちと深い絆をつくっていくそんな取り組みを小学校は小学校なりに中学校は中学校なりに高校は高校なりに大学は大学なりに積み上げていけたらと思います。
本日はたくさんの方々にお集まりいただきましていろんなお話や意見など出していただけました。また今日出たお話しなど明日からの皆さんがこれからの活動の糧にしていただいて活動していただけたらなと思います。
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